DCコミックスをベースにしたアクション映画。
メタヒューマンが現代社会の闇で暗躍する。
古代の魔女エンチャントレスがフラッグ大佐の恋人ジェーンに憑依して、
アメリカ政府に奪われた心臓を奪還し、世界の破滅を画策する。
政府高官ウォラーは特殊能力を持つ犯罪者達を集結させ、
特殊部隊タスクフォースX、通称スーサイド・スクワッドを結成。
任務に成功すれば減刑、
逃亡や犯罪を企てれば、首に埋め込んだ小型爆弾で殺害される。
フラッグ大佐がチームを指揮して、
ウォラーを含む政府高官の救助や、エンチャントレス征伐等の任務に当たる。
映画の宣伝等では楽しそうな感じだったので、
普段あまり観ないアクション系だけど、録画して鑑賞。
いや、まぁね、
何というか、
シューティングゲームみたいな感じ?
設定とかあらすじとか、あんまり意味が無い。
ウォラー、秘密保持の為とは言え、罪の無いスタッフ数人をあっさり射殺。
流石にちょっと引くでしょー。
デッドショット役のウィル・スミスは、ビンタ事件から何となく興醒めで、
今作では何だかやたらとシリアスな表情してるのが、かえってバカっぽい。
ジョーカー役のジャレッド・レトは振り切った演技で、
もう顔をまともに出す映画に出ないつもりか。
人気はハーレイ・クインなんだけど、今時の男女平等やルッキズムを考えると、
あのお尻むき出しの衣装は何だかなぁ。
で、
チームとしてメタヒューマンに対抗するにしても、武器とかが頼りない。
デッドショットの射撃の命中率が超人的に優れていても、
それって、メタヒューマンに通じるものなの?
で、他のメンバーはナイフとかだったりするし、
ハーレイ・クインに至っては、野球のバット。
どーせいっちゅうんじゃ。
渋谷の不良相手に喧嘩してるんじゃないだろが。
で、
結局は、同じくメタヒューマンであるディアブロの炎の力でほぼ制圧。
だったら、ディアブロ1人でよくない?
で、
ヘリコプターの爆破で死んだと思われていたジョーカーはしっかり生きてるし、
エンチャントレスに憑依されたジェーンはエンチャントレスの遺体から蘇るし、
何だか凄くご都合主義でどうでもいい感じ。
で、
エンチャントレスは世界破滅に向けて強力なレーザー砲みたいなのを作って、
通信衛星や戦艦をバシバシ破壊してるんだけど、
チームが攻め込んで来たら、対抗策がろくに取れていない。
何でもっとちゃんと戦えないの?
何も考えずに観られる映画でありながら、ツッコミどころ満載。
こういうのは、いわゆるドラマを描いた映画とは別物として捉えるしかない。
町山さんの記事によれば、
2作目は大分改善されているらしい。
メタヒューマンが現代社会の闇で暗躍する。
古代の魔女エンチャントレスがフラッグ大佐の恋人ジェーンに憑依して、
アメリカ政府に奪われた心臓を奪還し、世界の破滅を画策する。
政府高官ウォラーは特殊能力を持つ犯罪者達を集結させ、
特殊部隊タスクフォースX、通称スーサイド・スクワッドを結成。
任務に成功すれば減刑、
逃亡や犯罪を企てれば、首に埋め込んだ小型爆弾で殺害される。
フラッグ大佐がチームを指揮して、
ウォラーを含む政府高官の救助や、エンチャントレス征伐等の任務に当たる。
映画の宣伝等では楽しそうな感じだったので、
普段あまり観ないアクション系だけど、録画して鑑賞。
いや、まぁね、
何というか、
シューティングゲームみたいな感じ?
設定とかあらすじとか、あんまり意味が無い。
ウォラー、秘密保持の為とは言え、罪の無いスタッフ数人をあっさり射殺。
流石にちょっと引くでしょー。
デッドショット役のウィル・スミスは、ビンタ事件から何となく興醒めで、
今作では何だかやたらとシリアスな表情してるのが、かえってバカっぽい。
ジョーカー役のジャレッド・レトは振り切った演技で、
もう顔をまともに出す映画に出ないつもりか。
人気はハーレイ・クインなんだけど、今時の男女平等やルッキズムを考えると、
あのお尻むき出しの衣装は何だかなぁ。
で、
チームとしてメタヒューマンに対抗するにしても、武器とかが頼りない。
デッドショットの射撃の命中率が超人的に優れていても、
それって、メタヒューマンに通じるものなの?
で、他のメンバーはナイフとかだったりするし、
ハーレイ・クインに至っては、野球のバット。
どーせいっちゅうんじゃ。
渋谷の不良相手に喧嘩してるんじゃないだろが。
で、
結局は、同じくメタヒューマンであるディアブロの炎の力でほぼ制圧。
だったら、ディアブロ1人でよくない?
で、
ヘリコプターの爆破で死んだと思われていたジョーカーはしっかり生きてるし、
エンチャントレスに憑依されたジェーンはエンチャントレスの遺体から蘇るし、
何だか凄くご都合主義でどうでもいい感じ。
で、
エンチャントレスは世界破滅に向けて強力なレーザー砲みたいなのを作って、
通信衛星や戦艦をバシバシ破壊してるんだけど、
チームが攻め込んで来たら、対抗策がろくに取れていない。
何でもっとちゃんと戦えないの?
何も考えずに観られる映画でありながら、ツッコミどころ満載。
こういうのは、いわゆるドラマを描いた映画とは別物として捉えるしかない。
町山さんの記事によれば、
2作目は大分改善されているらしい。
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冒頭にエンドロールが流れる件について。
ネット記事での解釈は、あくまでその方のものであって、
監督や脚本家の意見と違うかもしれないんだけど、
それなりに納得ができるようでした。
オーケストラは指揮者が主役だけど、当然ながら指揮者1人では成立しない。
数多くの楽団員やスタッフが存在してこそ、指揮者の晴れ舞台が完成する。
映画も同様。監督は要ではあるが、多くのスタッフの貢献によるもの。
そうしたスタッフの重要性を鑑み、敬意を込めて冒頭に名前を流した。
まぁね〜、エンドロール流れ始める頃に席を立っちゃう人も多いもんね。
最近の映画って、エンドロールがどんどん長くなって、面倒だし。
でも、個人的には最後までみるよ、礼儀として。
ネット記事ではもう少し詳細にも触れている。
フィリピンの指揮台で、ターが演奏直前にヘッドフォンを着ける。
ゲーム音楽のコンサートでは、
ゲームキャラの台詞や効果音と音楽を合わせる必要がある。
ターはヘッドフォンでそれらの音を聴いている。
本来、指揮者がオーケストラ全体を仕切るのだけど、
この場面ではターは外部からの指示を受ける立場になっている。
それは果たして、指揮者としてのターの権威の失墜なのか、
外部の声に耳を貸すようになった、新たなターの姿なのか。
コンサートの前に川下りをするシーンがあり、
現地の青年が映画「地獄の黙示録」に触れる。
カーツ大佐とター自身のイメージの重ね合わせも奥が深い。
鑑賞後、いつまでも語りが尽きない作品。
余談だけど、
ターの養女が学校でいじめられていて、
ターはそれを聞くと、翌日学校で相手の女の子を見つけて、脅しつける。
「娘をいじめたらお前を潰す」と言わんばかり。怖い。
でも、子供同士であっても、
いじめってそれくらいきっぱり対抗しないと収まらない。
個人的にはターの言動を支持するなぁ。
ドラマ「ブラック・リスト」では、リズの娘アグネスがいじめられていて、
レディントンは相手の女の子の父親の職場の社長を脅して、
父親を遠方に移動させ、家族丸ごと追い払った。やるねぇ。
誰か、今作やオーケストラに詳しい人にじっくり話を聞きたい。
(完了。)
ネット記事での解釈は、あくまでその方のものであって、
監督や脚本家の意見と違うかもしれないんだけど、
それなりに納得ができるようでした。
オーケストラは指揮者が主役だけど、当然ながら指揮者1人では成立しない。
数多くの楽団員やスタッフが存在してこそ、指揮者の晴れ舞台が完成する。
映画も同様。監督は要ではあるが、多くのスタッフの貢献によるもの。
そうしたスタッフの重要性を鑑み、敬意を込めて冒頭に名前を流した。
まぁね〜、エンドロール流れ始める頃に席を立っちゃう人も多いもんね。
最近の映画って、エンドロールがどんどん長くなって、面倒だし。
でも、個人的には最後までみるよ、礼儀として。
ネット記事ではもう少し詳細にも触れている。
フィリピンの指揮台で、ターが演奏直前にヘッドフォンを着ける。
ゲーム音楽のコンサートでは、
ゲームキャラの台詞や効果音と音楽を合わせる必要がある。
ターはヘッドフォンでそれらの音を聴いている。
本来、指揮者がオーケストラ全体を仕切るのだけど、
この場面ではターは外部からの指示を受ける立場になっている。
それは果たして、指揮者としてのターの権威の失墜なのか、
外部の声に耳を貸すようになった、新たなターの姿なのか。
コンサートの前に川下りをするシーンがあり、
現地の青年が映画「地獄の黙示録」に触れる。
カーツ大佐とター自身のイメージの重ね合わせも奥が深い。
鑑賞後、いつまでも語りが尽きない作品。
余談だけど、
ターの養女が学校でいじめられていて、
ターはそれを聞くと、翌日学校で相手の女の子を見つけて、脅しつける。
「娘をいじめたらお前を潰す」と言わんばかり。怖い。
でも、子供同士であっても、
いじめってそれくらいきっぱり対抗しないと収まらない。
個人的にはターの言動を支持するなぁ。
ドラマ「ブラック・リスト」では、リズの娘アグネスがいじめられていて、
レディントンは相手の女の子の父親の職場の社長を脅して、
父親を遠方に移動させ、家族丸ごと追い払った。やるねぇ。
誰か、今作やオーケストラに詳しい人にじっくり話を聞きたい。
(完了。)
わかりやすく物事の解決に導くのも良い映画であるが、
わかりにくい部分を残して、観客の思考を導くのも良い映画。
その点で、今作は、あり過ぎる程に語る余地がある。
ネットで検索すると、
モデルになった指揮者がいて、元は男性が主人公の予定だった。
しかし、男性俳優を見回したところ、
カリスマ性と傲慢さを表現し得る孤高の存在に行き着かず、
ケイト・ブランシェットに白羽の矢が立ち、女性へと設定変更された。
主人公が男性だったら、セクハラの構図はもっと単純に見えたかもしれない。
あるブログによると、
ターのセクハラで放逐されたクリスタと思われる女性の姿が
画面のあちこちに現れていると。
それは余程意識して見ないとわからないし、
序盤で確かにそれらしきシーンを見かけたが、その時は考えようも無い。
クリスタはターのアプローチをはねつけたようでありながら、
実はクリスタの方がターに執心していたのかもしれない。
そうなると、ターのキャラクターは更に複雑になる。
更にネットで検索すると、最初からクリスタとフランチェスカは共謀して
ターのセクハラを公表しようとしていたという解釈もあって、
場面を思い起こすと成る程と思わされる。
例えばピアニストであれば、演奏会に拘らなければ、
ホテルのラウンジやバー等、個人で仕事を見つける事も可能だけど、
指揮者は楽団ありき。
そこに職業としての難しさがある。
結果、地の果てのようなフィリピンまで行くしかなかったのか。
ターは、セバスチャンを解雇する時、
「指揮者の家は指揮台だ。」と語っている。
その通り、ターは指揮台にいられさえすれば、場所は問わないのか。
ラストのフィリピンでのシーンは、ターの幻想だとする解釈もあって、
それも観客の判断に委ねられている。困ったね。
映画は冒頭、長々しいエンドロールから始まる。
その意味がわからないのだけど、
どうやらラストの「モンスターハンター」と関連があるらしい。
「モンハン」やった事がある人ならわかるのかな。
これについても、改めてネットで検索してみました。
流石と思われるわかりやすい解説があったので、後日紹介します。
(続く。)
わかりにくい部分を残して、観客の思考を導くのも良い映画。
その点で、今作は、あり過ぎる程に語る余地がある。
ネットで検索すると、
モデルになった指揮者がいて、元は男性が主人公の予定だった。
しかし、男性俳優を見回したところ、
カリスマ性と傲慢さを表現し得る孤高の存在に行き着かず、
ケイト・ブランシェットに白羽の矢が立ち、女性へと設定変更された。
主人公が男性だったら、セクハラの構図はもっと単純に見えたかもしれない。
あるブログによると、
ターのセクハラで放逐されたクリスタと思われる女性の姿が
画面のあちこちに現れていると。
それは余程意識して見ないとわからないし、
序盤で確かにそれらしきシーンを見かけたが、その時は考えようも無い。
クリスタはターのアプローチをはねつけたようでありながら、
実はクリスタの方がターに執心していたのかもしれない。
そうなると、ターのキャラクターは更に複雑になる。
更にネットで検索すると、最初からクリスタとフランチェスカは共謀して
ターのセクハラを公表しようとしていたという解釈もあって、
場面を思い起こすと成る程と思わされる。
例えばピアニストであれば、演奏会に拘らなければ、
ホテルのラウンジやバー等、個人で仕事を見つける事も可能だけど、
指揮者は楽団ありき。
そこに職業としての難しさがある。
結果、地の果てのようなフィリピンまで行くしかなかったのか。
ターは、セバスチャンを解雇する時、
「指揮者の家は指揮台だ。」と語っている。
その通り、ターは指揮台にいられさえすれば、場所は問わないのか。
ラストのフィリピンでのシーンは、ターの幻想だとする解釈もあって、
それも観客の判断に委ねられている。困ったね。
映画は冒頭、長々しいエンドロールから始まる。
その意味がわからないのだけど、
どうやらラストの「モンスターハンター」と関連があるらしい。
「モンハン」やった事がある人ならわかるのかな。
これについても、改めてネットで検索してみました。
流石と思われるわかりやすい解説があったので、後日紹介します。
(続く。)
ケイト・ブランシェット主演の音楽ドラマ映画。
女性としてベルリン・フィルハーモニー管弦楽団初の主席指揮者の座に就いた
リディア・ターは、師であるバーンスタインに並ぶべく、
指揮者、作曲家として歴史に名を残す業績を上げていた。
私生活では女性のパートナーと養女とともに暮らしている。
従来の男性的な支配者傾向を持つターは、
ジュリアード音楽院で教鞭をとる際、反論する学生を徹底的に打ちのめしたり、
楽団では年配の副指揮者をあっさり切り捨てたりと、何かと手厳しい。
一方で、お気に入りの若い女性チェリストを急に贔屓して、
団員達から白い目で見られる事も。
パートナーや秘書フランチェスカもターに愛想を尽かしつつあった。
以前、ターのセクハラに悩まされたクリスタが自殺したと伝えられた。
フランチェスカはターが彼女を副指揮者に押さなかった事をきっかけに、
ターがクリスタに対して就職の妨害等、酷いセクハラ行為を行っていた
証拠となるメールを公開した。
それによって、ターは楽団の指揮者の地位を失う。
パートナーも養女を連れてターの元を去る。
悪評が知れ渡り、ターを雇う楽団は無くなった。
暫くの後、フィリピンで開催されるゲームコスプレイベントで
学生オーケストラ相手に指揮台に立つ。
ストーリーとしては、傲慢な指揮者が周囲から見放されたってだけなんだけど、
色々と奥が深い。闇が深いと言うべきか。
まず、当然ながら、主人公が女性である事、同性愛者で男役。
そのターが男性が主流だった指揮者という地位の最高峰についた、
複雑な権力構造。
ターは時折アナグラムを意識する。
自身の名前も、元は「リンダ」だったのを「リディア」に変えた。
「TAR/ター」というファーストネームも、果たして本名なのか?
本名でないとしたら、何故その名前を選んだのか?
「TAR」は「RAT(裏切り者)」にアナグラムされる。
研ぎ澄まされた音感を持つ故に、小さな音の響にも過敏になり、
強迫観念と共に「音」に精神的に侵食される。
そのシーンはホラー映画のようにさえ見える。
世界最高峰の芸術家の地位にいながら、人間関係の見極めが甘過ぎる。
露骨なセクハラ、パワハラを危険だと気づかない稚拙さ。
難解な作品。
ネットでネタバレ解釈等読んで、参考にして、
もう少し感想を続けます。
女性としてベルリン・フィルハーモニー管弦楽団初の主席指揮者の座に就いた
リディア・ターは、師であるバーンスタインに並ぶべく、
指揮者、作曲家として歴史に名を残す業績を上げていた。
私生活では女性のパートナーと養女とともに暮らしている。
従来の男性的な支配者傾向を持つターは、
ジュリアード音楽院で教鞭をとる際、反論する学生を徹底的に打ちのめしたり、
楽団では年配の副指揮者をあっさり切り捨てたりと、何かと手厳しい。
一方で、お気に入りの若い女性チェリストを急に贔屓して、
団員達から白い目で見られる事も。
パートナーや秘書フランチェスカもターに愛想を尽かしつつあった。
以前、ターのセクハラに悩まされたクリスタが自殺したと伝えられた。
フランチェスカはターが彼女を副指揮者に押さなかった事をきっかけに、
ターがクリスタに対して就職の妨害等、酷いセクハラ行為を行っていた
証拠となるメールを公開した。
それによって、ターは楽団の指揮者の地位を失う。
パートナーも養女を連れてターの元を去る。
悪評が知れ渡り、ターを雇う楽団は無くなった。
暫くの後、フィリピンで開催されるゲームコスプレイベントで
学生オーケストラ相手に指揮台に立つ。
ストーリーとしては、傲慢な指揮者が周囲から見放されたってだけなんだけど、
色々と奥が深い。闇が深いと言うべきか。
まず、当然ながら、主人公が女性である事、同性愛者で男役。
そのターが男性が主流だった指揮者という地位の最高峰についた、
複雑な権力構造。
ターは時折アナグラムを意識する。
自身の名前も、元は「リンダ」だったのを「リディア」に変えた。
「TAR/ター」というファーストネームも、果たして本名なのか?
本名でないとしたら、何故その名前を選んだのか?
「TAR」は「RAT(裏切り者)」にアナグラムされる。
研ぎ澄まされた音感を持つ故に、小さな音の響にも過敏になり、
強迫観念と共に「音」に精神的に侵食される。
そのシーンはホラー映画のようにさえ見える。
世界最高峰の芸術家の地位にいながら、人間関係の見極めが甘過ぎる。
露骨なセクハラ、パワハラを危険だと気づかない稚拙さ。
難解な作品。
ネットでネタバレ解釈等読んで、参考にして、
もう少し感想を続けます。
ネタバレ注意
アメリカのドラマだと、だいたい1話45分枠なんだけど、
北欧のは1時間前後あって、やや長い。
で、事件性の割に話が長くてゆっくり進むので、ちょっと焦れったい。
今作については、しっかりした原作があって、
最終的なドラマの余韻を見ると、まあこの長さで良かったのかなぁとも思う。
子世代のヴェラが、親世代の人間関係を紐解いて行く展開で、
過去の様子が結構長く描かれると、ちょっと時間軸や人物相関図に混乱する。
20年の時を経て、同じ俳優が同じ人物を演じているのだけど、
特殊メイクがなかなかよく出来ていて、不自然さが無い。
ハラルドが妹のマグダレナを溺愛していたわけで、
それがどの程度なのかはドラマの中ではわからない。
エッべとの結婚は承諾しているのだから、
やや不良系イケメンだったトミーが気に食わなかったって事かな。
ビリー失踪とされた後、ハラルドは仲間の手を借りてトミーを拉致監禁。
台に縛り付けて、ビリーの居場所を言わせようと電気ショック拷問。
こいつ、ナチスか⁉︎
「EXIT」のシーモン・J・ベリエルが、正義感の強い警察署長役で出演。
今回は悪役じゃないんだ。
最初、チラッとしか出なかったけど、4話目ではほぼ主役。
同じ俳優があちこちに出演しているというのは、人気の証拠でもあるけど、
やはりスウェーデンの映画ドラマ業界があまり大きくないからでもあるような。
ハラルド役のトーケル・ペターソンも同様。
ヴェラは仕事や自分の都合優先で、レオンを蔑ろにしがち。
電話でレオンはヴェラに別れを告げて、ヴェラも承諾するけど、
どちらからも電話を切れないで、ちょっとの間があって、
また「愛してる」で復縁。
このシーンはちょっといい感じ。
ヴェラとレオンの恋愛模様をもう少し見せてくれても良かったように思うけど、
事件の本筋から外れるから、抑えたのかな。
まあまあ満足のドラマでした。
アメリカのドラマだと、だいたい1話45分枠なんだけど、
北欧のは1時間前後あって、やや長い。
で、事件性の割に話が長くてゆっくり進むので、ちょっと焦れったい。
今作については、しっかりした原作があって、
最終的なドラマの余韻を見ると、まあこの長さで良かったのかなぁとも思う。
子世代のヴェラが、親世代の人間関係を紐解いて行く展開で、
過去の様子が結構長く描かれると、ちょっと時間軸や人物相関図に混乱する。
20年の時を経て、同じ俳優が同じ人物を演じているのだけど、
特殊メイクがなかなかよく出来ていて、不自然さが無い。
ハラルドが妹のマグダレナを溺愛していたわけで、
それがどの程度なのかはドラマの中ではわからない。
エッべとの結婚は承諾しているのだから、
やや不良系イケメンだったトミーが気に食わなかったって事かな。
ビリー失踪とされた後、ハラルドは仲間の手を借りてトミーを拉致監禁。
台に縛り付けて、ビリーの居場所を言わせようと電気ショック拷問。
こいつ、ナチスか⁉︎
「EXIT」のシーモン・J・ベリエルが、正義感の強い警察署長役で出演。
今回は悪役じゃないんだ。
最初、チラッとしか出なかったけど、4話目ではほぼ主役。
同じ俳優があちこちに出演しているというのは、人気の証拠でもあるけど、
やはりスウェーデンの映画ドラマ業界があまり大きくないからでもあるような。
ハラルド役のトーケル・ペターソンも同様。
ヴェラは仕事や自分の都合優先で、レオンを蔑ろにしがち。
電話でレオンはヴェラに別れを告げて、ヴェラも承諾するけど、
どちらからも電話を切れないで、ちょっとの間があって、
また「愛してる」で復縁。
このシーンはちょっといい感じ。
ヴェラとレオンの恋愛模様をもう少し見せてくれても良かったように思うけど、
事件の本筋から外れるから、抑えたのかな。
まあまあ満足のドラマでした。