実話を基にしたドラマ映画。
中年女性フィリッパは難病の持病に悩まされ、浮気夫とは別居生活。
会社では経験不足の若い美女に重要なポストを取られてしまう。
気が晴れない日々の中、シェイクスピア劇「リチャード3世」を鑑賞。
イケメン俳優の演技に引き込まれつつ、難病に苦しむ自分自身と重なり、
リチャード3世が障害(せむし)故に冷酷な性格となって、
不当に王位を奪った「簒奪者」とみなされている事に疑問を持った。
すぐさま文献や資料を読み漁り、同人サークルにも入会。
現代に至るまで行方不明とされている遺体の安置場所を探し始める。
(すみません。ちょっと時間が無くて、記事中断。後日残りを書きます。)
中年女性フィリッパは難病の持病に悩まされ、浮気夫とは別居生活。
会社では経験不足の若い美女に重要なポストを取られてしまう。
気が晴れない日々の中、シェイクスピア劇「リチャード3世」を鑑賞。
イケメン俳優の演技に引き込まれつつ、難病に苦しむ自分自身と重なり、
リチャード3世が障害(せむし)故に冷酷な性格となって、
不当に王位を奪った「簒奪者」とみなされている事に疑問を持った。
すぐさま文献や資料を読み漁り、同人サークルにも入会。
現代に至るまで行方不明とされている遺体の安置場所を探し始める。
(すみません。ちょっと時間が無くて、記事中断。後日残りを書きます。)
PR
冒頭、一家の朝食のシーン。
母親が料理しているが、調理器具や食器の音がやたらガチャガチャとうるさい。
ポーラ以外の3人は聾唖者なので、そうした雑音は気にならないから、
音、立て放題。
クリニックのシーンでは、母親が膣炎で性生活に支障が出た両親が、
赤裸々に性生活の話をしていて、
それをポーラが事細かに、淡々と、医師に手話通訳をしている。
きっと、今に始まった事ではないのだろう。
そうした、日常的なシーンが上手い。
聾唖である事で、誰も人生が不利だとは思っていない。
ところが、大事な娘のポーラが、選りに選って音楽の道を志す。
理解してやれない、応援もしてやれない、分かり合えない。
寂しいよね。
(思えば、医師だった両親とは全く違う、絵画やマンガの道に進んだ自分がいる。)
聾唖者の一家、ヤングケアラーのポーラ。
ただし、そうした事は一家にとっては問題ではなく、
家族の絆が最大の関心事。
それ故、我々鑑賞者も共感できる。
派手さは無いが、感受性豊かな作品。
これを何故僅か10年後にハリウッドはリメイクしなければならなかったのか?
ハリウッドは、ハリウッドのスタッフや俳優を使った映画でなければ
観客の関心を得られないのか?
果たして、「コーダ」は、
リメイクしてアカデミー賞作品賞を獲る意味のある作品なのか?
録画してあるので、近々観たい。
母親が料理しているが、調理器具や食器の音がやたらガチャガチャとうるさい。
ポーラ以外の3人は聾唖者なので、そうした雑音は気にならないから、
音、立て放題。
クリニックのシーンでは、母親が膣炎で性生活に支障が出た両親が、
赤裸々に性生活の話をしていて、
それをポーラが事細かに、淡々と、医師に手話通訳をしている。
きっと、今に始まった事ではないのだろう。
そうした、日常的なシーンが上手い。
聾唖である事で、誰も人生が不利だとは思っていない。
ところが、大事な娘のポーラが、選りに選って音楽の道を志す。
理解してやれない、応援もしてやれない、分かり合えない。
寂しいよね。
(思えば、医師だった両親とは全く違う、絵画やマンガの道に進んだ自分がいる。)
聾唖者の一家、ヤングケアラーのポーラ。
ただし、そうした事は一家にとっては問題ではなく、
家族の絆が最大の関心事。
それ故、我々鑑賞者も共感できる。
派手さは無いが、感受性豊かな作品。
これを何故僅か10年後にハリウッドはリメイクしなければならなかったのか?
ハリウッドは、ハリウッドのスタッフや俳優を使った映画でなければ
観客の関心を得られないのか?
果たして、「コーダ」は、
リメイクしてアカデミー賞作品賞を獲る意味のある作品なのか?
録画してあるので、近々観たい。
フランスの青春ドラマ映画。
およそ10年後にアメリカでリメイクされた「コーダ あいのうた」は
2022年アカデミー賞作品賞、脚色賞、助演男優賞に輝いた。
...ところが、
元の「エール!」はWikiの記事すら無い。
フランスの田舎町で酪農で生計を立てている4人家族のベリエ家。
女子高生ポーラは健常者だが、両親と弟は聴覚障害者。
一家の仕事や日常生活の中で、ポーラが常に手話の同時通訳を担っている。
同級生のイケメン、ガブリエルに恋したポーラは、
歌手を目指すガブリエルがコーラス部に入部した為、後を追って入部。
顧問のトマソンはポーラの声を聴くなり、才能を感じ取り、
レッスンを受けるよう勧める。
戸惑いながらも次第に歌に熱中するポーラに、トマソンは更に、
コンクールに応募して、パリの音楽学校を目指すよう促す。
その頃、父親のロドルフは、町の開発に抗議して、町長選挙出馬を決意する。
両親はポーラが町長選挙や今後の酪農の仕事も手伝ってくれると期待しており、
ポーラが音楽学校入学を希望している事に反対の色を隠せない。
また、お目当のガブリエルが、変声期の為にコンクールを諦めようとしていて、
気落ちしたポーラは音楽学校進学を躊躇し始める。
しかし、トマソンの説得もあり、
気持ちを取り直したガブリエルと共に両親も快く応援してくれて、
コンクールで見事優勝し、パリに旅立つ。
爽やかな青春ストーリー。
気取らず、障害に関する社会派めいた押し付けがましさも無いのが良い。
(続く。)
およそ10年後にアメリカでリメイクされた「コーダ あいのうた」は
2022年アカデミー賞作品賞、脚色賞、助演男優賞に輝いた。
...ところが、
元の「エール!」はWikiの記事すら無い。
フランスの田舎町で酪農で生計を立てている4人家族のベリエ家。
女子高生ポーラは健常者だが、両親と弟は聴覚障害者。
一家の仕事や日常生活の中で、ポーラが常に手話の同時通訳を担っている。
同級生のイケメン、ガブリエルに恋したポーラは、
歌手を目指すガブリエルがコーラス部に入部した為、後を追って入部。
顧問のトマソンはポーラの声を聴くなり、才能を感じ取り、
レッスンを受けるよう勧める。
戸惑いながらも次第に歌に熱中するポーラに、トマソンは更に、
コンクールに応募して、パリの音楽学校を目指すよう促す。
その頃、父親のロドルフは、町の開発に抗議して、町長選挙出馬を決意する。
両親はポーラが町長選挙や今後の酪農の仕事も手伝ってくれると期待しており、
ポーラが音楽学校入学を希望している事に反対の色を隠せない。
また、お目当のガブリエルが、変声期の為にコンクールを諦めようとしていて、
気落ちしたポーラは音楽学校進学を躊躇し始める。
しかし、トマソンの説得もあり、
気持ちを取り直したガブリエルと共に両親も快く応援してくれて、
コンクールで見事優勝し、パリに旅立つ。
爽やかな青春ストーリー。
気取らず、障害に関する社会派めいた押し付けがましさも無いのが良い。
(続く。)
出来れば、もっと専門家の意見を聞いてみたいんだけど、
適切なサイトを探すのに時間がかかりそう。
女の子にエールを送る映画、と、簡単に言ってしまえれば楽なのだけど、
重層的なアイロニーも感じる。
バービー人形は、女の子達を保守的な主婦像から解放し、
時代に合わせて様々な改革もして来た。
大統領や最高裁判事、ノーベル賞作家等々、リーダー的役割の職業、
人種、体型、障がい、ジェンダー等々、典型例と異なる外見にも踏み出した。
バービー人形は社会的に女性の立場を引き上げる取り組みをしていたが、
それでも、典型的な美女のバービー人形だけがロールモデルとされ、
サーシャのような、若い改革派の女性達から非難される。
現実の女性達こそが、一歩を踏み出せなかったのか、
バービー人形のメッセージ性に不備があったのか。
バービーランドでは、確かにリーダー的バービーが大勢存在するが、
夢の国バービーランドでは、ただ皆で楽しく歌い踊っているばかり。
リーダーとしての地位に中身が伴っていない。
それはまるで、女性に地位を与えても無意味だというようにも受け取れる。
一方、バービーの付属物的存在でしかない事に悩むケンもまた、
現実世界で男性の付属物となっている女性を
反転して象徴しているようにも見える。
女性目線から、ケンを笑う事は出来ない。
童話のピノキオのように、ラストでバービーは人間になった、
生殖器を備えて。
しかしそれは、バービーから不老不死と永遠の美を奪うものでもあり、
未だ男性優位の社会にあっては、多くの困難をもたらすものでもあり、
場合によっては、確立を願う自己を犠牲にしなければならないものでもある。
この世は矛盾に満ちている。
人間である事の象徴としての生殖器なのか。
ふと思えば、
我が身のみならず、
自己の確立を目標に定め、結婚や出産から遠のいた人生を送る女性も増えた。
結婚や出産を希望しなかったわけではないが、
生殖への参加は果たしていない。
それはむしろ、バービーランドに近づいたのだろうか。
自己の確立と生殖とを両立させるのがあるべき姿であるが、
理想はしばしば裏切られる。
誰もが戦いを避けて通れない。
今作は2023年の最大のヒット作でありながら、アカデミー賞では冷遇された。
コメディの皮を被った、女性の人権宣言という、
読み取りの難しさが混乱を巻き起こす。
適切なサイトを探すのに時間がかかりそう。
女の子にエールを送る映画、と、簡単に言ってしまえれば楽なのだけど、
重層的なアイロニーも感じる。
バービー人形は、女の子達を保守的な主婦像から解放し、
時代に合わせて様々な改革もして来た。
大統領や最高裁判事、ノーベル賞作家等々、リーダー的役割の職業、
人種、体型、障がい、ジェンダー等々、典型例と異なる外見にも踏み出した。
バービー人形は社会的に女性の立場を引き上げる取り組みをしていたが、
それでも、典型的な美女のバービー人形だけがロールモデルとされ、
サーシャのような、若い改革派の女性達から非難される。
現実の女性達こそが、一歩を踏み出せなかったのか、
バービー人形のメッセージ性に不備があったのか。
バービーランドでは、確かにリーダー的バービーが大勢存在するが、
夢の国バービーランドでは、ただ皆で楽しく歌い踊っているばかり。
リーダーとしての地位に中身が伴っていない。
それはまるで、女性に地位を与えても無意味だというようにも受け取れる。
一方、バービーの付属物的存在でしかない事に悩むケンもまた、
現実世界で男性の付属物となっている女性を
反転して象徴しているようにも見える。
女性目線から、ケンを笑う事は出来ない。
童話のピノキオのように、ラストでバービーは人間になった、
生殖器を備えて。
しかしそれは、バービーから不老不死と永遠の美を奪うものでもあり、
未だ男性優位の社会にあっては、多くの困難をもたらすものでもあり、
場合によっては、確立を願う自己を犠牲にしなければならないものでもある。
この世は矛盾に満ちている。
人間である事の象徴としての生殖器なのか。
ふと思えば、
我が身のみならず、
自己の確立を目標に定め、結婚や出産から遠のいた人生を送る女性も増えた。
結婚や出産を希望しなかったわけではないが、
生殖への参加は果たしていない。
それはむしろ、バービーランドに近づいたのだろうか。
自己の確立と生殖とを両立させるのがあるべき姿であるが、
理想はしばしば裏切られる。
誰もが戦いを避けて通れない。
今作は2023年の最大のヒット作でありながら、アカデミー賞では冷遇された。
コメディの皮を被った、女性の人権宣言という、
読み取りの難しさが混乱を巻き起こす。
2023年の話題作。
人形のバービーは、様々な種類のバービーやケン達と、
バービーランドで日々変わりなく楽しく過ごしていた。
しかし、ある日不意に死の概念に囚われると、
完璧だった身体にも、劣化の予兆が見られるようになってしまった。
人間界でスポイルされて汚れたバービーに相談すると、
バービー人形の持ち主を探して、その子と共に問題解決するよう促される。
バービーに思いを寄せるケンも付いて来た。
バービー人形の制作会社マテル社に行って、持ち主の女の子サーシャを見つける。
サーシャの母親グロリアの不安や苦しみが人形に反映されていたのだった。
ティーンエイジャーになったサーシャはバービー人形遊びにすっかり飽きていた。
バービーは、典型的なバービーの容姿が現実の女の子達を苦しめて来たと教えられ、
ショックを受ける。
実際の人間の世界は、バービーランドと真逆で、男性優位。
バービーに袖にされ続けて悩んだケンは、
男性性を誇示する事で力を得ようと考え、バービーランドを作り変えてしまう。
感化されたバービー達は、これまで培って来た誇り高い仕事を手放し、
従属的な立場に甘んじるようになる。
バービーとグロリアとサーシャは、バービーランドを立て直すべく戦う。
グロリアが女性の自立した生き方の重要性について語ると、
共感したバービー達は元の自分を取り戻し、バービーランドも復活する。
バービーは、バービーの考案者ルース・ハンドラーの魂と出会い、
人間として生きる決意をする。
バーバラ・ハンドラーと名乗り、婦人科を受診する。
まず、映画のイントロが「2001年宇宙の旅」のパロディで、めちゃウケる。
冒頭で、バービー人形は、女の子達を将来的な典型的専業主婦像から
解放する役目を果たした筈で、
バービーランドでは女性達の社会進出が進んでいた。
しかし、現実は...。
単純に、ガールパワー最高!とか、
女性も頑張れば地位を築けるとかっていうものではなく、
今作には様々な、反転した皮肉も込められているように見える。
(続く。)
人形のバービーは、様々な種類のバービーやケン達と、
バービーランドで日々変わりなく楽しく過ごしていた。
しかし、ある日不意に死の概念に囚われると、
完璧だった身体にも、劣化の予兆が見られるようになってしまった。
人間界でスポイルされて汚れたバービーに相談すると、
バービー人形の持ち主を探して、その子と共に問題解決するよう促される。
バービーに思いを寄せるケンも付いて来た。
バービー人形の制作会社マテル社に行って、持ち主の女の子サーシャを見つける。
サーシャの母親グロリアの不安や苦しみが人形に反映されていたのだった。
ティーンエイジャーになったサーシャはバービー人形遊びにすっかり飽きていた。
バービーは、典型的なバービーの容姿が現実の女の子達を苦しめて来たと教えられ、
ショックを受ける。
実際の人間の世界は、バービーランドと真逆で、男性優位。
バービーに袖にされ続けて悩んだケンは、
男性性を誇示する事で力を得ようと考え、バービーランドを作り変えてしまう。
感化されたバービー達は、これまで培って来た誇り高い仕事を手放し、
従属的な立場に甘んじるようになる。
バービーとグロリアとサーシャは、バービーランドを立て直すべく戦う。
グロリアが女性の自立した生き方の重要性について語ると、
共感したバービー達は元の自分を取り戻し、バービーランドも復活する。
バービーは、バービーの考案者ルース・ハンドラーの魂と出会い、
人間として生きる決意をする。
バーバラ・ハンドラーと名乗り、婦人科を受診する。
まず、映画のイントロが「2001年宇宙の旅」のパロディで、めちゃウケる。
冒頭で、バービー人形は、女の子達を将来的な典型的専業主婦像から
解放する役目を果たした筈で、
バービーランドでは女性達の社会進出が進んでいた。
しかし、現実は...。
単純に、ガールパワー最高!とか、
女性も頑張れば地位を築けるとかっていうものではなく、
今作には様々な、反転した皮肉も込められているように見える。
(続く。)