忍者ブログ
マンガ家Mの日常
アガサ・クリスティの「名探偵ポアロ」のドラマシリーズの再放送を観ている。
多分、昔幾らかは観ていた筈なんだけど、ほぼ忘れているから、新鮮に楽しめる。

昨夜の放送は「葬儀のあとで」。

軽くネタバレすると、

大富豪が亡くなり、親戚達が遺産を分配相続。
ところが、妹である老婦人が殺害され…。

犯人は老婦人のコンパニオンで、老婦人がその価値を知らずに所有していた、
レンブラントの肖像画を狙っていた。

このコンパニオンは、老婦人殺害の動機をゴマカすべく、
兄である大富豪の遺産相続に目を向けさせるよう画策。
そこがクリスティの発想の凄いところ。

で、問題が1つ。

原作の出版は1950年代で、
作品の時代設定は1930年代とされている。
この時代の英国の現金のレートがよくわからないのだけど、
ドラマの中で、レンブラントの作品がおよそ5000ポンドとされていた。

えっ?

今、ネットで検索してみたら、
当時のレートで1ポンド24,300円くらいとかって。
また、1920年代から急激な円安が進行したそうなので、何とも言い難いのだけど、
1930年代のレートでザックリ計算すると、
5000ポンドは1億2000万円ちょいになる。
1920年代だったら、その半額くらいかも。

1億2000万円だったら、犯罪を実行しようという気にもなるかもしれない。

でも!

レンブラントの真作だったら、
たったの1億2000万円って事は無い!
今なら、競売にかけられたら、30〜50億円の値がつくだろう。
長く世に出ていなかった作品となると、もっと高額かもしれない。

フェルメール等にも言える事なのだけど、
作品の評価は時代によって大きく変わる。

追記/
改めてネットで検索すると、
1930年代の1ポンドは、現在の日本円で7,500円くらいとも。
そうすると、5000ポンドは37,500,000円。
ドラマの中でコンパニオン女性は、
自分の喫茶店を再建する為の資金が欲しかったという動機を語っているから、
37,500,000円だとすれば適正と思える。

だとすると、
やっぱりレンブラント作品安く見られ過ぎ!
PR

歴史に名を残す偉大な作曲家チャイコフスキーの、悪妻と言われた妻、
アントニーナの半生を描いた映画。


19世紀後半のロシア。
地方都市の貧乏貴族の娘アントニーナは、音楽家の道を志すも、
学費が払えなくなり、中退。
母親に辛く当たられてモヤモヤした日々を過ごして20代後半となり、
16歳の時に一目惚れしたチャイコフスキーに、意を決してラブレターを送る。
チャイコフスキーは年齢差(8歳年上)を理由に申し出を断るが、
2回目のラブレターを受け取った後、
アントニーナからの持参金の話につられて、結婚を承諾。

しかし、

実は同性愛者のチャイコフスキーは、女性との暮らしが耐えられず、
逆に、一途に慕ってくるアントニーナに嫌悪感を抱く。
作曲活動にまで影響が出始めたチャイコフスキーは離別を決意。
アントニーナはあくまでも離婚を受け入れず、2人の溝は深まるばかり。
当時、チャイコフスキーは「白鳥の湖」「エフゲニー・オネーギン」等、
歴史的名曲を書き上げて公演を成功させるに至っていたが、
結婚の破綻のゴタゴタで精神的に疲弊し、自殺未遂を起こす。
アントニーナは弁護士を通じて
チャイコフスキーから僅かな生活費を受け取っていたが、
同様に、生活も精神的にも徐々に崩壊し、晩年は精神科病棟暮らしとなる。
チャイコフスキーはコレラに罹患し死去。


北欧バロック絵画を思わせる、精緻な映像が美しく、
心を揺さぶるドラマの展開も素晴らしい。
傑作と言える。

映画では、受け入れられない愛にすがるアントニーナの姿が切ない。
当時のロシアの社会がどのような状況だったかわからないので、
何とも言えない部分があるが、
チャイコフスキーが同性愛者であると結婚前に知らせられなかったのも、
悲劇の原因の一端であったのは確かだろう。

アントニーナにとって、天才作曲家チャイコフスキーは神のような存在。
その妻の座を手放す事など考えられない。
彼に愛されて結婚したのだと信じたい。
結婚式で、神の前で、生涯を共にすると誓った。

現代の基準で単純に見れば、
カミングアウト出来ないチャイコフスキーが、
同性愛を隠して結婚したのがまずかった。それも、持参金目当てでずるいし。
アントニーナは、同性愛について知らされても、何故か全く怯まない。
真の愛情なのか、偶像崇拝的な執着なのか。
現代でも、偶像(アイドル)を崇拝して奇抜な行動に出るファンもいるけど。

所謂、クローゼット・ゲイ(隠れゲイ)は後世も大勢いて、
家庭生活を無難にこなしている人もいれば、やりきれない人もいる。
チャイコフスキーは「天才」故に、
自己の感情に走る事を止められなかったようにも見える。

セレブレンニコフ監督は、
「彼女にとって最も重要な神はチャイコフスキーだった。」と語っている。
「チャイコフスキーとの結婚を神に祈り続け、
 神の座がチャイコフスキーになってしまった。」

信仰心の薄い日本人の自分にはわかりにくいけれど、
欧米人が神に捧げる愛って、
よく言えば、見返りを求めず、一方的に捧げ尽くす、
どこまでも盲信、妄信するような、
底の無い沼のようなものなのかもしれない。

「私はチャイコフスキーの妻。」と言い続けたアントニーナ。
そこまで愛し切れる人と巡り会えたのは、ある意味本望だったかもしれない。

チャイコフスキーって、髭面の写真とかから、かなりなお爺さんだと思いきや、
亡くなった時、まだ53歳。
もっと長生きしていたら、膨大な数の名曲を作っていただろうとも思いつつ、
そうはならない運命だった。
モーツァルト然り。
天才って、そういうものなのかもしれない。

映画の感動を味わうのが大事だとして、先に映画を鑑賞。
その後、ドキュメンタリー番組を見る。


映画では、単純な誤認を利用して大尉になりきって芝居を続けるうちに、
徐々にエスカレートして、精神的に侵されていく流れのようだったけど、
ドキュメンタリー番組によると、実際のヘロルトは、
少年期から権威主義的で、弱い者いじめをしたり、
ナチスに傾倒して少年団に入隊していたり、ほぼサイコパスのようだった。
流石にそれでは観客の共感を得られないとしてか、
映画では段階を追って狂気に陥る姿が描かれていたように見える。

最初にフライタークのような、純朴で忠実な人物に出会わなければ、
笑い話で済んだかもしれないという皮肉。
はしっこい兵士は偽の大尉だと気付きながらも、
状況に便乗してしまい、自らを破滅させてしまった。

ヘロルト自身はどうだったのか。
最初は生き延びる為の嘘だったのだろうけど、
次第に権力が快感になっていって、歯止めが効かなくなった。
残虐な処刑をも「大尉」のなせる技と見ていたのだろうか。
だとすると、罪の意識は薄いのかもしれない。

ラストでは、骸骨となった屍が大量に転がる森の中を逃げていく。
自分さえ生き延びる為には、他者の犠牲も何とも思わない、冷徹な利己主義。
ヘロルトの姿ははヒトラーとナチスの小型版として象徴している。
エンディングでは、ヘロルトと部隊が現代で市民を摘発する様子が
戯画的に描かれる。
ヘロルトのみならず、ナチスもまた、
ある種の陳腐なドラマに陶酔して、役を演じていた。

ただその根底には、深い利己主義の闇がある。

実話を基にした、ドイツ、フランス、ポーランド合作の戦争映画。


第二次大戦末期、敗色濃厚のドイツ軍では、
戦意高揚と敵国への逃亡防止の為、脱走兵の取り締まりを強化していた。
空軍上等兵ヘロルトは逃走中、道端に置き捨てられた軍用車両を見つける。
中を漁ると、僅かな食料の他に、
大尉の軍服一式がトランクの中に収められていた。
寒さしのぎで軍服を着用したところに、兵士フライタークが現れる。
ヘロルトを大尉と信じ込んだフライタークは忠実に任務を遂行しようと務める。

「部下」を従えたヘロルトは、移動の道すがら、脱走兵取り締まりを行い、
ある者は射殺し、ある者は部隊の兵士として加えていく。
ヘロルトの素性を訝る者もいたが、巧みな嘘で乗り切っていく。

脱走兵収容所に辿り着くと、ヘロルトは
「総統から一任されている」とでまかせを言って収容所を掌握。
収容者超過で不満を抱いていた幹部の要求に乗って、
口減らしの為、収容者150人を即決で処刑する。
あまりの残酷さに、忠実なフライタークも疑問を強める。

連合国軍によって収容所が爆撃され、壊滅。
ヘロルトは生き残った兵士達と共に街へ移動し、狼藉の日々。
それも長くは続かず、憲兵隊によって逮捕され、軍法会議にかけられる。
一旦は絞首刑を言い渡されるも、
脱走兵粛清という規律によって行動したとして、
共感した将官によって、雑務従事のみの軽い刑で済まされる。

ヘロルトは再度脱走したが、後に英国軍に逮捕され、処刑される。


同じ頃にドキュメンタリー番組も放送された。
映画はほぼ事実に即して制作されていた。

(感想は後日。)

濱田岳のナレーションが

本当に嫌いだ!

多分、以前にも書いたと思うが。

後学の為にも、様々なドキュメンタリー番組を観るのだけど、
濱田岳がずっとナレーションを担当している番組があって、
その
語り口調が気持ち悪くて仕方ない。
あまりに気持ち悪くて、番組を見進められない。

TV番組なので、本人というよりは、演出家の責任なのだろうけど、
一体どうして、あんな気持ち悪い語り口調でやろうとするのか、理解に苦しむ。
思い入れたっぷりにやたらと溜めを作って、息を漏らすような喋り。
マジ気持ち悪くて、度々一時停止にしてしまう。

例えば、ミュートにして、字幕で観るとかにしたら良いのか。
録画したものでも出来るのかな。

とにかく、
ナレーションに変な俳優を起用するのはやめにして欲しい。