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マンガ家Mの日常
もうじき手が離れると思うとホッとする...。


ネタバレあります。
未読の方は、6月20日頃の雑誌発売を待って、こちらを読んでね。


推理小説の形にも色々あるのだろうけど、
シャーロック・ホームズのような古き良き時代は過ぎ去り、
設定が複雑化する事で、物語の差異とされている。
内田康夫先生の作品でも、トリックと言うよりは、
社会状況と人間関係のしがらみで物語が組み立てられている。
そのせいか、人間関係が複雑過ぎて、少し分かり難いと感じる場面もある。

修正しながら原稿を読み返してみると、事件の流れの分かり難さが気になった。
私の力不足と言われてしまえば、それも否定はしきれないのだけど、
基本、原作通りに描いているので...。

トリックをどう捉えるか、なのだけど、
後半の種明かしで読者をもっと納得させる為にも、
五味と小暮のキャラクターの違いを明確にしておく方が良かった。
この二人の顔立ちが似ているというのがトリックの起点なので、
見た目は似たような感じで描くしかないのだけど、
言動や立ち居振る舞い、何らかの性癖等で、二人の違いを見せておくべきだった。
僅かな違和感を読者や主人公に感じさせておく方が、
種明かしがより効果的になるのは明らか。
それは、冒頭の横堀の宿での茂木と小暮の出会いのシーンに、
事前の設定の甘さが現れていると言わざるを得ない。

小説の出版事情もあって、海外では、例えば
ダン・ブラウンやジェフリー・ディーヴァーのような巨匠クラスになると、
1作の執筆に長い月日をかける。
複雑極まりない事件が、緻密な構成によって、精密機械のように展開し、
見事な着地を見せる。

一方で、新書本で発行される日本のミステリー小説は、
ハーレクインのようなペーパーバック程では無いにしても、
大量生産が求められ、作家は短期間で作品を仕上げる必要がある。
当然、質はやや劣るが、充分なエンターテインメントとして読者の欲求を満たす。
内田先生の場合、取材をして、物語の大まかな構成は頭にあるとしても、
執筆にかかる段階で、明確な流れを規定しておらず、
書き進める中で、「この人物が犯人ならば当てはまる。」
と、なっていくケースも多いらしい。
となれば、前半のシーンで、設定ミスが起こり得るのは否めない。

また、登場人物が多い事もあって、
この原作の規模であれば、コミック化するには、倍の枚数があっても良い。
それくらいのページの余裕が無いと、画面での表現が十分には出来かねる。
その点もまた、作品を分かり難くしている要因だと思える。

しかしながら、月刊誌という形態で推理物を掲載すると、
話の展開が難しくて、読者が月々のペースでは付いて来れない。
それはアンケート結果に現れる。
編集部としては、なるべく短期連載で、
コミックス1冊にまとめるのが望ましいと考えるようになる。
目先の売り上げやアンケートを意識する事で、作品をスポイルしてしまう。

何もかもをマンガ家に押し付けるのではなく、
こうしたミステリー作品を掲載するのであれば、
どのような形で作品作りをして読者に届けるのが良いか、
編集者はもっと知恵を絞るべきだと思う。

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