とりあえず、試してみる。
出版社と契約している女性マンガ家はごく僅かなので、
連載が終了したら、即無職の世界。
編集部がマンガ家の生殺与奪の権力を握っている。
編集者と上手く信頼関係を継続させられる場合もあれば、
そうでない場合もあり、
思わぬ事態で仕事を失ったり、不本意な仕事をさせられたりする。
前回の新條まゆ先生のケースがどうだったのかはわからない。
作家の側には切実な事情があるが、
編集者や編集部の言い分も聞いてみなければわからない。
でも、編集者は「会社員」なので、
本当に「本当の事」は明かさないし、SNSで公開もしない。
小学館の編集者一同で発表された追悼文に関しても、
SNSでも指摘されている通り、情緒的なばかりで、どこか歯切れの悪さがある。
日本テレビが改めて第三者委員会のような機関を立ち上げて
調査すると公表したが、果たしてどこまで機能するか。
旧ジャニーズ問題の時のように、何となく取り繕って終わりだろうな。
本気で調査して、それを公開するなら、
現場責任者の氏名や具体的言動を明らかにする必要があると思うが、
「会社」は自らの過失を公にはしない。
日本テレビが調査をすると言うなら、いずれ何らかの発表はあるだろうが、
内容に期待出来ないし、
おそらく、今後はいくらか映像化に慎重になるというだけの話だろう。
今回の事件をきっかけに、マンガ家の仕事の厳しい状況が改めて公表されたが、
それでマンガ家の立場が向上するとも思えない。
本当に...、
芦原妃名子先生の自死がもたらす社会的意義は何だったんだろう。
マンガ家同士団結しようと言う声も一部で上がっていたようだったが、
個人事業者の団結は難しい。
火中の栗が巨大過ぎる。
実績のあるマンガ家が主導的役割に就けば後輩が後に続くかもしれないが、
自分の仕事や生活を犠牲にして団結に注力する人はいないだろう。
将来的には、
マンガは出版社や編集部から離れて、
個人でネットで発表する形態が主流になるのだろう。
それはそれで、また違うビジネスモデルが構築される。
夢を追って、
夢を作品に込めて、
夢を読者に届ける。
誰もがそう思ってマンガ家になった筈なのに。
(改めて完了。)
問題解決の道筋が提起されないままで、
逆にSNSでのマンガ家さん達からの訴えが注目されている。
noteというのを知らなくて、本文をちゃんと読めていないのだけど、
「快感フレーズ」等で一世風靡した新條まゆ先生が、
かなり具体的で厳しいコメントをされているらしい。(ネットニュース情報)
一世風靡した、と書いたけど、
新城先生は「快感フレーズ」の後はもうH系の作品を描くのが嫌だったとか。
当時小学館の少女マンガは、他にも
北川みゆき先生とかも、大胆なH系の作品で人気を博していた。
雑誌として、そういった傾向の作品が人気であれば、作家に求めるだろうし、
作家の側もある意味勝負をかけて思い切った表現に挑む。
でも、本人が無理をしているのだとしたら、すぐに苦しくなるだろうし、
同じような作品ばかり要求されるのもかなわん。
新條先生はその頃から少しずつ編集部と溝が出来ていたのだろう。
小学館を出るという決意にまでなって、
そうしたところ、小学館側は過去作の絶版まで通達。
配信でももめている。
編集者の立場であれば、人気作家は引き留めておきたいから、
何とか丸く収めようとすると思うのだけど、
雑誌を背負う程の人気作家であれば、それなりに意志が強い。
お互い引き際が見つからなかったのか。
また、難しい話なんだけど、
雑誌のカラーを変えたい時期には、人気作家でも入れ替えをしたりする。
そこで様々な齟齬が生じる可能性もある。
(続く。)
それは「個人的」な関係性では問題があるので、
あくまでも「会社」としての信頼関係が望ましい。
ただ、それもまた微妙で、
「会社」として利益を優先する立場であれば、
巨匠クラスから下位グループまで、待遇に大きく差をつけられ、
下位グループのマンガ家はより蔑ろにされかねない。
やはりマンガ家にもユニオンがあれば助かるのだけど、
まだ影も形もなくて、仮に今設立されたとしても、
団体として成熟するまで、何十年も要するだろう。
ネットニュースで、様々なマンガ家さん達の追悼コメントが紹介されていた。
記事としてのバリューが求められるので、
拾われたコメントは、巨匠クラスから中堅どころがメインだろうか。
情緒的なものから、かなり厳しめのコメントまで、少し幅がある。
マンガ家さん達それぞれの立場や編集部との関係性が透けて見える。
言いたい事を言い切って平気なマンガ家さんもいれば、
現在の編集者との関係性を気遣うマンガ家さんもいる。
編集者も人それぞれで、マンガ家さんとの繋がり方もそれぞれなので、
担当編集者もその時々で対応がまちまちだろう。
どこまでも担当のマンガ家さんを守ろうとする編集者もいれば、
その同じ編集者が他のマンガ家には冷たかったりする。
何とも言えない。
所詮、人間がやる事。
事情はそれぞれなので、正解は見つからないけど、
結局は明確なルール作りをするしかないだろう。
マンガ家になって、
マンガ制作だけに打ち込めると思っていたが、
なかなかそうはならない。
それが人の世の常で、
そういうトラブルをマンガの中に描くのが作家なのだろう。
(このテーマ、一旦完了。)
日本テレビと小学館がそれぞれ追悼コメントを出したが、
いずれも責任逃れに終始したような、冷たい印象だった。
その後、小学館コミック第一編集部が改めて追悼文を公表。
小学館上層部との調整に時間を要しての後出しになったのだろうと言われている。
それは、人情に訴える文面だった。
でも、逆に、
逆にと言うか、
今回の事件との対比においては、どこか綺麗事にまとめたような、
上手な文章の空々しさが感じられた。
普段からここまで美しい話を並べられる状況だったら、
こんな事にはなっていなかっただろう。
芦原先生クラスの人気作家なら、
編集部も日頃から相応の敬意を払っていただろうとは思うのだけど。
出版社によっても状況は様々だと思うのだけど、
小学館は特に編集者の移動が頻繁に行われると言われている。
他の出版社でも、マンガ家と担当編集者が「お友達」にならないよう
編集部で指導されている。
距離が近くなると、信頼関係が深まるメリットはあるけれど、
編集者は1人のマンガ家にだけ付いている訳ではないので、
近しくなり過ぎると、他の担当マンガ家から「贔屓」だと見られてしまう。
まぁ、時には実際そうなる。
仲の良いマンガ家に仕事を振ったり、積極的にフォローしたりする。
多分以前にも少し書いたと思うのだけど、
それで、マンガ家が担当編集者に頼りきりになると、
担当が替わった時に身動き取れなくなってしまうので、それもマズイ。
マンガ家と担当編集者、編集部との距離感って難しい。
(続く。)