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マンガ家Mの日常
著作権を侵害する違法なダウンロードを厳しく取り締まろうという法案。
スクリーンショットまで違法とするという案も含まれていて、
マンガ家さん達から反対の声が上がっているらしい。
とりあえず、法案の提出は先送りになった。

著作権が守られるべきなのは当然の事。
でも、スクリーンショットまで取り締まられたら、
スクショをメモ代わりにしているスマホ時代に逆行する。

コミケでのパロディの氾濫とそれによる荒稼ぎ。
国内外での海賊版。等々。
注視すべきは無数にあって、どんなに規制をかけてもイタチごっこで、
それをスッパリ断ち切る為に大鉈振るおうってんだろうけど、
やり方が雑だね。

著作権侵害の問題については、このブログでも何度か書いて来た。

知ってか知らずか、どう見ても著作権侵害に当たる作品で
名声と富を得て来たマンガ家さんもいるのは間違いない。
罪の意識が薄かったんだろう、法律を学んでからマンガ家になるわけではないので。
でも、常識として、知らないでは済まされない事。
やっぱり、故意なんだろうね。

線引きは難しい。

各自が常識さえわきまえていれば、
騒ぎ立てるような問題ではない筈なのに。
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ほぼ仕事をしていないので、記帳は例年よりは簡単だけど、
それでも色々面倒だなと思う。
粛々と進めるしかない。

ガス料金が値上がりしてるなぁと実感する。

iPhoneから送信

定期購読している新聞に、
里中満智子先生が短期コラムで自伝を書いておられる。
これまでにも様々な形で、生い立ちやマンガ家生活について書いてこられたので、
大体は既知の内容になるだろうか。

70代に入られても、掲載された近影は華があって素敵。


少女マンガの世界で、巨匠と呼ばれる作家さんも多くおられて、
成熟したジャンルになったと実感される。
巨匠の中でも、頂点に立つのは、やはり萩尾望都先生をおいて他にいない。

でも、萩尾先生は異端としてスタートし、
独特の世界で作家性を発揮して来られたタイプ。
女王タイプとはちょっと違う。
子供の頃から少女マンガを読み出して、感じていたのは、
当時は各社に「女王」と言える存在がいたという事。


少女マンガの黎明期に、華やかなスターとして躍り出たのが、
集英社「マーガレット」の水野英子先生、わたなべまさこ先生。
少し後に、西谷祥子先生、浦野千賀子先生。
姉妹誌として創刊された「りぼん」で、一条ゆかり先生がデビューして、
瞬く間にスターダムに駆け上がった。
作品のメジャー性、華やかさ、そして、先生ご自身のスター性を含めて、
まさに女王と呼ばれる存在として君臨。

「週刊マーガレット」で池田理代子先生が時代を築いた。

その後、集英社で発行部数の新記録を塗り替えるマンガ家さん達が
多くおられたとしても、
一条先生と池田先生を超える存在感は見当たらない。

美内すずえ先生も、どちらかといえば異端の部類かな。


集英社に対する講談社「フレンド」で、細川智恵子先生。
そして、里中満智子先生が登場し、天才少女の名を欲しいままに、
同時期の大和和紀先生と双璧で、ヒット作を披露し続けた。

キャラクターが可憐で愛くるしい大和先生に対して、
里中先生の描くヒロインは女王然とした目をしている。
作品の品格と、ご自身の美貌と、マスコミでの活躍も相まって、
講談社の女王は里中先生以外にはいない。


里中先生や一条先生は、
まさしく王道と言える少女マンガの世界を突き進んで来られた。
描かれたのは、美しく、同時に行動力と勇気を兼ね備えたヒロイン、
壮大で夢溢れる、華やかなロマンの世界。


少女マンガの世界は様々な展開を経て、進化し、広範に広がりを見せている。

しかしながら、
子供が素直に憧れを抱いたような、
純粋なロマンの世界が王道たり得なくなっている事に、
一抹の寂しさを覚えずにいられない。


時代はまた巡って来るだろうか。



昨日ネットニュースで訃報を知る。
肺炎が悪化したという説明だったけど、今時肺炎で?と思うと、
他にも色々具合の悪い状態を抱えておられたのかもしれない。

実は、あさぎり夕先生の作品を直接拝読した事は無い。
「なかよし」の可愛らしい純情恋愛路線とは馴染みが無かったので。
むしろ、ある時急にボーイズラブ系の作品を描き始められた時に
知人のマンガ家さん達の間で話題に上ったのが印象として強い。
当時は「ボーイズラブ」なんていう言葉も無かった。
あさぎり先生の作品は特に過激な描写だったそうで、
それまでの可愛い路線とのギャップも大きかった。

今回、訃報を目にする中で、当時の「なかよし」コミックスの表紙を見ると、
男女が当時の流行のファッションに身を包んでいる姿に、
あさぎり先生の職人としての仕事ぶりを感じた。
あくまでも読者の要望に応じた作品を提供するという姿勢。
そこを突き詰めていたから、ある時ふっと全く違う傾向の作品に走ったのか。

何れにしても、様々なジャンルで成功を収めたのは、
やり甲斐を持って仕事されていたからに他ならない。

享年62歳。早過ぎる。
公私共にまだまだやりたい事が沢山あられただろう。

ご冥福をお祈りします。


新聞の死亡欄で知る。
享年65歳。早過ぎる。
死因は現時点では公表されていない。

青年誌を中心に活動されていたようなので、接点は無い。
それでも、お名前と画風だけは存じ上げていた。

以前、アシスタントさんから聞いた話。
国友先生は人気作家でありながら仕事嫌い。
編集部は仕事して欲しくて、大きな買い物(高級車?)とかギャンブルとか、
お金のかかる遊び等で出費させて、出版社に貸しを作らせて、
それで仕事せざるを得ない方向に持って行っていたとか。

早逝は残念ながら、ご本人的に、楽しい人生だったんだろう。

御冥福をお祈りします。