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マンガ家Mの日常
ニュージーランドの社会派映画。


シングルマザーのバニーは、妹夫婦の家に居候しつつ、
自動車の窓拭きで日銭を稼いでいた。
里親預かりになっている2人の子供達を引き取るには、
住まいと定職が必要で、その為にお金を貯めようと奮闘する日々。
もうすぐ下の娘の誕生日。
それまでに何とか家を見つけたい。

妹の再婚相手ビーバンに、ガレージを家代わりに使わせてもらうよう頼むが、
ビーバンが妹の娘トーニャに手を出そうとしているのを偶然見てしまい、
騒ぎになって、家を追い出される。
窓拭き仲間が自宅に呼んでくれて、かろうじて居場所を得る。
その家が自分の家であるかのように見せかけ、社会福祉士を騙し、
娘と誕生日を過ごすよう手配するが、
直前に許可なく子供達に会いに里親の元へ行ったのが規則違反で、
子供達は別の里親の家へ移動させられ、バニーは子供達に会えなくなった。

ビーバンの車を盗み出し、家から離れたがったトーニャを連れて、
子供達の里親の家がある街へ向かう。

娘は両膝が不自由で、歩行器がないと動けない。
(両膝の状態は生まれつきなのか、夫の暴力のせいなのか?)
娘に激しく暴力を振るう夫を殺害した罪でバニーは服役していたのだった。

幼い娘との約束を守ろうと必死のバニーは、
量販店でプレゼントやパーティーグッズを万引きし、
現地の福祉事務所で妹と偽って子供達の行き先を聞き出そうとするが、
すぐにバレる。
思い余ったバニーは、子供達の行き先を知らせるよう職員を脅すと、
間も無く、トーニャ誘拐と立てこもり事件として、警察に包囲される。
バニーの事情を理解した職員は、時間をかけて説得。
子供達と電話で話せるよう手配する。
最後にはバニーは諦めて投降しようとするが、
銃を所持していると誤解され、狙撃手に肩を撃ち抜かれ、倒れる。
軽症で済み、救急車で運ばれる。


冒頭、薄汚れた姿で窓拭きをするタフなシングルマザーという設定で始まり、
ケン・ローチ監督の作品のような展開かと思いきや、
誘拐、立てこもり、ドラッグ中毒(全て誤解)、警察の包囲、狙撃手登場
というところまで行き着いたのには、予想を覆された。

バニー自身、衝動的な怒りを抑えられないという自覚はあるが、
その怒りには常に意味があり、
元を正せば、ただ子供達を愛しているというに尽きる。

健康で働く意欲があり、妹宅に居候していた間も丁寧に家事をこなす、
申し分ない母親の筈が、ボタンの掛け違いで窮地に陥ってしまう。
家庭内暴力と社会の貧困。
何故いつまでもそれらが是正されないのか、見ていて腹がたつ。

それなりの事件になったので、刑務所に逆戻りは仕方ないけど、
次に出所した時には、今回より幸せになれると信じてあげたい。

深夜にふらっと観始めて、眠くなったら途中で寝ようと思っていたが、
勢いに乗せられて、ハラハラしつつ最後まで一気に見てしまった。
バニーを応援したくなる。
ちょっと愚かだったり、結構悪知恵が働いたり、
夫のDVに悩んだ過去があって、トーニャを守るのにも必死になったり。
看護師として昼夜を問わず働く妹の生活、
バニーに温情を示す窓拭き仲間の母親や、福祉士の姿も丁寧に描かれていて、
心を惹きつけられる。

アカデミー賞には縁がなかったようだけど、
トライベッカ映画祭審査員特別賞を始め、世界各国の映画賞を多数受賞した。
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日本のヒット作「カメラを止めるな!」のフランス版リメイク映画。


三重構造の構成。
冒頭のゾンビ映画の撮影中に、
俳優の演技に不満を持った映画監督がゾンビを目覚めさせ、
俳優やスタッフ達が次々とゾンビに襲われる、という映画の撮影。
後半では、撮影中のハプニングの裏舞台が描かれる。


元の日本版を観ていないので、何とも言い難いのだけど、
正直、日本であんなに大騒ぎする程ヒットした作品とも思えない。
チープさを楽しむとしても、それ程楽しめる内容でもない。

ふと思うに、
自分自身がマンガ家として、ある意味「裏方」だからなんだろう。
常に、マンガ制作の「裏方」を見て来た。

(日本版とフランス版がほぼ同じだとして)
今作は、前半の映画作品の中で不自然な部分が、何故そうなったのかという、
裏方のドタバタを楽しむのがメイン。
一発撮りで、ハプニングが生じても、何とか乗り切るしか無かった。
ただ、思えば、それは舞台劇と同じ。
急な代役、俳優の突然の体調不良、小道具大道具のミス等々、
舞台なら日常茶飯事。
当然ながら、舞台は進行を止められないから、
俳優がセリフを忘れたり出遅れたりしたら、アドリブで繋ぐ。
舞台を止めるな!である。

主演は、贅沢にもロマン・デュリス。
彼でなければこの映画も観なかっただろうな。
流石に表情やセリフのテンポ等上手くて楽しませてくれる。

監督は「OSS 117」シリーズや、アカデミー賞受賞作「アーティスト」の
セルジュ・アザナヴィシウス。
アカデミー監督賞受賞という経歴がありながら、この映画?と
思ってしまわなくもないけれど、
「OSS 117」シリーズがルーツとなれば、まぁ、かろうじて納得なのかなぁ。

昨夜、時間が押し迫り、記事が途中となっていました。
残りを書きます。


夫への軽い失望と、校長兼経営者としての責務と、アンドレとの再会で、
ポーレットは古い考えから脱却しつつあった。
「女性」の象徴であるスカートを脱ぎ捨て、活動的なズボンを履く。
折しも、卒業後に年配男性との結婚を強いられる事になった女子生徒が
自殺未遂を起こす。
その不条理に怒り、ポーレットはこれまでの良妻賢母教育を打ち捨て、
女性も自由を求めるよう声を上げる。

翌1968年5月、学校のイベントで皆でパリに行く事になるが、
パリ5月革命の騒乱で道路が渋滞し、バスが動けなくなる。
ポーレットと生徒達はバスを降りて徒歩でパリを目指す。


ジュリエット・ビノシュのコメディエンヌぶりが冴えている。
他の出演者も個性的な役柄を楽しく演じている。
修道女のマリー=テレーズは、なんと、
戦時中はレジスタンスの一員として活躍していたという経歴の持ち主で、
車の運転もこなすし、必要とあればライフルもぶっ放す強者。
引っ込み思案なジルベルトは、ロベールから無償労働をさせられていた。
アンドレにほのかな恋心を寄せるが、ポーレットとの仲を知り失恋すると、
長い髪をすっぱり切って現代風にイメチェンし、活動的になる。
彼女達にも、女性の秘めたる力を感じさせられる。

それにしても、60年代後半のフランスで、このような花嫁学校があって、
良妻賢母を強いられていたというのが軽い驚き。
日本でも、女子短大なんかはほぼ花嫁学校だったろうね。

ラストシーン、バスを降りてパリを目指して果敢に歩き続ける。
エッフェル塔が見えるところまでは来ているけれど、
おそらく徒歩で行くにはまだ楽ではない旅路が残っている。
それは、真の女性解放の道程もまた、
遠く、苦難の連続である事を示唆している。
女性達は、いつか辿り着ける自由を信じ、歩き続ける。

ついでながら、
アンドレがポーレットへの愛と女性への敬意を示すべく、
建物の壁から落ちそうな危機的状況の中、
料理のレシピを語るシーンも良い。


(完了。)

ジュリエット・ビノシュ主演のロマンス映画。


1967年、アルザス地方の田舎にある全寮制の家政学校では、
文字通り家事全般を習得する花嫁修行が行われていた。
徐々に時代遅れとなりつつあり、生徒数は減る一方。

15名の女子生徒達は、それぞれ事情を抱えながらも、
溌剌と青春を謳歌している。

学校の経営者ロベールが、食事中に鳩の小骨を喉に詰まらせ、急死。
妻で校長のポーレットと、ロベールの妹で料理指導担当のジルベルトは
悲嘆に暮れつつ、遺品の整理をしていると、
ロベールの机の中から多数の督促状が見つかる。
家族に隠れてギャンブルにハマっていたロベールは多額の借金を負って、
学校は既に破産寸前。
ポーレットとジルベルトが銀行に相談に行くと、
支店長のアンドレが借金の帳消しと経営再建の手助けを申し出てくれた。

ポーレットとアンドレはひと目見てお互いに気づいていた。
2人は戦争で生き別れた恋人同士だった。
戦地に行ったアンドレの行方はわからなくなり、
過酷な強制労働で両親を失ったポーレットは秘書の仕事に就いた後、
ロベールの求婚を承諾、今に至る。
アンドレも復員後結婚したが、妻は他界し、子供達は成人して独立。
20数年の時を経てフリーとなった2人に障害は無く、
アンドレの強いアプローチに心を動かされたポーレットは
彼の愛情を受け入れる。


(続く。)

深夜、寝付けなくて、
何か王道のサスペンスっぽい映画を観ようと思った。

録画していた中から、少し前のものをチョイス。

ところが、
はっきりとは覚えていなかったものの、
冒頭のシーンにデジャヴ感あり。

ブログの過去記事を検索したら、やっぱりあった。
2017年11月25日に記事を書いている。
ちょうど6年前かぁ。偶然。

6年前の記事に少しばかり付け足すなら、

大学教授のペリーは、弁護士の妻が仕事で多忙な為、学生と不倫。
モロッコ旅行は夫婦関係修復の為で、その後も全編に
夫婦の緊張関係が底層に漂っている。

後、やはり、大学教授が事件に巻き込まれる展開はどうにも厳しくて、
終盤、襲撃者を撃ち殺して平然としているのも無理があるかな。

MI6の捜査官ヘクター役はダミアン・ルイス。
この俳優さんって、スパイもの系で当たり役が多いような。
捜査官顔なのかな。