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マンガ家Mの日常
BS、CS、サブスク、
海外ドラマが花盛り。
経費節約で字幕版が多いのはちょっと困るけれど。


1920年代カナダ、トロントを舞台にしたミステリードラマシリーズ。
基本、1話完結なので、見やすい。

第1次世界大戦中に軍の通信部隊の一員として活躍したフランキーが、
友人のトルーディと組んで私立探偵事務所を設立。
様々な事件の解決に奔走する。


1話完結のスタイルで、放送時間が短い事もあって、
事件そのものは複雑ではないけれど、1920年代独特の雰囲気がある。
当時のトロントがどういう状態だったかはわからないけど、
フランキー他、女性達の活躍が、見ていて楽しい。
活動的なフランキーは普段の服装もマニッシュだけど、
ドラマ全体では、20年代のファッションが可愛い。

「トロント・スター」誌の記者時代のヘミングウェイが出て来て、
フランキーとちょっと良い感じになったりする。


例えば、こういうスタイルのドラマを日本で製作したとして、
現実の自分との距離感の問題があって、
海外ドラマと同じように楽しんで見られるかどうかはわからない。

一応、シーズン1となっているから、2も制作されつつあるのかな。

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フィンランドのミカ・カウリスマキ監督作品。


フィンランド北部の小さな村で、女性店主シルカ1人で経営する食堂に、
中国人男性チェンとその幼い息子ニュニョが訪れる。
チェンは片言の英語で「フォントロンを探している。」と言うが、
上手く伝わらず、シルカにはそれが何かも分からない。

旧に食堂に大勢の中国人観光ツアー客が来店し、大慌て。
料理下手なシルカのメニューは簡素なソーセージとマッシュポテトのみ。
チェンは手伝いを申し出て、手近な食材で手際良く絶品の中華料理を作る。
シルカはフォントロン探しの間チェン父子に自宅の離れの客室を提供し、
食堂を手伝ってもらう。
チェンの料理はたちまち評判となり、
医食同源の料理で、村の老人達も健康を取り戻す。

村人達の会話の中から、
「フォントロン」が「フォルストロム」という人名だと判明。
改めて村に住むフォルストロムを探すと、既に亡くなっていたと分かる。
数年前、チェンは交通事故で妻を亡くし、気落ちして酒浸りになり、
ギャンブルで多額の借金を作り、経営していた中華料理店も失う。
その時、フォルストロムが金を出して助けてくれた。
恩義に感謝し、立ち直ったチェンは金を返しに来たのだった。

シルカとチェンは良い感じになりつつあった。
チェンの料理のお陰で食堂は大繁盛。
しかし、チェンの滞在ビザが期限切れで、帰国を迫られる。

チェンの故郷の上海でシルカとチェンは結婚式を挙げて、
ビデオ通話で村人達に、また直ぐに村に戻ると告げる。
めでたしめでたし。


まぁ、何と言うか、
人生こんなにスムーズに何もかも上手く事は運ばないとは思うのだけど、
こういう穏やかで幸せな映画を見るのも良い。
邦題がネタバレ的なので、もうちょっと工夫が欲しいかな。

それにつけても、中華料理恐るべし。
世界中どこに行っても中華レストランがある。

今作のロケ地はラップランド。
ラップランドは北欧のいくつかの国にまたがった地域で、
「辺境」を意味するらしい。
以前は人々を「ラップ人」と呼んでいたが、蔑称の意も含まれるので、
現在は「サーミ人」としている。
覚えておかなきゃね。

大島弓子先生の「いちご物語」の主人公が、
ラップランドで生まれ育ったんだったっけ。
懐かしい。
ちょっと特異なキャラクター設定だったから、
今では人種的偏見とかって問題視されてしまうのかな。


1990年公開、実話から着想を得た、フランスの社会派映画。
「ポネット」のジャック・ドワイヨンの監督、脚本。
映画祭の受賞作品シリーズの枠組みの中で放送されたのかな。


14歳の少年マルクはアルコール依存症の母親と継父との3人暮らし。
家庭にも学校にも居場所を感じられず、非行に走りがち。

ある日、母親宛の電話に出ると、電話の向こうの相手は
離婚した父親に付いて行った姉ナタリーだった。
それまで姉の存在を知らされておらず、
母親への反発もあって、家出して姉に会いに行こうと決意。
継父の銃を持ち出し、ドラッグストアに強盗に入り、500ユーロ奪う。

直後に顔見知りの刑事ジェラールに声をかけられると、銃で脅して、
車でナタリーの所に連れて行くよう命じる。

居場所を突き止めて会うが、ナタリーは迷惑そうな態度を取る。
ジェラールは職務上マルクを警察に連行しなければならないが、
その前に姉弟で話をするよう勧める。
ナタリーは次第にマルクに心を寄せるようになる。

自首するつもりだと行っていたマルクだったが、街に戻ると、逃げ出す。
身分証の名字を、継父から、姉と同じ名字に変えようとするが、
学校では受け付けてもらえない。
ナタリーは友達の家にいるマルクを見つけて、
ジェラールのアパートに連れて行き、一晩過ごすと、
翌朝、ジェラールはマルクを警察に連れて行く。


冒頭の会話にすぐには乗れなくて、どうなのかなぁと思いつつ観ていたが、
次第にマルクやジェラールの心情がジワジワと迫って来る。
社会経験が乏しい年齢のマルクは、短絡的に飛行に走る。
刑事のジェラールは隙を見て簡単にマルクを逮捕する事が出来ただろうけど、
マルクの罪が重くならないよう、気持ちを落ち着かせる事を優先させる。

マルクがジェラールの優しさに気付くまでには少し時間がかかる。
穏やかに話し合える大人が日常的に側にいてくれたら、
マルクの人生は違ったものになっただろう。
マルクに逃げられたジェラールは、自分の不手際に落ち込むが、
罪人を逮捕するより、罪人を作らない方向を心がける姿勢がどこまでも優しい。
マルクに限らず、巷の非行少年達の複雑な生活環境を思えば、
浅はかな行動を一方的に責め立てるのも酷だろう。

現実をまだ把握しきれていないマルクは、高級車の話をしたり、
もう1人、里子に出された妹との再会を望んだりと、妄想に浸っている。
映画はそこで終わる。
警察に連行されたマルクが、その後どうなったかは描かれていない。
寂しげなジャズのBGMが切ない。


前に観た「聖なる犯罪者」でもそうなのだけど、
アメリカ映画的な分かり易いハッピーエンドではない映画を観ると、
色々考えてしまうので、誰かと話したくなる。
でも、映画作品が溢れかえっている現代では、
同じ作品について語り合える相手を見つけるのは不可能に近い。
ちょっと寂しい。

ナタリー役のクロティルド・クローは、女優としてのキャリアを築きつつ、
実生活では旧イタリア王族サヴォイア家の長男と結婚し、
ヴェネツィア=ピエモンテ公妃になっている。
映画よりドラマチックだなぁ。




古いBlu-rayレコーダー処分の為に、録画済み映画を見続ける作業。
1回のみの安いディスクにダビング出来れば良いのだけど、
以前に書いた通り、ダビング機能に支障が出ている。


アメリカのドラマ映画。


1930年代、砂嵐に塗れ、荒れ果てたテキサスの開拓地。
どの農家も貧しい。
継父とソリが合わない17歳の少年ユージンは犯罪ものの小説に憧れ、
家を出る事を夢見ていた。

ある日、納屋に怪我した美しい女性アリソンがいるのに気づく。
アリソンは指名手配中の有名な銀行強盗。
数日匿ううちに、憧れが募り、次第に惹かれてゆく。
アリソンは言葉巧みにユージンに逃亡の手助けを頼む。
ユージンは一緒にメキシコに行こうと計画。

アリソンは銀行強盗の際に通りすがりの幼い少女を銃撃戦の巻き添えにして
死なせてしまった事を深く悔やんでいた。
強盗の相棒の恋人も、その時の銃撃戦で命を落とした。
銀行強盗に憧れを抱くユージンを危うく思い、同行を躊躇うが、
ユージンのひたむきさに折れる。

懸賞金目当てに追って来たユージンの継父達に撃たれて、アリソンは死亡。
ユージンは車を運転してメキシコを目指す。


逃亡者の女性に心を寄せる年下男性という設定は、
ケイト・ブランシェットの「ヘヴン」を思い出すけれど、
今作はどうにも魅力に欠けて、退屈な印象。
ドラマの核が弱い。
元がありふれた設定だとしても、キャラクターに寄り添う事は出来る筈なのに、
感情移入出来るエピソードに乏しい。
展開に意外性も無くて、心を揺さぶられない。
鑑賞者としては、何が起こるのか、期待して待っているんだけど、不発。

結局は脚本の出来が十分でないという結論に至る訳なんだけど、
全体的に何もかもが中途半端で残念。

J:comオプション解約を目指して、レコーダーに録画されている番組を整理。
見終わるか、ディスクにダビングするか、諦めるか。
なかなか追いつかないけど、
新規複合機導入に伴って、PCとTVの環境も見直す事になり、
時間的猶予はあまり無くなった。
と言うか、これを機に決着をつける。

前のレコーダーに録画していた映画については、
タイトルを見てもあらすじが思い浮かばないものもあり、
頑張って観ても、結局イマイチだったりする作品もある。
そんな中で、今作は鮮烈なる秀作。
アカデミー賞国際長編映画賞にもノミネートされたらしい。
残念ながら受賞は逃した。


実話に基づく、ポーランド・フランス映画。


第2級殺人罪(衝動的殺人)で少年院に収監中のダニエルは、
トマシュ神父の導きを得て信仰に目覚め、
仮出所後は神学校への入学を希望していたが、
罪状により、神職の道は閉ざされていた。
代わりに製材所で働くよう指示されていたが、気が進まず、
近くの教会に立ち寄ると、祈りに来ていた少女マルタに神父の服を見せ、
自分はトマシュ神父だと嘘をつく。
教会の神父が体調不良で療養を予定しており、
療養中、ダニエルは神父の仕事を任される。

戸惑いながらも、若さで斬新な説教をするダニエルに、
村人達は次第に魅了されていく。

村では数ヶ月前に若者6人と対向車の運転手が亡くなるという、
悲惨な交通事故が発生していた。
子供を奪われた村人達は運転手とその妻に憎しみを募らせていたが、
マルタから事故の事情を聞いたダニエルは、融和の道を探る。

神父の仕事で働く予定だった製材所に行くと、
かつての少年院の入所者ピンチェルがいて、正体をバラされそうになる。
その場は何とか納めたものの、やはりその後密告され、
本物のトマシュ神父がダニエルを連れ戻しに来る。

少年院では、ダニエルに弟を殺されたボーヌスが待っていた。
ピンチェルは、大柄なボーヌスに攻撃される事を恐れたダニエルが、
信仰に目覚めたフリをして仮出所を得たと言う。
ダニエルとボーヌスは決闘する事になり、体格差で追い込まれながらも、
ダニエルが勝利する。
火災が起きて混乱する中、ダニエルは少年院から立ち去る。


犯罪者が神父のフリをする。
ハリウッド映画だったらコメディになりそうな設定。
今作でも所々にクスッと笑える要素はあるけど、全体のトーンはシリアス。

ダニエルの罪状はピンチェルの登場まで詳細不明。
(喧嘩で倒した相手が、病院で息を引き取った。)
また、ピンチェルが疑ったように、ダニエルの信仰心は偽物なのか?

仮出所前に少年院の自室で黙々と祈るシーンがあるので、
信仰に前向きな姿勢は見て取れるが、
出所後すぐにクラブでパーティーに興じたり、製材所に行かなかったり。
ちょっと微妙。
礼拝で思いの丈を述べる様子は、自らに陶酔しているよう。

何より、ダニエル役のバルトシュ・ビィエレニアが、
Wikiのプロフィール写真ではなかなかの美青年なんだけど、
今作ではいかにもな貧しい吹き溜まりの不良少年。
寂しげでありながら、疑り深そうな目線が油断できない。
そして、決闘で巨体のボーヌス相手に勝つという、ケンカ慣れの実力。

100%清廉潔白な人物などいない訳で、
ダニエルは信仰の光を見つめながらも、迷いの中にある。
その形の無さが、村人の心情に語りかける事を可能にしたのだろう。

映画の冒頭に戻れば、
まず、犯罪者は神学校入学を許可されないという事実。
どんなに更生、改心しても、元犯罪者に神の道は許されないのか。

信仰の原点を探る秀作。

ラストシーン、血まみれでカッと目を見開いて、まっすぐ歩き続ける姿が、
まるで悪鬼のような凄みを感じさせる。
ダニエルは再び、絶望と希望の綱渡りに赴く。

幸せになって欲しいと思うのだけど、そんなに単純には行かないね。
それが、取り返しのつかない殺人の罪の重さであるとも言えるのかな。