今月発売の「芸術新潮」で、
萩尾望都先生のラフスケッチを紹介する特集が組まれたとの事。
買いに行かなけりゃ。
萩尾先生の鉛筆によるスケッチは美しい。
タブレットでお手軽に書かれた線とは違って、生の感触がある。
でも、
ふと思う。
最近の「芸術新潮」って、なんか違う。
「柔道」が「JUDO」になったように、
「芸術」が「ART」になったような。
萩尾先生が「芸術」として取り上げられて嬉しい反面、
「マンガ」が「芸術」と言われる面映さがある。
自分にとってはカタカナの「マンガ」であって、漢字の「漫画」でもなく、
「サブカルチャー」と呼ばれるのにも抵抗があった。
「マンガ」は、たとえ何歳になっても、子供の心を詰め込んだ、
キラキラした紙の束であって欲しい。
一方で、
売れ行き不振の「芸術新潮」は、
「ART」や「サブカルチャー」にも手を広げて、販路をキープしようとしている。
それは、「芸術」との離別の始まりのように見えて仕方ない。
萩尾望都先生のラフスケッチを紹介する特集が組まれたとの事。
買いに行かなけりゃ。
萩尾先生の鉛筆によるスケッチは美しい。
タブレットでお手軽に書かれた線とは違って、生の感触がある。
でも、
ふと思う。
最近の「芸術新潮」って、なんか違う。
「柔道」が「JUDO」になったように、
「芸術」が「ART」になったような。
萩尾先生が「芸術」として取り上げられて嬉しい反面、
「マンガ」が「芸術」と言われる面映さがある。
自分にとってはカタカナの「マンガ」であって、漢字の「漫画」でもなく、
「サブカルチャー」と呼ばれるのにも抵抗があった。
「マンガ」は、たとえ何歳になっても、子供の心を詰め込んだ、
キラキラした紙の束であって欲しい。
一方で、
売れ行き不振の「芸術新潮」は、
「ART」や「サブカルチャー」にも手を広げて、販路をキープしようとしている。
それは、「芸術」との離別の始まりのように見えて仕方ない。
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