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マンガ家Mの日常
冒頭にエンドロールが流れる件について。
ネット記事での解釈は、あくまでその方のものであって、
監督や脚本家の意見と違うかもしれないんだけど、
それなりに納得ができるようでした。

オーケストラは指揮者が主役だけど、当然ながら指揮者1人では成立しない。
数多くの楽団員やスタッフが存在してこそ、指揮者の晴れ舞台が完成する。
映画も同様。監督は要ではあるが、多くのスタッフの貢献によるもの。
そうしたスタッフの重要性を鑑み、敬意を込めて冒頭に名前を流した。

まぁね〜、エンドロール流れ始める頃に席を立っちゃう人も多いもんね。
最近の映画って、エンドロールがどんどん長くなって、面倒だし。
でも、個人的には最後までみるよ、礼儀として。

ネット記事ではもう少し詳細にも触れている。
フィリピンの指揮台で、ターが演奏直前にヘッドフォンを着ける。
ゲーム音楽のコンサートでは、
ゲームキャラの台詞や効果音と音楽を合わせる必要がある。
ターはヘッドフォンでそれらの音を聴いている。
本来、指揮者がオーケストラ全体を仕切るのだけど、
この場面ではターは外部からの指示を受ける立場になっている。
それは果たして、指揮者としてのターの権威の失墜なのか、
外部の声に耳を貸すようになった、新たなターの姿なのか。

コンサートの前に川下りをするシーンがあり、
現地の青年が映画「地獄の黙示録」に触れる。
カーツ大佐とター自身のイメージの重ね合わせも奥が深い。

鑑賞後、いつまでも語りが尽きない作品。

余談だけど、
ターの養女が学校でいじめられていて、
ターはそれを聞くと、翌日学校で相手の女の子を見つけて、脅しつける。
「娘をいじめたらお前を潰す」と言わんばかり。怖い。
でも、子供同士であっても、
いじめってそれくらいきっぱり対抗しないと収まらない。
個人的にはターの言動を支持するなぁ。
ドラマ「ブラック・リスト」では、リズの娘アグネスがいじめられていて、
レディントンは相手の女の子の父親の職場の社長を脅して、
父親を遠方に移動させ、家族丸ごと追い払った。やるねぇ。


誰か、今作やオーケストラに詳しい人にじっくり話を聞きたい。


(完了。)


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