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マンガ家Mの日常
年末年始、イケメンがワチャワチャする映画で景気付けしようと思い、鑑賞。
チャニング・テイタム主演「マジック・マイク」シリーズ第3作。


家具事業に失敗したマイクはバーテンダーとしてパーティーで働いていた。
かつての女性客と鉢合わせし、メールストリッパーの過去を暴かれると、
パーティーの主催者である女性主人マックスがマイクを部屋に誘う。
高額の報酬を提示され、ストリップダンスを披露。
そのまま一夜を過ごすと、ロンドンでの舞台の演出家として誘われる。

マックスは離婚調停中の夫ラティガンから老舗の劇場を譲り受けていた。
古臭い古典劇を中止して、革新的なメールストリップショーを企画する。
マイクとマックスとでダンサーをスカウトし、練習を始める。
しかし、歴史的建造物でもある劇場の改築に横槍が入り、
ショーの開催が危ぶまれる。
妻マックスを苦境に陥らせようとする夫の策略だった。
諦めて投げやりになるマックスを鼓舞して、
マイクは、中止勧告の前日にショーを強行。
一流ダンサー達によるゴージャスなショーが繰り広げられ、
ラストは、マイクがマックスとの思い出で構成したダンスで、愛を捧げる。


いや、何だかね、
一流どころのダンサー達によるダンスは見応えがあったんだけど、
猥雑さが抜けて、ストリップショーって感じではなかった。
第1作目から11年が過ぎて、40歳を超えたチャニング・テイタムの
身体づくりやダンスも素晴らしかったんだけどね。
激エロいのは、マックス役のサルマ・ハエックだけ。

で、
特に前半、やたらと説明台詞がダラダラ長くて、ダレる。
監督は第1作目のソダーバーグが復帰したのだけど、やる気がなかったのか、
脚本がマズかったのか。

で、
金持ち女王様のマックスがウザい。
皆してマックスのご機嫌取りしてるみたいな映画だった。
これ、女性客が観て、面白いと思えるのかな。
ショーの女性MCも余計だし、
ステージに上げた女性達も関係者ばかりで、これ見よがしな感じ。
中高年女性もメールストリップを楽しんで良いのだとか、
そういうフェミニズム的なメッセージってわけでもない。

ドラマとしてのエピソードが物足りなく、
ダンサー達の個性や人間性のバックグラウンドも何も描かれていない。
マイクがマックスの「都合のいい男」になってるだけ。

第1作目が話題になって、2作目作って、
2作だと何となく収まりが悪いから3作目を作って
シリーズ完結にしましたって事かな。
「ブリジット・ジョーンズの日記」もそうだったけど、3作目は駄作に落ちた。
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鬼才ポール・バーホーべン監督、
17世紀のイタリア、ぺシアに実在した修道女
べネデッタ・カルリーニの伝記映画。


6歳で修道院に入ったべネデッタは、神の声を身近に感じていた。
20代になる頃には、イエス・キリストの姿を幻視するようになる。

貧しい少女バルトロメアが、
父親や兄達からの性的虐待から逃れようと修道院に来た。
べネデッタの両親が持参金を支払ってやった事で、
べネデッタはバルトロメアの監督者の役を任される。
インモラルな美しさをたたえたバルトロメアに心惹かれる。

ある時、熱病にかかったべネデッタは、イエスの姿に導かれるように起きると、
手の甲と足先から血を流していた。
修道女達はそれを「聖痕」だと崇め始めるが、
修道院長フェリシタは茨の冠による額の傷が無い事から、
べネデッタの聖痕を信じようとしない。
するとその後、通路で倒れたべネデッタの額の傷から血が流れ出す。
フェリシタの娘クリスティナは、陶器の破片を見つけて、
べネデッタが自分で額を傷付けたのだと確信する。

べネデッタの聖痕は街の人々の知るところとなり、支持を集めると、
アルフォンソ主席司祭はべネデッタを修道院長に据える。
クリスティナは聖痕が自傷によると訴えるが、
実際に現場を見てはいなかった事がフェリシタから語られ、
厳罰を受け、精神を病んで飛び降り自殺する。

べネデッタとバルトロメアは親密になり、修道院長室で同性愛行為に耽る。
娘の死に嘆くフェリシタは隠し穴からべネデッタを監視し、
フィレンツェに行き、ジリオーリ教皇大使に告発する。
その頃、イタリア全土でペストが猛威を振るっていた。
べネデッタはぺシアの街を守るべく城門を閉じさせると、急死する。
審問に来たジリオーリは城門を強行突破し、修道院に入る。
すると、棺桶に据えられていたべネデッタが蘇る。
フェリシタはフィレンツェでペストに感染しており、隔離される。
ジリオーリの足を洗う際に、べネデッタはペストの症状に気付く。
その事を伝えられたフェリシタは、自分はジリオーリから感染したと知る。

審問でべネデッタは同性愛行為を否定するが、
残虐な拷問を受けたバルトロメアは耐えきれず、全貌を明かしてしまう。
べネデッタは公開火刑に処せられるが、火が放たれた瞬間、
バルトロメアが駆け寄り、火を消そうとすると、
べネデッタが示す手の聖痕から血が流れ出し、興奮した民衆も押し寄せる。
ぺシアにペストを持ち込んだ後悔から、フェリシタは火の中に身を投げ出す。
火刑台の下に血の付いた陶器の破片を見つけたバルトロメアは、
べネデッタの聖痕が自傷によるものだと認識を新たにする。

街の外に逃れたべネデッタとバルトロメアだったが、
べネデッタはあくまでも聖痕の自傷を認めず、ひとり修道院に戻る。

ぺシアはペストの猛威から免れた唯一の街とされた。
べネデッタは処刑は免れたが、70歳で最期を迎えるまで、
修道院で隔離された生活を送った。


火刑のシーンは創作だそうだけど、脚本は原作に忠実に作られているとか。
全編かなり生臭く、刺激的ではある。
同時に、人間の生きる力の強さにも圧倒される。

クリスティナやバルトロメアが陶器の破片を見つけた事から、
べネデッタの聖痕捏造説の方が信憑性を帯びてくるのだけど、
映画の中でははっきりとした答えは出さない。
感想として、強いて言うなら、
神の声やイエス・キリストの幻視を深く感じていたべネデッタが、
自分の体験を知らしめる為に、聖痕という「道具」を使った?
自らイエスの嫁だと自覚しつつ、同性愛行為も受任する、
べネデッタの自己矛盾。

ネットで少し検索すると、
キリスト教世界の激しい男尊女卑と権力闘争が問題のベースにあるとも。
べネデッタはぺシアの人々の支持を得たものの、
それ故に権力の増大を恐れた教皇側がべネデッタを潰しにかかった。
同性愛行為自体は見過ごされていたけど、
男性器を模った玩具の使用となると、処刑の対象になったとか。
バルトロメアに使われた拷問道具は女性器を傷つける物で、
拷問を与える側も宗教者でありながら、男女の性器に不気味な拘りがある。
これはキリスト教世界の自己矛盾と言える。

べネデッタを裁けるのはべネデッタ自身のみ。




ノルウェーの青春ロマンス映画。


成績優秀なユリヤは成績のみで医大に入学したが、すぐに合わないと悟り、
身体よりも心だと思って、心理学専攻に鞍替え。
教授とすぐに恋愛関係に陥るが、
心よりも視覚だと思って、写真家を目指す。
モデルの男性とすぐに恋愛関係に陥るが、
パーティーで出会ったコミック作家アクセルと意気投合し、恋愛関係に陥る。
すぐにアクセルと同棲を始める。

15歳年上のアクセルはコミック作家として一定の成功を収めているが、
ユリヤは書店員のバイトが本業と化し、ダラダラ楽しく暮らしている。
短い評論文等書いてもみるが、仕事には繋がらない。
アクセルは自身の年齢を考えて、早めに子供を欲しがり、
次第にユリヤと溝が深まって行く。
ユリヤはパーティーで出会ったアイヴィンと意気投合し、
再会後に恋愛関係に陥り、アクセルと別れて、アイヴィンと同棲スタート。

しかし、ユリヤは、自分がまだ写真家として全く成長していない焦りと、
カフェ店員の仕事に埋没しているアイヴィンを物足りなく感じ始め、
次第に険悪になってしまうが、
妊娠検査薬で陽性判定が出て、更に将来についての不安と焦りが募る。
ちょうどその頃、知人から、
アクセルがすい臓癌で余命いくばくもないと知らされる。

病室に見舞いに行き、話をするうちに恋人時代の感情が蘇る。
ユリヤは才能があるアクセルを羨ましく思っていたが、
アクセルはユリヤの自由奔放さを羨ましく思っていた。

アクセルは間も無く病状が悪化し、亡くなる。

ユリヤは初期流産し、子供を持つ事から解放される。
アイヴィンと別れ、一人暮らしして、スチールカメラマンとして働く。
アイヴィンは結婚して赤ん坊も生まれ、新しく家庭を築いている。


カンヌ国際映画祭で女優賞受賞し、
アカデミー賞では脚本賞と国際長編映画症にノミネートされ、高い評価を得た。

いや、でもなぁ、

母親が女手一つで育て上げ、医大にまで行かせたのに、すぐやめちゃって、
30歳過ぎまでズルズルとモラトリアム生活。
恋人男性をすぐに裏切るし、男女共から反感買うだろうねぇ。
男性に対して冷淡なのは、父親との関係性が影響しているのかもしれない。

アクセルと同棲していた間は、彼の部屋に転がり込んでたから、
家賃の心配も要らずにいい暮らしが出来たんだろうけど、
アイヴィンとの同棲時代は、カフェ店員と書店員で、
お給料も結構カツカツなんではと思うんだけど、
そこそこ良い部屋で、楽しく遊び暮らしていた。
イマイチ生活感が薄い。

ユリヤは美人で頭が良くて、遊びも上手。
何でもかんでもやりたい放題、思いのまま。
何だかなぁ〜。
一人暮らししてスチールカメラマンの仕事してるわけだけど、
そんなに簡単にカメラの仕事で食っていけるようになるものなの?
挫折が全く無い。

一番引っかかったのは、
病室でアクセルに妊娠を告げる場面。
死の淵にいるアクセルに対して、別の男性の子供を妊娠してるって言うのは、
あまりにも残酷。
アクセルこそが子供を欲しがっていたのに。
で、アクセルは「君は良い母親になれる。」って、優しい言葉をかける。
そんなのって、ありか⁈  無理。


フェミニズムとかジェンダーの問題とかを内包している作品なのだけど、
どうしてもユリヤのやりたい放題ぶりばかりが気になってしまう。
頭が良くてセンス美人だったら、誰でもこんな風に好きに生きちゃうのかな。
病室のアクセルに「君は最高。運命の人。」とまで言わせちゃうし。


何でもかんでも思い通りに行っているように見えて、
自分自身の進路だけはなかなか見通せない。
障害が無いから決断も出来ないのかもしれない。


色々とモヤモヤする映画。






ささやかな人生に幸あれ、そういった趣の映画。

長年の修行の末に高度な技術を習得しながらも、
時代の流れやギリシャの不況で
オーダーメイドの高級紳士服が売れなくなってしまった。
昔馴染みの顧客の型紙を処分する光景が寂しい。

屋台でスーツを売るとか、注文を受けようとする発想も面白いとしても、
普通に考えれば、もっと都会の店とか、
あるいはイタリアや英国のブランド店に就職するとか出来たと思うんだけど、
地元に拘ったのは、高齢の父親の世話と、
代々続いた店に父親がプライドを持っていて、
父親の為にも、店をすぐ閉めるという方向には進み辛かったんだろう。

仕立ての技術もさりながら、
高級紳士服を通して、ニコスが上品な性格に育った感がある。

寡黙なニコスの心情を推し量るのは少し難しい。
生活の為に婦人服を作り始めた時の気持ちはどうだったのだろうか。
ウェディングドレスの注文が続々と入り、
商売が紳士服から遠のいて行く時の気持ちはどうだったのだろうか。
オルガとの短い情事と破局を迎えた時の気持ちは?

成り行きに身を任せているようでもあるし、
逆境の中で活路を見出しているようでもある。

時代の流れに翻弄されつつも、
変わるものと変わらないものがある。



「仕立て屋」ですぐ思い浮かぶのは、
ジョルジュ・シムノン原作、パトリス・ルコント監督の「仕立て屋の恋」
もしくは、ジョン・ル・カレ原作「テイラー・オブ・パナマ」
「パナマ」の方はサスペンスなので、今作は「恋」の方に近いかな。


ギリシャの首都アテネ。
ニコスの家族は代々オーダーメイドの紳士服を仕立てて来たが、
昔ながらの顧客は亡くなり、不況で注文は減る一方。
店は銀行に差し押さえられてしまった。
ニコスは廃材をかき集めて屋台を作り、市場に紳士服を売りに行くが、
高級紳士服を注文する客はいない。

独身中年のニコスは、密かに階上に住む家族の人妻オルガに恋していた。
ある時オルガの洗濯物のワンピースが落ちて来て、つい手元に置いてしまう。
ワンピースを眺めるうち、婦人服を作る事を思いつく。
ニコスを慕う幼い娘と共に部屋を訪ねたオルガは、
自分のワンピースを見て不審に思いつつも、ニコスの気持ちに気づき始める。
専業主婦に飽き足らなさを感じていたオルガは、
ニコスのワンピース制作と販売を手伝うようになる。

ワンピースは徐々に売れ始め、ウェディングドレスの注文も入るようになると、
結婚を控えた下町の若い女性達が憧れのドレスを求めてニコスに頼みに来て、
次第にウェディングドレスがメインになって来る。
ニコスとオルガはドレスのデザインや生地選びの研究に邁進する。
仕事で長い時間一緒に過ごすうちに、2人の中は深まる。

しかし、2人の関係はオルガの夫の知るところとなり、問いただされる。
幼い娘はニコスに懐いてはいたものの、家族の不和に気持ちを乱す。
オルガの夫は怒り狂って、ニコスの屋台を破壊する。

ニコスは身を引く決心をして、
屋台を新調して、また遠くに行商に出る。


(時間が足りず、感想は後日。)