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マンガ家Mの日常
500年の長きに渡って行方不明だった国王の遺骨を
専門外の女性が発見するという、奇跡のような実話。

例えば、シュリーマンとか、
先日の新聞では、日本でも、中学生の少女が、
博物館に眠る剥製をニホンオオカミと特定したとの記事が掲載されていた。

おそらく、そうした発見は極々一部の奇跡であり、
大多数の人達は何も成し遂げられないまま消えていったのだろう。

それでも、ひたむきな探求の姿が美しい。

偉大な劇作家シェークスピアによる「リチャード3世」が
歴史の定説として受け入れられていた。
例えば日本でも、司馬遼太郎の歴史小説が史実であるかのように思われがち。
優れた創作物による罠のような状態。
創作物でなくても、為政者によって都合よく歴史が書き換えられたり、
「聖書」のように、口伝で長い年月の間に話が作り上げられるケースもある。
まさに、歴史を疑え。


バックリーは保身に流されながらも、
フィリッパの功績を尊重しようともしていたが、傲慢なレスター大学はずる賢い。
これって、アカハラってヤツだね。
フィリッパが男性だったら、また状況は違っていたかもしれない。

発掘に関する講演を依頼しにに来た女子学生達は、
バックリーから、フィリッパに頼むよう促される。
それは、名誉に繋がらない仕事を
フィリッパに押し付けようとしたかのようにも見られるが、
真の功労者はフィリッパだと教えたようにも見られる。

バックリーは恭しい式典に出席するが、
フィリッパは式典を断って、女子学生達の教室に向かう。
厳かな式典は「過去」の歴史であり、
フィリッパの話に目を輝かせる若い女子学生達は英国の「未来」を示唆する。
ラストシーンの対比が素晴らしい。


フィリッパは難病の持病に悩まされていたが、
フィリッパを演じたサリー・ホーキンスも、
難病のループス(自己免疫疾患)を患っている。

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(ストーリー紹介の続き。)


この頃には、浮気相手と不仲になった夫ジョンが家族を恋しがり、復縁を求め、
協力的になっていた。
フィリッパは、リチャード3世の幻影に導かれつつ調査を進める。
専門家にも意見を求める中で、
レスター大学所属の考古学者バックリーの研究室を訪れる。
バックリーの助言と、様々な文献や古地図から、
教会跡地の駐車場スペースにリチャード3世の墓があると確信する。

フィリッパは調査資料を作成し、市議会や大学に発掘の許可を取る。
同人会の協力も得て、クラウドファンディングで資金調達に成功。
バックリーの関心は薄かったが、フィリッパが発掘を進めると、
背骨の曲がった遺骨が発見され、鑑定でリチャード3世の遺骨と証明された。

レスター大学はバックリーを抱き込んで、発掘の栄誉を独占する。

しかし、その後遺骨発掘に注目した人々から支持を受け、
フィリッパの功績が周知され、英国王室から勲章を授与され、
リチャード3世が正当な王であったと認められる。


(感想は後日。)

実話を基にしたドラマ映画。


中年女性フィリッパは難病の持病に悩まされ、浮気夫とは別居生活。
会社では経験不足の若い美女に重要なポストを取られてしまう。

気が晴れない日々の中、シェイクスピア劇「リチャード3世」を鑑賞。
イケメン俳優の演技に引き込まれつつ、難病に苦しむ自分自身と重なり、
リチャード3世が障害(せむし)故に冷酷な性格となって、
不当に王位を奪った「簒奪者」とみなされている事に疑問を持った。
すぐさま文献や資料を読み漁り、同人サークルにも入会。
現代に至るまで行方不明とされている遺体の安置場所を探し始める。


(すみません。ちょっと時間が無くて、記事中断。後日残りを書きます。)







冒頭、一家の朝食のシーン。
母親が料理しているが、調理器具や食器の音がやたらガチャガチャとうるさい。
ポーラ以外の3人は聾唖者なので、そうした雑音は気にならないから、
音、立て放題。

クリニックのシーンでは、母親が膣炎で性生活に支障が出た両親が、
赤裸々に性生活の話をしていて、
それをポーラが事細かに、淡々と、医師に手話通訳をしている。
きっと、今に始まった事ではないのだろう。

そうした、日常的なシーンが上手い。

聾唖である事で、誰も人生が不利だとは思っていない。

ところが、大事な娘のポーラが、選りに選って音楽の道を志す。
理解してやれない、応援もしてやれない、分かり合えない。
寂しいよね。
(思えば、医師だった両親とは全く違う、絵画やマンガの道に進んだ自分がいる。)

聾唖者の一家、ヤングケアラーのポーラ。
ただし、そうした事は一家にとっては問題ではなく、
家族の絆が最大の関心事。
それ故、我々鑑賞者も共感できる。

派手さは無いが、感受性豊かな作品。
これを何故僅か10年後にハリウッドはリメイクしなければならなかったのか?
ハリウッドは、ハリウッドのスタッフや俳優を使った映画でなければ
観客の関心を得られないのか?

果たして、「コーダ」は、
リメイクしてアカデミー賞作品賞を獲る意味のある作品なのか?
録画してあるので、近々観たい。

フランスの青春ドラマ映画。
およそ10年後にアメリカでリメイクされた「コーダ あいのうた」は
2022年アカデミー賞作品賞、脚色賞、助演男優賞に輝いた。
...ところが、
元の「エール!」はWikiの記事すら無い。


フランスの田舎町で酪農で生計を立てている4人家族のベリエ家。
女子高生ポーラは健常者だが、両親と弟は聴覚障害者。
一家の仕事や日常生活の中で、ポーラが常に手話の同時通訳を担っている。

同級生のイケメン、ガブリエルに恋したポーラは、
歌手を目指すガブリエルがコーラス部に入部した為、後を追って入部。
顧問のトマソンはポーラの声を聴くなり、才能を感じ取り、
レッスンを受けるよう勧める。
戸惑いながらも次第に歌に熱中するポーラに、トマソンは更に、
コンクールに応募して、パリの音楽学校を目指すよう促す。

その頃、父親のロドルフは、町の開発に抗議して、町長選挙出馬を決意する。
両親はポーラが町長選挙や今後の酪農の仕事も手伝ってくれると期待しており、
ポーラが音楽学校入学を希望している事に反対の色を隠せない。
また、お目当のガブリエルが、変声期の為にコンクールを諦めようとしていて、
気落ちしたポーラは音楽学校進学を躊躇し始める。

しかし、トマソンの説得もあり、
気持ちを取り直したガブリエルと共に両親も快く応援してくれて、
コンクールで見事優勝し、パリに旅立つ。


爽やかな青春ストーリー。
気取らず、障害に関する社会派めいた押し付けがましさも無いのが良い。

(続く。)