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マンガ家Mの日常
ネットニュースでチラホラ流れる記事。
森田まさのり先生が、過去の原稿のミス自虐をSNSで紹介しておられる。

ミスの内容は置いといて。

画面では、単行本からの抜粋とかではなく、生原稿が映し出されている。
森田先生の生原稿は見た事無いけど、SNSの画面でも、その美しさがわかる。流石。

少し拡大して見ると、コマとコマの間に、細いホワイト線が見える。
これはおそらく、コマを切り離して、アシスタントに個別作業してもらっていた名残り。
手の込んだ背景等がある場合、
そのコマだけ切り離して、背景描きのアシスタントさんに預けて、
他のコマは別に作業を進めて、それぞれ完成した後で貼り合わせる。
村上もとか先生もやっておられた。
週間連載あるあるかな。
切り離すのを嫌がる先生もおられるけどね。

ああ、
やっぱり、紙の生原稿は美しい。
これぞ、プロの妙技。
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新聞の小さな記事かコラムで読んだ。

「紙」の本に価値を求めるのは、健常者の傲慢さであるという主旨の意見。

身体に障がいがあって、自由に動けない人は、書店まで本を買いに行けない。
行けたとしても、重くて運べない。
視覚に障がいがある人は、本の文字が読みづらい。

私を含め、
本好きは「紙」の本を愛していて、「紙」の本が主流であるのが好ましいと思っている。
スマホやタブレットで読む小説は何となく味気ない。
マンガは尚の事、原画の命が感じられない。

でも、障がいのある人達にとっては、
持ち運びの不便が無く、文字を読みやすいサイズに大きく出来るデジタルが有効。

言葉も無い。

でも、「紙」の価値は依然あると思う。
個人的に、やっぱり「紙」が好き。

要するに、多様性の時代として、
それぞれの状況に応じた形の「本」を入手出来るようにするのが良いのだろう。

「紙」の上で生きて来た。

「紙」の生き残りを見つめる先に、
また別の生き残りの姿も見えるか。

吉田竜夫氏の実弟で、タツノコプロで共同でアニメーション制作に携わった、
九里一平氏が亡くなられた。83歳。

マンガやアニメーションで、
どのように仕事の分担をされていたのかはわからないけど、
とにかく、タツノコプロの作品は、
絵柄がチャーミングで、アメリカナイズされた色気があった。


何だろう、
最近の数多のマンガやアニメーションは、どれも絵柄が同じ。
テンプレ化してると言うのかな。
一見すると技術的には上手いようだけど、人間味が無い。

「作家」がいなくなっていっている。

iPhoneのアプリから記事を投稿。
不具合が出たので、記事を確認してみた。

記事は大丈夫なようだった。

今、アプリの方では、こんな感じで広告がゾロゾロ乗っかって来るのね。 

…変にエロなロリコン美少女アニメ風の広告は勘弁して欲しい。

ネットニュースの狭間に現れるので、つい摘み食い的に見てしまう。
多いのは、専業主婦とモラハラ夫のパターン。
そのパターンのコミックが実際に多いのか、
アルゴリズムのせいで、一、二度見ると現れ易くなるのか。

各作品中、それぞれ、離婚したり、しなかったり。
私個人は、両親の不仲や、姉の泥沼離婚を具に見て来た身としての見方と、
独身ワーキングウーマンの端くれとしての見方とがある。

つまるところ、
何でそんな相手と結婚しちゃったの?となるわけだけど、
結婚して、生活が始まると、現実がのしかかって来るから、
夫婦のあり様も変わってしまう。
そうなったら、お互い、相手への思いやりがあるかどうかに尽きる。


マンガ賞も獲得したヒット作では、
主人公である妻は、介護士の資格を取って、自立を模索するが、
幼い子供2人の為に、仮面夫婦の生活を継続する。
そこに至るまでに、彼女の気兼ねばかりする性格を形作ってしまった父親や、
モラハラと浮気疑惑の夫は、それぞれ、彼女に本心から謝罪する。
...現実では、そういう男性達は、ほぼまともに謝らない。
マンガ作品としての帰着の様な気がする。
そして、最終章として、成長した長女の立場からも語られるのだけど、
ネットの切れ端では紹介が無くて、よくわからなかった。
ただ、自分の経験から言うと、仮面夫婦の元で暮らす子供の立場も辛い。
ジワジワと心が蝕まれていく。
結局、何も良い事は無い。


マンガとは別に、ネットニュースで、
事実婚を解消した女性タレントのインタビューが載っていた。
彼女は、自分は子育てに追われる毎日なのに、
別れた男性は海外旅行等を気ままに楽しんでいて、不公平だと感じている。
いや、それこそ、そういうのは、お互いの話し合いでしょ。
挙句、母親が子育てをするべきだという社会の目線が良くない、
社会が変わるべきだ、と言う。
「社会」が何か法的に縛っている訳でもない。
ただ、世間体を気にしているだけ。
そして、こういう事を言いたがる人は、大抵、
子育て支援に「社会」に大金を要求するところに行き着く。

今や、皆、悲劇のヒロインを満喫している。


お国柄もあるのだろうけど、
フランス系アメリカ人のフィリップは、家事を苦にしなかった。
インド人の友人男性は、午後は娘さんのお迎えがあるので、
テニスの誘いを断る。
カナダ人の友人男性は、夕方は料理と、子供との食事時間に当てている。
日本でも、家事が得意な男性はそれなりにいるだろう。

男性の側にしても、100%の仕事に50%の家事育児負担を加えられたら、
それはやっていけない。
それが出来る完璧な男性はいない。
女性の側も、今後は、どういう男性をパートナーにするべきか、
選ぶ基準を変える必要がある。
ただし、そうしたところで、やはり、完璧な結婚生活など期待してはいけない。
靴下を脱ぎ散らかしにする夫か、
靴下の畳み方に神経質な夫か、
どちらかを選択するしかない。