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マンガ家Mの日常
テニスコートにはいくつか種類があって、
ウィンブルドンに代表される「芝コート」
全豪、全米の「ハードコート」
全仏や、南米に多い「クレーコート」
室内コートに多い「カーペット」
そして、日本やアジア圏で多く見られる「オムニコート」。

オムニコートはハードの上にカーペットを敷いたような構造で、
更に上に砂がまいてある。
利点としては、雨が降っても水はけが良く、整備も楽。
球足はややゆっくりで、ボールの弾み方も大きく無い。
どちらかと言えば初級者向き。

今通っている区民コートもオムニコート。

練習の際、靴の中に砂が入ってくる。
スポーツ用ソックスはやや厚手なので、砂がソックスに纏わりつく。
マンションに帰って靴を脱ぐと、砂がボロボロこぼれて落ちる。
靴の中も砂まみれ。
玄関先で払っても、全ては取り除けず、室内に持ち込んでしまう。
砂に気付かずに椅子や机を引くと、砂を噛んで、
フローリングに細かな傷をつけてしまう。

侵入者の小砂は丁寧に取り除かねばならぬ。


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昨夜遅くにネットニュースを見て、驚いた。
驚く以上に、ガセかスパムだと思った。
まさか、こんな事、マジで?


結婚以降、記者の執拗な張り込みや、ストーカー、誹謗中傷に悩まされ、
これ以上はお相手の方を守れないと判断、離婚を決意した。


お相手の女性は、一応「一般人」と発表されてはいたけど、
早くに特定されていて、
ショーの仕事の中で知り合ったピアニストだった。
CD等も出しているので、それなりの実力が認められているし、
おそらく、実家も裕福で落ち着いた家庭だと思われる。
羽生君の結婚相手として遜色無い。

ただ、それでも、熱狂的なファンには受け入れ難かった。
また、芸能ネタとしても格好の素材だった。


プロに転向して間も無くの結婚発表は、ちょっと早いなぁとは思った。
また、五輪強化選手から外れて、プロスケーターとしての活動となった為、
取材の規制等が無くなり、一気に押し寄せたのだろう。
個人での活動の難しさがそこにある。


写真集もいくつか発売されていて、買ってみたいと思っていたが、
その美しい姿のすぐ裏で、離婚の悲哀が潜んでいると思うと、見るのも辛くなる。


ドキュメンタリー番組を鑑賞。

1時間半の長尺なので、それなりの波乱を期待したが、
ほぼ右肩上がりのサクセスストーリーだった。

テキサスの小都市で生まれ育ったノーランは、高校時代に野球の才能を開花。
同じ高校でテニスのエースだった美少女ルースと恋に落ち、結婚に至る。
 
メジャーに入団し、新人時代はノーコンで苦労するも、大一番での勝負強さも見せる。
移籍後、コーチから投球フォームを修正され、エースへと成長。
華々しい活躍の開幕。
更なる大球団への移籍のオファーも来るが、
息子の交通事故をきっかけに、家族生活の重要度を再認識し、地元テキサスに残る。

活躍に次ぐ、活躍。
そしてまた活躍。

42歳で再び移籍。
現解説が囁かれる中、44歳で7回目のノーヒットノーラン達成。
46歳で肘を故障して離脱。
数々の前人未到の記録を残して引退。

大家族に囲まれて幸せに暮らす。


おいおい。
立派過ぎて、ドキュメンタリー番組にありがちな教訓が何も無い。
故郷テキサスを愛する、素朴な人だったから、道を誤る事無く過ごせたのかな。
陽の当たる道を歩み続けた、真のヒーロー。

妻のルースも傑物だった。
美人でしっかり者。
そういう女性がプロスポーツ選手の妻にふさわしい。

同時代のライバル達、ピート・ローズやカル・リプケンJr.等に比べると、
ノーランの顔立ちはどうにも地味で特徴に乏しい。
ドラマの中途半端な3枚目俳優みたいな。
夫婦共に、年齢を重ねて、立派な顔立ちになった。

27年間に渡る長期のプロ生活で、あらゆるタイトル、記録を保持しながら、
何故かサイ・ヤング賞だけ獲れていない。
そこのところをもうちょっと突っ込んで欲しかった。

打者をのけぞらせる為の内角攻めや、お約束の乱闘。
楽しい時代だったなぁ。

テニスの区民コートの抽選で当選したら、参加者を集める。
自分の基準では、ダブルスの試合形式で練習する事を念頭に置いて、
(自分を含めて)1時間枠の時は4人、2時間枠の時は、交代要員入れて6人。
それくらいがちょうど良い。

でも、思うように人が集まらない時もある。
集まったと思っていても、仕事や急病でドタキャンされる事もある。
それは仕方ない。
人数が足りなければ、更に他の人に声をかける。

以前、他の人(A)の主催の時に、参加者の方(B)が友人(C)を連れて来た。
CさんとLINE交換して、その後、私の主催の時にお声かけして参加してもらった。
ところが、Bさんから注釈が付いた。
Bさんによれば、Cさんは別の地域のコートで、Bさんの友人に随分酷い態度を取ったらしい。
それで、こちらのコートでも同じようなトラブルが起きないか心配していた。
私としては、その日特に何も問題無く、和やかにテニスができたと思ったので、
その後、参加者が不足した時にCさんに来てもらった。
この時も、普通に楽しくテニスが出来た。
…と思っていたが、
帰宅後、BさんからLINEで、Cさんの参加をお断りするよう要請された。
よくわからないけど、
どうも、以前のトラブルが、私が思っていたより根深かったらしい。
Bさんとはこちらのコートでのお付き合いがあるので、Bさんの意思を尊重する。

でも、

まず最初にCさんを連れて来たのはBさんだったので…。

何だかその辺がよくわからない。

私や、こちらのコートの他の参加者の方々が、
Cさんから何か迷惑を被ったわけでもないので、
Cさんをハブるのは気の毒ではあるんだけど…。

Cさんは来る前にBさんの事をちょっと気にしていたようなので、
Cさんなりに思うところがあったのだろう。
前のコートでトラブルを起こした自覚があって、
こちらのコートでは気をつけようと思ってくれていたかもしれない。

でも、Bさんとしては容認し難いらしい。
真面目な方だから、以前のトラブルの深刻さを考えての事なのだろう。

人は、失敗してもやり直しが出来るものだけど、

その場では、もう無理な場合もある。

仕方ない。

ロトの抽選数字、

とかではなく。

1950年7月9日2時15分、

とかではなく。


テニス、ジャパンオープン準決勝に進んだ選手達のランキング。

一応500シリーズの大会で、
ズべレフ、ルードといった有名トップ選手達もエントリーしていた。
ところが、次々シードダウン。
あっという間に第1〜4シードが消えた。
殆ど名前を見た事も無かった選手達が活躍している。
それはそれで、選手達の頑張りは凄いのだけど、
やはり、トップ選手達が後半戦に残っていないと、大会が盛り上がらない。
ズべレフは見てみたいなぁと思っていたけど、こうなると、チケット買わなくて良かった。

日本の大会への参加は、どうしても時差調整が面倒になるし、欧米からの注目度も低い。
トップ選手になれば、その後の大会の事も考えて、
ここでは無理をせず、休息を取りたい。
結果、こうなる。
選手によっては、日本のスポンサーにご挨拶がメインかも。