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マンガ家Mの日常
内田康夫先生の原作ものはこれで最後。


ネタバレあります。
再録ですけど、未読の方は、
今月20日頃ぶんか社より発売予定の「このミステリーが面白い!」で、読んでから、
こちらのブログを見てね。


見返すと、やはり、話の流れが分かり難い気がする。
エピソードを省いてコンパクトにしようにも、
人間関係の複雑さによる事件の為、エピソードを省いては成立しなくなってしまう。
登場人物が多い事から、読者の感情移入の対象が絞りきれないのも良くない。
元々、少女マンガの為の原作ではないので、と言うしかない。

当時の担当編集者は、内田先生の作品があまり好きではなくて、
2、3問題点を挙げており、それが今作にも当てはまる。

担当編集者が挙げていたのは、
優等生的に話を収めようとする為、犯人が自ら命を絶つ形で締めくくる事が多い点。
そういう設定を否定する訳では無いけれど、内田先生の作品では確かに多い。
大量生産していれば、似通った設定を使いがちになるのはよくある事。
また、今作は岡部警部ものだけど、
浅見光彦シリーズにおいては、光彦が安易な正義感を振りかざすのが嫌だ、と
その編集者は語っていた。

今作に限らないのだけど、
ストーリーの展開上、無理やりな感のある殺人も多くあって、
回を重ねる毎にシンドくなって来てしまっていた。
ただのフィクション、ただのマンガ、とは言え、
それなりに感情移入しなければ絵は描けないので、
無意で残忍な殺人の場面を描くのは精神的に辛い。
それは結局、私自身が原作に納得しきれていなかったからだと言えるかもしれない。

十分なページ数が使えて、心理描写をじっくり描き込められれば、
もっと納得いくものになったと思う。

与えられた状況下で、やるべき事はやった、と思う他無い。







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もうじき手が離れると思うとホッとする...。


ネタバレあります。
未読の方は、6月20日頃の雑誌発売を待って、こちらを読んでね。


推理小説の形にも色々あるのだろうけど、
シャーロック・ホームズのような古き良き時代は過ぎ去り、
設定が複雑化する事で、物語の差異とされている。
内田康夫先生の作品でも、トリックと言うよりは、
社会状況と人間関係のしがらみで物語が組み立てられている。
そのせいか、人間関係が複雑過ぎて、少し分かり難いと感じる場面もある。

修正しながら原稿を読み返してみると、事件の流れの分かり難さが気になった。
私の力不足と言われてしまえば、それも否定はしきれないのだけど、
基本、原作通りに描いているので...。

トリックをどう捉えるか、なのだけど、
後半の種明かしで読者をもっと納得させる為にも、
五味と小暮のキャラクターの違いを明確にしておく方が良かった。
この二人の顔立ちが似ているというのがトリックの起点なので、
見た目は似たような感じで描くしかないのだけど、
言動や立ち居振る舞い、何らかの性癖等で、二人の違いを見せておくべきだった。
僅かな違和感を読者や主人公に感じさせておく方が、
種明かしがより効果的になるのは明らか。
それは、冒頭の横堀の宿での茂木と小暮の出会いのシーンに、
事前の設定の甘さが現れていると言わざるを得ない。

小説の出版事情もあって、海外では、例えば
ダン・ブラウンやジェフリー・ディーヴァーのような巨匠クラスになると、
1作の執筆に長い月日をかける。
複雑極まりない事件が、緻密な構成によって、精密機械のように展開し、
見事な着地を見せる。

一方で、新書本で発行される日本のミステリー小説は、
ハーレクインのようなペーパーバック程では無いにしても、
大量生産が求められ、作家は短期間で作品を仕上げる必要がある。
当然、質はやや劣るが、充分なエンターテインメントとして読者の欲求を満たす。
内田先生の場合、取材をして、物語の大まかな構成は頭にあるとしても、
執筆にかかる段階で、明確な流れを規定しておらず、
書き進める中で、「この人物が犯人ならば当てはまる。」
と、なっていくケースも多いらしい。
となれば、前半のシーンで、設定ミスが起こり得るのは否めない。

また、登場人物が多い事もあって、
この原作の規模であれば、コミック化するには、倍の枚数があっても良い。
それくらいのページの余裕が無いと、画面での表現が十分には出来かねる。
その点もまた、作品を分かり難くしている要因だと思える。

しかしながら、月刊誌という形態で推理物を掲載すると、
話の展開が難しくて、読者が月々のペースでは付いて来れない。
それはアンケート結果に現れる。
編集部としては、なるべく短期連載で、
コミックス1冊にまとめるのが望ましいと考えるようになる。
目先の売り上げやアンケートを意識する事で、作品をスポイルしてしまう。

何もかもをマンガ家に押し付けるのではなく、
こうしたミステリー作品を掲載するのであれば、
どのような形で作品作りをして読者に届けるのが良いか、
編集者はもっと知恵を絞るべきだと思う。


修正作業を進めていると、
あちこちにまた、編集者が勝手にネームを書き換えた部分が見つかる。

日本語としての言葉の流れがおかしくなっていたり、
台詞のニュアンスが変わってしまっていたりして、とても迷惑。

ニュアンアスの違いは、人によって感じ方がそれぞれだから仕方無いとしても、
日本語として変なのは勘弁して欲しい。それくらい分からんのかな。
言語感覚のレベルが低いようでは、編集者失格。


昼の間は諸々の用事が目について、気を取られてしまいがち。
なので、原稿の作業はやはり深夜が捗る。

食事の時間帯はなるべく崩さないようにしているんだけど、
どうしても深夜に小腹が空く。
スーパーで袋入りのが安かったこともあって、まとめ買いして、
最近はチキンラーメンにはまっている。

普通のカップ麺だと、夜中に食べるには量が多過ぎるけど、
チキンラーメンなら、食べたい分だけ麺を割って、その分のお湯を入れれば良い。
気分次第で、野菜やソーセージを加える。簡単便利。

チキンラーメンって、10年以上食べてなかった。
ここに来て、ふと食べてみようとなったのは、楽な事もあるけれど、
錦織くん効果かもしれないな。
日清がスポンサーに付いていて、
鳥のキャラクターのCMがFacebookにも上がってくる。

私が食べたチキンラーメンの代金が、スポンサー料となって錦織くんを支えている。




前にもちょっと書いたかな。

原稿の修正作業をやっていて、
時々、写植の位置バランスが悪いのに目が行く。

単にズレてるだけのものも多いのだけど、
何か変だな、と思って、写植を少し剥がしてみると、
ネームが違っている。

編集者が書き換えたのだ、マンガ家に無断で。

内田先生の作品に関しては、
通常の担当編集者の他に、内田先生の担当がいて、
そのどちらかが書き換えたのか、よくは分からない。

どっちであるにせよ、
ネームの変更は、ネームチェックの時に話し合われるものだし、
後から読み返して、やっぱり気になって、変更したいと考えたのであれば、
マンガ家に連絡するのが筋というもの。


女性マンガ家を軽視して、手下扱いで、何をやっても良いと思ってる、
この時の編集部はそういう集団だった。


編集者にしても、作品をダメにしようと思って書き換えているのではないとは
理解している。
しかし、まずは著作権者であるマンガ家の了解を求めるべきだし、
原作ものの場合、こちらとしても極力原作に沿った台詞を使用しているので、
原作者に対しての敬意もあって然るべき。

あれだけ、「原作通りにしろ。」と言っておきながら、
自分達は勝手に書き換えるのか。

書き換えたものが、原作より、元のネームより、優れたものであればまだ良い。
でも、どうもしっくり来ていない。
どんなに短い台詞であっても、原作者もマンガ家も、
長い時間頭を悩ませて出した結果のもの。
それを書き換えると言うなら、論理的な説明をすべきだし、
話し合いを経ずに書き換えた結果、
明らかに、論理的に劣る内容にしかなっていない事に苛立ちを覚える。

はい、ちゃんと話し合いをして下されば、
貴方様のお書きになったものがどう拙いか、きちんと説明致します。

ネームにおいて、こちらはそれが出来るだけの努力と研鑽を積み重ねて来た。


今回、元通りにする機会を得られて良かった。


原稿修正、残すところ、ラスト1話分。
まだまだ手が必要。

やたらこんもりベタベタと乗っかってるホワイトを剝ぐ。
僅かな薄い汚れに、どうしてこんなにてんこ盛りにホワイト乗っけてるんだ?
原稿が汚く見えて仕様が無い。

ひたすらトーン作業。

「華の下にて」「長崎殺人事件」と来て、3本分。およそ600ページ。
ずーっと修正作業を続けて来た。
さすがにシンドイ。飽きる。

でも、これが終わっても、まだ他のが沢山残ってる。
元のまま出しても良いんだろうけど、
やっぱり、今の能力で出来る範囲の事をしなくちゃ、後悔する。


雑誌のページ割の都合上、
「横山大観殺人事件」再録は2回に分けての掲載となった。
人間関係が込み入ってるんで、2ヶ月、間が空くと、話が分かり難いかも。
元がそういう構成だから。

マンガでの連載形式だと、例えばダン・ブラウンの作品のように、
段階的に目標が達成されていく構成の方が、読者を惹きつけるだろう。
マンガはマンガなんで、本来はマンガの為の原作が好ましい。
キャラクターや人物相関関係の設定も、独自性が必要。


...とにかく、後少し。頑張る。