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マンガ家Mの日常
映画の感動を味わうのが大事だとして、先に映画を鑑賞。
その後、ドキュメンタリー番組を見る。


映画では、単純な誤認を利用して大尉になりきって芝居を続けるうちに、
徐々にエスカレートして、精神的に侵されていく流れのようだったけど、
ドキュメンタリー番組によると、実際のヘロルトは、
少年期から権威主義的で、弱い者いじめをしたり、
ナチスに傾倒して少年団に入隊していたり、ほぼサイコパスのようだった。
流石にそれでは観客の共感を得られないとしてか、
映画では段階を追って狂気に陥る姿が描かれていたように見える。

最初にフライタークのような、純朴で忠実な人物に出会わなければ、
笑い話で済んだかもしれないという皮肉。
はしっこい兵士は偽の大尉だと気付きながらも、
状況に便乗してしまい、自らを破滅させてしまった。

ヘロルト自身はどうだったのか。
最初は生き延びる為の嘘だったのだろうけど、
次第に権力が快感になっていって、歯止めが効かなくなった。
残虐な処刑をも「大尉」のなせる技と見ていたのだろうか。
だとすると、罪の意識は薄いのかもしれない。

ラストでは、骸骨となった屍が大量に転がる森の中を逃げていく。
自分さえ生き延びる為には、他者の犠牲も何とも思わない、冷徹な利己主義。
ヘロルトの姿ははヒトラーとナチスの小型版として象徴している。
エンディングでは、ヘロルトと部隊が現代で市民を摘発する様子が
戯画的に描かれる。
ヘロルトのみならず、ナチスもまた、
ある種の陳腐なドラマに陶酔して、役を演じていた。

ただその根底には、深い利己主義の闇がある。
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実話を基にした、ドイツ、フランス、ポーランド合作の戦争映画。


第二次大戦末期、敗色濃厚のドイツ軍では、
戦意高揚と敵国への逃亡防止の為、脱走兵の取り締まりを強化していた。
空軍上等兵ヘロルトは逃走中、道端に置き捨てられた軍用車両を見つける。
中を漁ると、僅かな食料の他に、
大尉の軍服一式がトランクの中に収められていた。
寒さしのぎで軍服を着用したところに、兵士フライタークが現れる。
ヘロルトを大尉と信じ込んだフライタークは忠実に任務を遂行しようと務める。

「部下」を従えたヘロルトは、移動の道すがら、脱走兵取り締まりを行い、
ある者は射殺し、ある者は部隊の兵士として加えていく。
ヘロルトの素性を訝る者もいたが、巧みな嘘で乗り切っていく。

脱走兵収容所に辿り着くと、ヘロルトは
「総統から一任されている」とでまかせを言って収容所を掌握。
収容者超過で不満を抱いていた幹部の要求に乗って、
口減らしの為、収容者150人を即決で処刑する。
あまりの残酷さに、忠実なフライタークも疑問を強める。

連合国軍によって収容所が爆撃され、壊滅。
ヘロルトは生き残った兵士達と共に街へ移動し、狼藉の日々。
それも長くは続かず、憲兵隊によって逮捕され、軍法会議にかけられる。
一旦は絞首刑を言い渡されるも、
脱走兵粛清という規律によって行動したとして、
共感した将官によって、雑務従事のみの軽い刑で済まされる。

ヘロルトは再度脱走したが、後に英国軍に逮捕され、処刑される。


同じ頃にドキュメンタリー番組も放送された。
映画はほぼ事実に即して制作されていた。

(感想は後日。)

濱田岳のナレーションが

本当に嫌いだ!

多分、以前にも書いたと思うが。

後学の為にも、様々なドキュメンタリー番組を観るのだけど、
濱田岳がずっとナレーションを担当している番組があって、
その
語り口調が気持ち悪くて仕方ない。
あまりに気持ち悪くて、番組を見進められない。

TV番組なので、本人というよりは、演出家の責任なのだろうけど、
一体どうして、あんな気持ち悪い語り口調でやろうとするのか、理解に苦しむ。
思い入れたっぷりにやたらと溜めを作って、息を漏らすような喋り。
マジ気持ち悪くて、度々一時停止にしてしまう。

例えば、ミュートにして、字幕で観るとかにしたら良いのか。
録画したものでも出来るのかな。

とにかく、
ナレーションに変な俳優を起用するのはやめにして欲しい。

ジュリアン・ムーアとミシェル・ウィリアムズ、ダブル主演のドラマ映画。
デンマーク映画「アフター・ウェディング」のリメイク版で、
配役の男女を逆転させている。


インドで孤児院を運営するイザベルの元へ、多額の寄付の申し出が届く。
大企業の経営者である寄付者テレサからの要求は、イザベルがNYに来る事。
渋々承知したイザベルがNYのテレサのオフィスに行くと、
更なる桁違いの寄付金と共に、財団を設立し、その管理の為に、
イザベルがNYに拠点を移すよう求める。
詳細の検討の話し合いの時間を持つべく、数日NYに滞在させられる事になり、
テレサは娘のグレイスの結婚式にも出席するよう促す。

結婚式に出向くと、元彼オスカーに遭遇し、困惑する。
若い頃、イザベルはオスカーとの間に女児を出産したが、周囲の反対もあり、
話し合いの末、泣く泣く養女に出す事にして、傷心のまま故郷を去った。
残されたオスカーは思い直して娘グレイスを手元に取り戻し、
その後テレサと出会い、結婚し、グレイスは2人の娘として育てた。
何も知らされていなかったイザベルは驚愕し、悲嘆にくれる。

実は、テレサは不治の病に冒されており、余命数ヶ月。
グレイスの行く末を案じ、
実の母親であるイザベルを側にいさせようと画策したのだった。

テレサは会社を処分し、莫大な資産を財団に移す。
イザベルは複雑な思いを抱えながらも、財団の管理者としてNYへの転居を決断。
報告と残務整理の為に一旦インドへ戻り、
我が子のように接していた少年に、一緒にNYへ来るよう勧めるが、
少年は友達と離れたくないと断る。


男女逆転のリメイクというのは後から知った。
今時のジェンダーの流れでは、男女がどうこう言うのも良くないかもしれないが、
やはり、男性バージョンの方がしっくり来るように思える。
生まれて間もない子供を手元に置きたがるのは、母親の方が理解しやすいし、
寄付者が大企業の女性オーナーというのも、
女性対女性の構図として、設定に引っかかりを覚えてしまう。

まぁ、どうなんだろうね。
若い恋人達が子供を育てられずに養子に出す例は数多あるだろうけど、
別れた恋人が資産家と結婚するなんて奇跡は、そうは起こらないからね。

テレサがグレイスを我が子同然に慈しみ、自らが亡き後を考えて、
イザベルを探し当てて呼び寄せたのは愛情ゆえと理解できるけど、
果たして、グレイスにイザベルはそうも必要だったかな。
生まれてから一度も会った事がなく、生死すらも知らなかった。
いきなり母親だと紹介されても、すぐには気持ちは通わない。
ちゃんとした父親が側にいるのだから、
巨額の寄付金で買うように、イザベルをインドの孤児達から引き離し、
無理に来させる必要はなかったのではないかな。

おそらく、デンマークの男性版の方がすんなりまとまっているだろう。
今月WOWOWで放送されるようだから、そちらに期待しよう。
オスカーは芸術家という設定なので、
それがもしエキセントリックな女性の設定だったら、
見守り役として父親を側に置かせようというのも、分かり易かったかもしれない。

行動科学者マーサー教授が専門知識を駆使して事件解決に当たる、
知的サスペンスドラマ。


元妻のFBI捜査官マリサや、大学研究室の助手フィービーやリズワンと共に、
様々な難事件を捜査する。

マーサー教授自身、20年前爆発事故に巻き込まれ、大火傷を負い、
事件当時の記憶を一部無くしており、真相解明に当たっているが、
犯人として収監されていた男性とは別に、真犯人の存在が明らかになり、
ついに事件解決に至る。

一方、新たな難敵が現れ、マリサのFBIの同僚兼恋人が殺害される。


行動科学の分析で捜査に当たるという、インテリジェンスな要素が良い。
ドラマとしてやや地味ながらも、コメディタッチも含めつつ、
キャラクターも軽妙。

本国でも評判は良くて、シーズン2の政策はすぐに決まったのに、
何故かシーズン2で打ち切りになっちゃったんだって。残念。
ネットの記事によると、
シーズン1放送当時、脚本家協会のストライキで、ドラマ制作数が減少し、
競争が緩くて高視聴率が取れたけど、
ストライキが終わって多くのドラマが制作されるようになると、
シーズン2の視聴率が伸び悩みを見せたんだとか。

前述の通り、やや地味目ではある。
派手な美男美女は出て来ないし、元のキャラクター人数も少ない。
でも、現在WOWOWで放送されている海外ドラマが、
アメリカのアクションものか、北欧ミステリーに偏っていて、
重苦しい印象もあるので、
今作のような、知的なインプットのあるドラマの存在に清涼感を覚えていた。

とりあえず、シーズン2の放送を楽しみに待とう。