ネタバレ注意。
なかなか骨太で見応えがありました。
ただ、2000年、2003年、2010年と、
事件の展開が3層構造になっているのが、やはり疲れる。
ミステリーは、過去に起こった出来事に由来して現在の事件が起きるわけだから、
元々が重層構造になっているので、
こうした見せ方で謎解きのスリルを増加させる効果はあって、
そういうのが流行りで、
制作者側もそういうのにチャレンジしたいという気持ちはわかるが、
見る側からすると、時間軸を整理するのに神経すり減らす。
中国語名に馴染みが薄くて、瞬時に関係性を判別しきれないのも原因の一つ。
で、やっぱり、
展開の構造に凝るタイプのミステリーでは、
大元の事件の設定がやや弱い嫌いがある。
今作では、要するに、企業と市長の癒着が発覚するという
ありふれたオチに帰結する。
中国で製作されたドラマを殆ど観てこなかったので、
つい色々と注文をつけてしまいたくなる。
所々、どうにも台詞や演出が古臭い。
日本だったら、(マンガのネームなら尚の事)直しを喰らうだろう。
そういうところに登場人物達の純朴さも通じているのかもしれないけれど。
ホウ・グイピンに始まって、
彼らの事件解決への真摯な取り組みに感銘を受ける。
ドラマの最初の方でフィーチュアーされていた女性刑事が、
後半尻すぼみで、思った程活躍しなかったのはやや腰砕け。
2000年頃だったら、日本では老若男女、多くの茶髪が既に見られた。
でも、中国では、茶髪はよっぽどの若いチンピラだけなのね。
貧しい農村部はともかく、ファッションもかなり古めかしい。
日本なら昭和40年代頃か。
人物像やファッションの古めかしさに反比例?して、
性的な表現は思いの外露骨で、ちょっと驚かされた。
製作がハリウッド基準のレーティングとは遠い位置にあるからなんだろう。
今回は吹き替え版で視聴。
メインキャラクターは、堀内賢雄、楠大典、森田順平、てらそままさき、
等々、トップクラスの声優陣が担当していて、日本側の意気込みも伝わる。
ところが、
私が彼らの吹き替えによるアメリカドラマを見過ぎているせいなのか、
日本人とほぼ同じ中国人の顔立ちに対して、
アメリカドラマ的なクリアな台詞回しに、逆に違和感を覚えてしまった。
上手過ぎない方が良いかもしれないなんて、申し訳ない話だけど。
原作小説の日本語訳はまだ出てないそうで、
今回のTV再放送で発刊のきっかけをつかめるかも?
なかなか骨太で見応えがありました。
ただ、2000年、2003年、2010年と、
事件の展開が3層構造になっているのが、やはり疲れる。
ミステリーは、過去に起こった出来事に由来して現在の事件が起きるわけだから、
元々が重層構造になっているので、
こうした見せ方で謎解きのスリルを増加させる効果はあって、
そういうのが流行りで、
制作者側もそういうのにチャレンジしたいという気持ちはわかるが、
見る側からすると、時間軸を整理するのに神経すり減らす。
中国語名に馴染みが薄くて、瞬時に関係性を判別しきれないのも原因の一つ。
で、やっぱり、
展開の構造に凝るタイプのミステリーでは、
大元の事件の設定がやや弱い嫌いがある。
今作では、要するに、企業と市長の癒着が発覚するという
ありふれたオチに帰結する。
中国で製作されたドラマを殆ど観てこなかったので、
つい色々と注文をつけてしまいたくなる。
所々、どうにも台詞や演出が古臭い。
日本だったら、(マンガのネームなら尚の事)直しを喰らうだろう。
そういうところに登場人物達の純朴さも通じているのかもしれないけれど。
ホウ・グイピンに始まって、
彼らの事件解決への真摯な取り組みに感銘を受ける。
ドラマの最初の方でフィーチュアーされていた女性刑事が、
後半尻すぼみで、思った程活躍しなかったのはやや腰砕け。
2000年頃だったら、日本では老若男女、多くの茶髪が既に見られた。
でも、中国では、茶髪はよっぽどの若いチンピラだけなのね。
貧しい農村部はともかく、ファッションもかなり古めかしい。
日本なら昭和40年代頃か。
人物像やファッションの古めかしさに反比例?して、
性的な表現は思いの外露骨で、ちょっと驚かされた。
製作がハリウッド基準のレーティングとは遠い位置にあるからなんだろう。
今回は吹き替え版で視聴。
メインキャラクターは、堀内賢雄、楠大典、森田順平、てらそままさき、
等々、トップクラスの声優陣が担当していて、日本側の意気込みも伝わる。
ところが、
私が彼らの吹き替えによるアメリカドラマを見過ぎているせいなのか、
日本人とほぼ同じ中国人の顔立ちに対して、
アメリカドラマ的なクリアな台詞回しに、逆に違和感を覚えてしまった。
上手過ぎない方が良いかもしれないなんて、申し訳ない話だけど。
原作小説の日本語訳はまだ出てないそうで、
今回のTV再放送で発刊のきっかけをつかめるかも?
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ネタバレ注意。
中国のサスペンスドラマのミニシリーズ。
全12話。
2010年、弁護士ジャン・チャオが地下鉄駅で爆弾騒ぎを起こし、
逮捕されると、手持ちのスーツケースから男性の遺体が出て来た。
遺体は、元検察官のジアン・ヤン。
ジャン・チャオは逮捕時には殺害を自白したが、裁判で無実を主張すると、
新聞社に、何者からか、事件を24日以内に解決するよう、また、
同封の写真の欠片を新聞の一面に毎日掲載するよう、脅迫状が届く。
特別捜査本部が設置され、
ベテラン刑事イェン・リャンが指揮官として招聘される。
2003年、ジアン・ヤンは大学時代の美人同級生リー・ジンから、
元彼ホウ・グイピンの死についての調査を依頼される。
2000年、ホウ・グイピンは貧しい農村部の学校に教育支援に出向き、
熱心な指導で教師や生徒達と良好な関係を築く。
ところが、村の少女達が権力者達への性接待を強要されていると知らされ、
事態の調査を始めると、逆に、レイプ容疑をかけられ、殺害されてしまう。
当時は自殺として処理された。
ジアン・ヤンは僅かな手がかりを追って捜査を進めると、
監察医チェン・ミンジャンや刑事ジュー・ウェイらも協力を買って出る。
地元の巨大企業カーングループと、市長、警察が結託して利益を貪っていた。
性接待強要を調べる中で、権力者達の癒着を知ったホウ・グイピンは殺され、
3年後に捜査に乗り出したジアン・ヤンもまた罠にかけられ、
収賄罪で逮捕、収監され、検察官の身分も剥奪される。
ジアン・ヤンは出所後、肺癌を患い、体調不良で自暴自棄になりかけたが、
残り僅かとなった余命を賭して、カーングループの悪事を暴く計画を立てる。
自殺と爆弾騒ぎで世間の注目を集め、
警察に、大掛かりな捜査を行うよう仕向けたのだった。
カーングループや、汚職警官リー・ジエングオらの度重なる妨害工作に会うが、
ジュー・ウェイは遂に真相を突き止め、ホウ・グイピンらの汚名を晴らす。
ジャン・チャオ、チェン・ミンジャン、ジュー・ウェイらは、
爆弾騒動等の責任を問われて服役する事になるが、
それも全て承知の上での計画遂行だった。
新聞社で記事を担当していたジャン・シャオチェンは、
実は農村での性接待の被害者の1人で、
用意周到な真相解明の計画に最初から加担していたのだった。
2017年、全員が無事服役を終え、ジアン・ヤンの墓参りに集結する。
ジュー・ウェイは、ジャン・チャオに、
爆弾事件の小道具のコントローラーをそっと手渡す。
(ジュー・ウェイもまた、計画に加わっていた1人だった?)
感想は次回。
中国のサスペンスドラマのミニシリーズ。
全12話。
2010年、弁護士ジャン・チャオが地下鉄駅で爆弾騒ぎを起こし、
逮捕されると、手持ちのスーツケースから男性の遺体が出て来た。
遺体は、元検察官のジアン・ヤン。
ジャン・チャオは逮捕時には殺害を自白したが、裁判で無実を主張すると、
新聞社に、何者からか、事件を24日以内に解決するよう、また、
同封の写真の欠片を新聞の一面に毎日掲載するよう、脅迫状が届く。
特別捜査本部が設置され、
ベテラン刑事イェン・リャンが指揮官として招聘される。
2003年、ジアン・ヤンは大学時代の美人同級生リー・ジンから、
元彼ホウ・グイピンの死についての調査を依頼される。
2000年、ホウ・グイピンは貧しい農村部の学校に教育支援に出向き、
熱心な指導で教師や生徒達と良好な関係を築く。
ところが、村の少女達が権力者達への性接待を強要されていると知らされ、
事態の調査を始めると、逆に、レイプ容疑をかけられ、殺害されてしまう。
当時は自殺として処理された。
ジアン・ヤンは僅かな手がかりを追って捜査を進めると、
監察医チェン・ミンジャンや刑事ジュー・ウェイらも協力を買って出る。
地元の巨大企業カーングループと、市長、警察が結託して利益を貪っていた。
性接待強要を調べる中で、権力者達の癒着を知ったホウ・グイピンは殺され、
3年後に捜査に乗り出したジアン・ヤンもまた罠にかけられ、
収賄罪で逮捕、収監され、検察官の身分も剥奪される。
ジアン・ヤンは出所後、肺癌を患い、体調不良で自暴自棄になりかけたが、
残り僅かとなった余命を賭して、カーングループの悪事を暴く計画を立てる。
自殺と爆弾騒ぎで世間の注目を集め、
警察に、大掛かりな捜査を行うよう仕向けたのだった。
カーングループや、汚職警官リー・ジエングオらの度重なる妨害工作に会うが、
ジュー・ウェイは遂に真相を突き止め、ホウ・グイピンらの汚名を晴らす。
ジャン・チャオ、チェン・ミンジャン、ジュー・ウェイらは、
爆弾騒動等の責任を問われて服役する事になるが、
それも全て承知の上での計画遂行だった。
新聞社で記事を担当していたジャン・シャオチェンは、
実は農村での性接待の被害者の1人で、
用意周到な真相解明の計画に最初から加担していたのだった。
2017年、全員が無事服役を終え、ジアン・ヤンの墓参りに集結する。
ジュー・ウェイは、ジャン・チャオに、
爆弾事件の小道具のコントローラーをそっと手渡す。
(ジュー・ウェイもまた、計画に加わっていた1人だった?)
感想は次回。
かつてのミスター・ハリウッド、ケヴィン・コスナーが離婚を発表。
コスナー68歳で、元妻となった相手の女性は19歳下。
WOWOWで放送中の「イエローストーン」では、妻に先立たれて、
その後恋人は出来たが、今は独り身という、ちょっと寂しい設定が現実と被る。
でも、ドラマの中では「50代」と言われていた。
「50代」に見えるという、相手女性のお世辞なんだか。
ちょっと無理がある。
クリント・イーストウッド程ではなくても、
あまりにも歳下の若い女優と絡ませるのは、観ていて辛くなる。
「イエローストーン」面白いです。
カウボーイが馬を乗りこなすシーンに見惚れる。
コスナーも、今でこそ歳取っちゃったけど、
「シルバラード」の時の乗馬シーンは、まさしく人馬一体でカッコ良かった。
抜群の運動神経は、俳優にとって大事な武器。
21世紀の今も、牧場はこんな感じなのかなぁ。
まるで西部劇の時代。
コスナー68歳で、元妻となった相手の女性は19歳下。
WOWOWで放送中の「イエローストーン」では、妻に先立たれて、
その後恋人は出来たが、今は独り身という、ちょっと寂しい設定が現実と被る。
でも、ドラマの中では「50代」と言われていた。
「50代」に見えるという、相手女性のお世辞なんだか。
ちょっと無理がある。
クリント・イーストウッド程ではなくても、
あまりにも歳下の若い女優と絡ませるのは、観ていて辛くなる。
「イエローストーン」面白いです。
カウボーイが馬を乗りこなすシーンに見惚れる。
コスナーも、今でこそ歳取っちゃったけど、
「シルバラード」の時の乗馬シーンは、まさしく人馬一体でカッコ良かった。
抜群の運動神経は、俳優にとって大事な武器。
21世紀の今も、牧場はこんな感じなのかなぁ。
まるで西部劇の時代。
途中まで観て繰越にしていた映画の続きを観ようと思ったが、
第2次世界大戦中のユダヤ人避難民の物語で、
その時の感覚でちょっと重かったので、別の映画を観る事にした。
タイトルがロマンチックなイメージで、ミステリーだとの紹介があり、
良さそうだなぁと思って観始めたが、
なんと、こちらもユダヤ人避難民の物語だった。
1939年、第二次世界大戦開戦直前のロンドン。
資産家のギルバートは、貧しいポーランド系ユダヤ人家庭から、
ヴァイオリン演奏に秀でた少年ドヴィドルを預かり、
一流のヴァイオリニストに育つよう、惜しみなく支援した。
ギルバートの息子マーティンと同年代で、次第に兄弟のように仲良くなった。
戦争が激化する中、ドヴィドルの家族はトレブリンカ強制収容所に送られ、
戦後も生死不明となった。
ドヴィドルはレコード録音も果たし、新進気鋭のヴァイオリニストとして、
1951年、ギルバートの主催で大規模なコンサートを開催する事となった。
しかし、コンサート当日ドヴィドルは現れず、そのまま行方不明となった。
ギルバートはドヴィドルが死んだと思い、絶望の淵で2ヶ月後に他界する。
35年後、作曲家としてコンクール審査員を務めたマーティンは、
参加者の少年がドヴィドルと同じ仕草をするのを見て、
ドヴィドルが生きていると確信し、行方を探し当てる。
35年前、ドヴィドルはコンサート前日、バスに乗車中寝過ごし、
見知らぬユダヤ人街に行き着いた。
シナゴーグで、家族全員が亡くなったと知らされ、そのまま7日間の喪に服し、
改めてユダヤ人としての生き方に目覚める。
ドヴィドルは恩返しとして、
かつてギルバートが企画した通りのコンサートでの演奏を承諾する。
最後に自作の鎮魂曲を演奏し、再び姿を消す。
ホロコーストがテーマで、それは人類にとっても重要な事なんだけど、
映画としてはやや退屈だった。
子供時代、青年時代、その後と、
3つの時代が目まぐるしく交錯する形で構成されていて、その手のは疲れる。
エピソードの薄さを、編集で何とかスリリングにして見せようと
としているように感じられる。
原題の「The Song of Names」は、
ユダヤ系ポーランド人が、犠牲者の名前を歌に織り込んで伝承した事を表す。
深い信仰。
ドヴィドルのライバル的なポーランド系ユダヤ人青年もまた、
家族全滅を知らされて、精神が破綻してしまう。
ドヴィドルが何故ヴァイオリニストとしての将来を捨ててしまったのか、
映画鑑賞者の我々には少し伝わり難いが、
全ての人類に、ホロコーストの衝撃を重く受け止める責務がある。
ヴァイオリンの音源は当然吹き替えとしても、
成人したドヴィドル役のクライヴ・オーウェンの演奏シーンは見事。
マーティン役のティム・ロスは相変わらずややオーバーアクト気味。
第2次世界大戦中のユダヤ人避難民の物語で、
その時の感覚でちょっと重かったので、別の映画を観る事にした。
タイトルがロマンチックなイメージで、ミステリーだとの紹介があり、
良さそうだなぁと思って観始めたが、
なんと、こちらもユダヤ人避難民の物語だった。
1939年、第二次世界大戦開戦直前のロンドン。
資産家のギルバートは、貧しいポーランド系ユダヤ人家庭から、
ヴァイオリン演奏に秀でた少年ドヴィドルを預かり、
一流のヴァイオリニストに育つよう、惜しみなく支援した。
ギルバートの息子マーティンと同年代で、次第に兄弟のように仲良くなった。
戦争が激化する中、ドヴィドルの家族はトレブリンカ強制収容所に送られ、
戦後も生死不明となった。
ドヴィドルはレコード録音も果たし、新進気鋭のヴァイオリニストとして、
1951年、ギルバートの主催で大規模なコンサートを開催する事となった。
しかし、コンサート当日ドヴィドルは現れず、そのまま行方不明となった。
ギルバートはドヴィドルが死んだと思い、絶望の淵で2ヶ月後に他界する。
35年後、作曲家としてコンクール審査員を務めたマーティンは、
参加者の少年がドヴィドルと同じ仕草をするのを見て、
ドヴィドルが生きていると確信し、行方を探し当てる。
35年前、ドヴィドルはコンサート前日、バスに乗車中寝過ごし、
見知らぬユダヤ人街に行き着いた。
シナゴーグで、家族全員が亡くなったと知らされ、そのまま7日間の喪に服し、
改めてユダヤ人としての生き方に目覚める。
ドヴィドルは恩返しとして、
かつてギルバートが企画した通りのコンサートでの演奏を承諾する。
最後に自作の鎮魂曲を演奏し、再び姿を消す。
ホロコーストがテーマで、それは人類にとっても重要な事なんだけど、
映画としてはやや退屈だった。
子供時代、青年時代、その後と、
3つの時代が目まぐるしく交錯する形で構成されていて、その手のは疲れる。
エピソードの薄さを、編集で何とかスリリングにして見せようと
としているように感じられる。
原題の「The Song of Names」は、
ユダヤ系ポーランド人が、犠牲者の名前を歌に織り込んで伝承した事を表す。
深い信仰。
ドヴィドルのライバル的なポーランド系ユダヤ人青年もまた、
家族全滅を知らされて、精神が破綻してしまう。
ドヴィドルが何故ヴァイオリニストとしての将来を捨ててしまったのか、
映画鑑賞者の我々には少し伝わり難いが、
全ての人類に、ホロコーストの衝撃を重く受け止める責務がある。
ヴァイオリンの音源は当然吹き替えとしても、
成人したドヴィドル役のクライヴ・オーウェンの演奏シーンは見事。
マーティン役のティム・ロスは相変わらずややオーバーアクト気味。
注目の若手美男俳優ティモシー・シャラメ主演、
実話を基にしたドラマ映画。
大学に進学したニックは、ふとした出来心から大麻を体験すると、
その後は次第に強いドラッグにハマり、深刻な依存症に陥った。
両親はニックが幼い頃に離婚。
父親デヴィッドはカレンと再婚して、2児に恵まれた。
ニックは大学進学前まで父親と同居しており、家族仲は良好だった。
父親をメインに、カレンや実の母親もニックのリハビリに協力するが、
少し回復すると、施設を抜け出し、再びドラッグに手を出してしまう、
その繰り返しで、家族は疲弊する。
カレンは幼い子供達を気にかけなければならない。
デヴィッドも、一度はニックを突き放す決意を固めるが、
暫くの後ニックから連絡があると、改めてリハビリのサポートをする。
今作のモデルとなった実際の青年は、その後8年間クスリを断ち、
同じようなリハビリ患者の支援をしている。
主人公が立ち直ったのは良かったが、
映画として訴えかけるものは残念ながら感じられなかった。
リハビリ施設ってかなり高額で、お父さん大変そうだなぁとか、それだけ。
美男のティモシー・シャラメが、適度にグッタリするくらいで、
さして悲惨な状況にもならないし、結局お父さんが全部助けてくれる。
現実の依存症に苦しむ人達は、今作を観てどう思うのだろうか。
タイトルの「ビューティフル・ボーイ」は、
ジョン・レノンが次男ショーンに捧げた楽曲で、映画の中でも流れる。
愛しい息子の成長を見守る父親。
実話を基にしたドラマ映画。
大学に進学したニックは、ふとした出来心から大麻を体験すると、
その後は次第に強いドラッグにハマり、深刻な依存症に陥った。
両親はニックが幼い頃に離婚。
父親デヴィッドはカレンと再婚して、2児に恵まれた。
ニックは大学進学前まで父親と同居しており、家族仲は良好だった。
父親をメインに、カレンや実の母親もニックのリハビリに協力するが、
少し回復すると、施設を抜け出し、再びドラッグに手を出してしまう、
その繰り返しで、家族は疲弊する。
カレンは幼い子供達を気にかけなければならない。
デヴィッドも、一度はニックを突き放す決意を固めるが、
暫くの後ニックから連絡があると、改めてリハビリのサポートをする。
今作のモデルとなった実際の青年は、その後8年間クスリを断ち、
同じようなリハビリ患者の支援をしている。
主人公が立ち直ったのは良かったが、
映画として訴えかけるものは残念ながら感じられなかった。
リハビリ施設ってかなり高額で、お父さん大変そうだなぁとか、それだけ。
美男のティモシー・シャラメが、適度にグッタリするくらいで、
さして悲惨な状況にもならないし、結局お父さんが全部助けてくれる。
現実の依存症に苦しむ人達は、今作を観てどう思うのだろうか。
タイトルの「ビューティフル・ボーイ」は、
ジョン・レノンが次男ショーンに捧げた楽曲で、映画の中でも流れる。
愛しい息子の成長を見守る父親。