今朝、何の気無しにFacebookを眺めていたら、
海外の友達(見ず知らず)が、子供の頃の思い出話として、
TV放映された特撮の「ジャイアントロボ」を紹介していた。
巨匠、横山光輝先生の作品。
TVドラマ放映を前提とした依頼で描かれた。
朧げには知っていたけど、TV放映を見た記憶は無い。
日本での放映から少し遅れて海外で放映されただろうから、
それで海外の人達の方が記憶の範囲にあるのかな。
横山光輝先生と言えば、「伊賀の影丸」のような忍者ものが印象深い。
TVアニメの幕開けの時代で、「鉄人28号」のようなタイアップのロボットものや、
「魔法使いサリー」のような少女マンガまで、活躍の幅が広い。
その後は「バビル2世」や「三国志」等。
連載の長期化やイメージの固定化で、
代表作が1、2作に絞られてしまう昨今のマンガ家とは、仕事ぶりが違う。
Wikiで「ジャイアントロボ」について見てみると、
当時、多忙を極めた横山先生が手がけたのはラフコンテくらいまでで、
後はプロダクションのお弟子さんにあたる、小澤さとる先生に任せていたらしい。
そうしたところ、作品の方向性の食い違いが出て来て、小澤先生が途中降板。
その後は横山先生が引き継ぎ、(当然ながら?)絵柄が変わってしまった。
後年コミックス化に当たって、大部分を描き直したとか。
仕事場にドラマあり。
雑誌連載は2年間程で完了。
それが1968年で、その後学年誌に描き下ろししたのが1972年2月。
つまり、作品の発表完了から半世紀過ぎている。
となると、もう著作権保護から外れるのか?
ディズニーの「くまのプーさん」や「(初期)ミッキーマウス」の著作権切れで、
様々な動きが伝えられる。
日本の昭和のマンガやアニメの名作も、これからどんどん著作権切れになっていく。
私が「ジャイアントロボ」の続編を勝手に描いて発表して収入を得ても良いとなる。
蛇足だけど…。
井上雄彦先生の「バガボンド」のファンの友人が、
連載の長期中断でモヤモヤしていて、
(酒席の冗談ではあるが)私に「バガボンド」の続きを描いて、と言ってきた。
大方のベースになっている、吉川英治先生の小説「宮本武蔵」は
とうに著作権切れになっているので、法律的には問題無い。
「バガボンド」のタイトルは使えないとしても。
…でも、
ファンの人達に刺される、おそらく。
Twitter大炎上では済まないね。
海外の友達(見ず知らず)が、子供の頃の思い出話として、
TV放映された特撮の「ジャイアントロボ」を紹介していた。
巨匠、横山光輝先生の作品。
TVドラマ放映を前提とした依頼で描かれた。
朧げには知っていたけど、TV放映を見た記憶は無い。
日本での放映から少し遅れて海外で放映されただろうから、
それで海外の人達の方が記憶の範囲にあるのかな。
横山光輝先生と言えば、「伊賀の影丸」のような忍者ものが印象深い。
TVアニメの幕開けの時代で、「鉄人28号」のようなタイアップのロボットものや、
「魔法使いサリー」のような少女マンガまで、活躍の幅が広い。
その後は「バビル2世」や「三国志」等。
連載の長期化やイメージの固定化で、
代表作が1、2作に絞られてしまう昨今のマンガ家とは、仕事ぶりが違う。
Wikiで「ジャイアントロボ」について見てみると、
当時、多忙を極めた横山先生が手がけたのはラフコンテくらいまでで、
後はプロダクションのお弟子さんにあたる、小澤さとる先生に任せていたらしい。
そうしたところ、作品の方向性の食い違いが出て来て、小澤先生が途中降板。
その後は横山先生が引き継ぎ、(当然ながら?)絵柄が変わってしまった。
後年コミックス化に当たって、大部分を描き直したとか。
仕事場にドラマあり。
雑誌連載は2年間程で完了。
それが1968年で、その後学年誌に描き下ろししたのが1972年2月。
つまり、作品の発表完了から半世紀過ぎている。
となると、もう著作権保護から外れるのか?
ディズニーの「くまのプーさん」や「(初期)ミッキーマウス」の著作権切れで、
様々な動きが伝えられる。
日本の昭和のマンガやアニメの名作も、これからどんどん著作権切れになっていく。
私が「ジャイアントロボ」の続編を勝手に描いて発表して収入を得ても良いとなる。
蛇足だけど…。
井上雄彦先生の「バガボンド」のファンの友人が、
連載の長期中断でモヤモヤしていて、
(酒席の冗談ではあるが)私に「バガボンド」の続きを描いて、と言ってきた。
大方のベースになっている、吉川英治先生の小説「宮本武蔵」は
とうに著作権切れになっているので、法律的には問題無い。
「バガボンド」のタイトルは使えないとしても。
…でも、
ファンの人達に刺される、おそらく。
Twitter大炎上では済まないね。
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現行、デジタル化には諸問題ありながらも、大勢はそちらに移行してしまう。
あくまでも、大事なのは、作家性。
簡単にディテールを詰め込めるデジタルでは、
その作家性が育ち難いのが最も危惧されるところ。
巨匠、萩尾望都先生の天才性について少しお話ししたい。
最大の出世作となった「ポーの一族」、
その1〜3巻に収録された初期作品は、天からの贈り物と言える。
当時、絵の上手さばかり強調される事に、
萩尾先生ご自身が辟易とされておられたようだったけど、
萩尾先生の「絵の上手さ」とは、単に技術的な事や美しさだけではなく、
物語性にある。
1ページ、1コマに、隅々まで、交錯する人物の深い感情が込められ、
前後のドラマを想起させ、読者を物語世界の深奥に引き込む。
なので、「ポーの一族」は見るたびに発見があり、何度読んでも飽きない。
画面に沢山の「情報」を写し込むというのは、そういう事。
ただ全てを緻密に描き込めば良いという事ではない。むしろ、その逆。
余分を省く事で、重要な要素を読者に分かり易く見せる。
デジタルで、気軽に緻密な背景情報を詰め込む事ができるようになって、
それで質の高い「絵」を完成させたと思い込んでしまうのが危ない。
文化も科学も、歴史の中で全て常に過渡期にある。
作者も読者も、過渡期をどう渡るかが問われる。
(この項、完了。)
あくまでも、大事なのは、作家性。
簡単にディテールを詰め込めるデジタルでは、
その作家性が育ち難いのが最も危惧されるところ。
巨匠、萩尾望都先生の天才性について少しお話ししたい。
最大の出世作となった「ポーの一族」、
その1〜3巻に収録された初期作品は、天からの贈り物と言える。
当時、絵の上手さばかり強調される事に、
萩尾先生ご自身が辟易とされておられたようだったけど、
萩尾先生の「絵の上手さ」とは、単に技術的な事や美しさだけではなく、
物語性にある。
1ページ、1コマに、隅々まで、交錯する人物の深い感情が込められ、
前後のドラマを想起させ、読者を物語世界の深奥に引き込む。
なので、「ポーの一族」は見るたびに発見があり、何度読んでも飽きない。
画面に沢山の「情報」を写し込むというのは、そういう事。
ただ全てを緻密に描き込めば良いという事ではない。むしろ、その逆。
余分を省く事で、重要な要素を読者に分かり易く見せる。
デジタルで、気軽に緻密な背景情報を詰め込む事ができるようになって、
それで質の高い「絵」を完成させたと思い込んでしまうのが危ない。
文化も科学も、歴史の中で全て常に過渡期にある。
作者も読者も、過渡期をどう渡るかが問われる。
(この項、完了。)
マンガ原稿制作でデジタル化の1番の弊害は、
緻密で写実的な表現が簡便になって、
そこで描き手も読者も思考停止してしまう事。
密な描き込みで、写真のような画面が、「上手い」絵だとされる見方は
デジタル化以前からあって、
そうした絵の中にも良い作品はあるけれど、
ただがっちり描き込んだ絵が正解だと単純に思い込んでしまうのは誤りで、
人の絵の見方を堅くしてしまう。
描き手からも読者からも、想像力を減退させてしまう。
かつて、市川ジュン先生や竹宮惠子先生が
マンガの描き方についてレクチャーされた時、
画面の中の情報量について言及しておられた。
背景もまた、場面の感情表現の一部であり、
適切な情報をいかに描き入れるか、或いは、余分を省くか。
デジタルでは、そうした思考過程をすっ飛ばし気味になる。
少し話は逸れるが、
デジタル化で緻密な画面作りが出来る分、場面場面が重くなり、
連載がやたらと長期間に伸びる傾向がある。
長期連載がダメなわけでは無いけれど、
マンガ家の負担は大きくなり、
病気等で連載が中断、未完になるケースも増えている。
(続く。)
緻密で写実的な表現が簡便になって、
そこで描き手も読者も思考停止してしまう事。
密な描き込みで、写真のような画面が、「上手い」絵だとされる見方は
デジタル化以前からあって、
そうした絵の中にも良い作品はあるけれど、
ただがっちり描き込んだ絵が正解だと単純に思い込んでしまうのは誤りで、
人の絵の見方を堅くしてしまう。
描き手からも読者からも、想像力を減退させてしまう。
かつて、市川ジュン先生や竹宮惠子先生が
マンガの描き方についてレクチャーされた時、
画面の中の情報量について言及しておられた。
背景もまた、場面の感情表現の一部であり、
適切な情報をいかに描き入れるか、或いは、余分を省くか。
デジタルでは、そうした思考過程をすっ飛ばし気味になる。
少し話は逸れるが、
デジタル化で緻密な画面作りが出来る分、場面場面が重くなり、
連載がやたらと長期間に伸びる傾向がある。
長期連載がダメなわけでは無いけれど、
マンガ家の負担は大きくなり、
病気等で連載が中断、未完になるケースも増えている。
(続く。)
ペンでも、スクリーントーンでも、PCやタブレットでも、
全てはツールなので、使う人次第。
(ただ、よりアナログなツールの方が、感性を刺激出来る。)
最近あまりマンガを読んでいなくて、
ネットニュースのバナー広告を見るくらいと言う体たらく。
それでも幾らかの状況は掴める。
デジタル処理任せという感じの「ぷよ子さん」
主要人物の絵の使い回しも甚だしい。
人物画も数点で全て表現できるという、ある意味、挑戦なのか?
それはさておき、
容姿コンンプレックスに悩む女性が、傷ついた心を他人のせいにせず、
自分自身に向き合っている姿が好ましい。
説明の必要の無い大ヒット作「ザ・ファブル」
写真とデジタル処理の集大成のような画面作りだけど、
ネームの構成が圧倒的に上手い。
テンポが良くて無駄が無い。
写真をトレース、加工したような画面の現実味と、
ドラマの諧謔味のマッチングのバランスが良い。
こうして、名作も生まれる一方、
退屈な作品も山のように出て来る。
誰かのコピーのような、個性の無い人物画。
バストショットに長ったらしい説明台詞。
マンガの体裁は取ってはいても、マンガの面白みが無い。
結局のところ、何故デジタル化を懸念するかと言うと、
デジタルによって簡単に形式だけマンガのように作り上げられる事で、
作り手の意識がそこで止まってしまう、
そして、読者もそれを良しとしてしまう。
(続く。)
全てはツールなので、使う人次第。
(ただ、よりアナログなツールの方が、感性を刺激出来る。)
最近あまりマンガを読んでいなくて、
ネットニュースのバナー広告を見るくらいと言う体たらく。
それでも幾らかの状況は掴める。
デジタル処理任せという感じの「ぷよ子さん」
主要人物の絵の使い回しも甚だしい。
人物画も数点で全て表現できるという、ある意味、挑戦なのか?
それはさておき、
容姿コンンプレックスに悩む女性が、傷ついた心を他人のせいにせず、
自分自身に向き合っている姿が好ましい。
説明の必要の無い大ヒット作「ザ・ファブル」
写真とデジタル処理の集大成のような画面作りだけど、
ネームの構成が圧倒的に上手い。
テンポが良くて無駄が無い。
写真をトレース、加工したような画面の現実味と、
ドラマの諧謔味のマッチングのバランスが良い。
こうして、名作も生まれる一方、
退屈な作品も山のように出て来る。
誰かのコピーのような、個性の無い人物画。
バストショットに長ったらしい説明台詞。
マンガの体裁は取ってはいても、マンガの面白みが無い。
結局のところ、何故デジタル化を懸念するかと言うと、
デジタルによって簡単に形式だけマンガのように作り上げられる事で、
作り手の意識がそこで止まってしまう、
そして、読者もそれを良しとしてしまう。
(続く。)
結論から言うと、
世の中の事象と同様に、マンガ制作もデジタル化は進むと思う。
例えば、小説の世界では、
PCで原稿を書く事で、原稿用紙に書いていた時のような推敲の形が失くなり、
それが執筆の思考過程を阻害するのではとも考えられていたけれど、
現状、PCの手軽さを選択する作家が主流のように見える。
小説以外のあらゆる文筆業も。
従来のマンガの原稿制作においても、例えば、
初期の頃はつけペンによるほぼ手描きで、
「アミ」と言われるトーンは、印刷過程で指定できる簡単なもののみだったのが、
やがてスクリーントーンの種類が豊富になり、
様々な模様やハーフトーンの表現がスクリーントーン頼みになっていった。
集中線やカケアミと呼ばれる、マンガ独特のテクニックも必要性が薄れ、
わざわざ練習する意味もなくなって来た。
本当は、手描きの方が遥かに美しいのだけど、
技術の無いアシスタントさんにやらせて、失敗して原稿を汚されるよりは、
確実なスクリーントーンを選択する。
枠線だって、初期は烏口で引かれていて、テクニックを必要とされていたのが、
やがてロットリングが普及して、安定した線が引けるようになり、
その後はサインペンでも滲みの少ない綺麗な線が出るようになって、
線を引くのも楽になり、原稿を汚す心配も激減した。
便利で有効である限り、新しい機材の導入は必然。
...本当に大事なのは、
作家性。
(続く。)
世の中の事象と同様に、マンガ制作もデジタル化は進むと思う。
例えば、小説の世界では、
PCで原稿を書く事で、原稿用紙に書いていた時のような推敲の形が失くなり、
それが執筆の思考過程を阻害するのではとも考えられていたけれど、
現状、PCの手軽さを選択する作家が主流のように見える。
小説以外のあらゆる文筆業も。
従来のマンガの原稿制作においても、例えば、
初期の頃はつけペンによるほぼ手描きで、
「アミ」と言われるトーンは、印刷過程で指定できる簡単なもののみだったのが、
やがてスクリーントーンの種類が豊富になり、
様々な模様やハーフトーンの表現がスクリーントーン頼みになっていった。
集中線やカケアミと呼ばれる、マンガ独特のテクニックも必要性が薄れ、
わざわざ練習する意味もなくなって来た。
本当は、手描きの方が遥かに美しいのだけど、
技術の無いアシスタントさんにやらせて、失敗して原稿を汚されるよりは、
確実なスクリーントーンを選択する。
枠線だって、初期は烏口で引かれていて、テクニックを必要とされていたのが、
やがてロットリングが普及して、安定した線が引けるようになり、
その後はサインペンでも滲みの少ない綺麗な線が出るようになって、
線を引くのも楽になり、原稿を汚す心配も激減した。
便利で有効である限り、新しい機材の導入は必然。
...本当に大事なのは、
作家性。
(続く。)