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マンガ家Mの日常
デジタル背景の強みは、経費節減に尽きる。

リモートワークになれば、
仕事場や寝室等、アシスタントさん用のスペースを常設する必要も無く、
交通費や食費も支払い不要。
これは大きい。

写真からの描き起こしや加工等で、緻密で正確な背景画を描く時間短縮が可能。
高度なテクニックを持つ、数少ないベテランアシスタントさんでなくても、
それなりの背景を提供できる。
それはつまり、アシスタントさんの人数、もしくは仕事時間を減らせて、
大幅な人件費節約に結びつく。


一見すると、良い事だらけのようだけど...。

前段で書いた通り、
画面の記号化の問題は残り続ける。

そして、果たして、本当にどこまで経費節減可能なのか?
そしてむしろ、作業量が増えたと言うマンガ家さんもおられる。


アシスタントさん各自に提供しなければならないPCやタブレットは、
数年は使用可能なので、初期費用は何とかなると思うしかない。
自前で所持してくれていれば助かる。
そこのところは、それぞれの仕事の状況次第だろうから何とも言えない。

で、引っかかるのは、
写真資料の問題。

大手出版社だと、人気作家さんへは編集部から写真資料のサポートがある。
マンガ家さんが指示した風景写真を用意してくれたり、
例えば、格闘技もの等では、実際に格闘家の方に演技をお願いして、
それを写真やビデオに収めて、マンガ家に提供してくれたりする。
でも、こういうサポートを得られるのは、
人気連載を抱えている一部の作家に限られる。
それ以外のマンガ家は自分で用意するしかない。
また、資料にこだわる作家であれば、自分の思う通りの資料を求めて、
自分自身で写真を撮りに行くだろう。

緻密な背景が求められる、
或いは、マンガ家自身がそこを自分の画風設定にすれば、
写真資料確保の苦労は尽きない。

(続く。)

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早朝のネットニュースに訃報。

「750ライダー」等の青春マンガが懐かしい。
連載が進むにつれて、時代に合わせたほのぼのラブコメに移行していった。
それよりも「四角い青空」とか、アウトロータイプの作品が好きだった。
孤独を引き摺りながらも、ささやかな愛情を求める
主人公の姿に共感していたのかな。

当時の絵のペンタッチが洗練されていて美しかった。
生原稿は見た事ないけど、綺麗だろうなぁ。

あまり多くは買えなかったけど、何冊かコミックスを持っていた。
実家からこちらへ運ぶ時間が無く、手元に残せなかったのが残念。


ご冥福をお祈りします。

時間節約、経費節約、等々の事情から、
背景を描く(主にアシスタントさんに頼む)場合、
写真のトレースやコピーの貼り付け等は行っていたので、
今更デジタル背景にどうこう言える立場でもないかもしれないのだけど。

結局のところ、デジタルというツールをどう使いこなすか、による。

コロナ禍でのリモートワーク。
加工、修正のし易さ。
これらの点においては圧倒的優位性を発揮する。

問題なのは、
安易な写真の流用。

写真をペン画に変換するアプリもあるとか?
そうなると、緻密な背景も大幅に時間短縮できる。
ただし、その場合おそらく、
著作権が指定されている素材の無断使用も増えるだろう。

ベテランの劇画作家さん達は、デジタル以前から、
写真を利用しての画面作りが行われていた。
劇画という性質上、よりリアルな画面が求められるので、
まず資料として多くの写真が集められ、忠実に再現されるようになった。
しかし、以前にも書いた記憶があるが、
写真はカメラのレンズを通して映し出されたものなので、
そのままマンガの画面にすると、人間の目で見ると歪んで見える。
なので、私個人としては、そのような写真の使用を良しとしない。
加えて、やはり、緻密に描けるだけに、画面がうるさくなりがち。
デジタルは「絵画」ではなく、「記号」だと感じる所以。

(続く。)

あくまでも、私個人の感覚。

...ではあるけど、
絵画とマンガの世界で生きてきた、本職の見方として。


それは、大元を手繰れば、
マンガ作品の定義にも関わる事なのだけど。

果たして、
デジタル背景は是か非か。


昔からよく言われてきた事で、
マンガと小説の違いとか、漫画と映画の違いとか。

結局は、
表現したい事、読者や視聴者に伝えたい事、
そういう本筋がしっかりしていれば、
あとは表現形式の違いに過ぎない。

だったら、
ツールは何だって構わない。


でも、本当にそうだろうか?


栄養さえ摂れれば、謎肉でも良いのか?
可愛らしくて、一緒にいてくれれば、ペットはロボットで良いのか?
遺跡も絵画も、ヴァーチャルで体験したと言えるのか?


食べ物の食感、生きていた動植物との生命の交感。
ペットの存在感、世話の煩わしさと命の尊さ。
歴史の欠片の中に立つ実感。


そうした重みが、
生原稿とデジタルでは、
まだ数段階の溝がある。


「まだ」と書いたのは、
いつかはその溝が埋まる時が来るかもしれないから。

でも、

やっぱり違う。

(続く。)





記事を書くタイミングを逸していた。

先月(おそらく)、マツコさんの番組に、
マンガ背景のベテランアシスタントさんが出演するとあったので、
録画して見てみた。

元はマンガ家志望だったのだけど、鳴かず飛ばず。
あちこちの先生方でアシスタントをする中で、ある先生から
「君の描く背景には個性が無い。」といったような事を言われ、
逆に、だったらどの先生の作品にでも合わせられる、と奮起し、プロアシの道を選択。
名だたる人気マンガ家さん達に重宝され、高収入をゲット。

番組内では、作画の様子と共に、昨今のデジタル背景についても語っておられた。


コロナ禍でのリモートワークの問題の他に、経費縮小の大命題もあって、
特に若い世代はデジタル化が加速している。
それは時代の趨勢で、仕方ない事だと思う。

「仕方ない事」と、どちらかと言えばネガティブな言い回しで書いてしまったのは、
あくまで私個人の感覚なのだけど、
デジタル主体の作画を、どうしても好ましく思えない。
それは、ペンによる原画の美しさをどこまで認識しているかという事でもある。
描き手も、読者も。

(続く。)