萩尾先生が身近な人間関係の中での葛藤を描いた作品では、
TVドラマ化もされ、高い評価を得た「イグアナの娘」が広く知られる。
母親が自らのコンプレックスを長女に投影させるという図式。
しかし、作品が「プチフラワー」で発表される直前、私自身が母を亡くし、
作中で母親が亡くなる設定が辛くて、まともに読めなかった。
萩尾先生はエッセイ等で、時折ご家族について書かれた。
美人で優秀な姉は、模範的良妻賢母となり、価値観を押し付けてくる。
萩尾先生が母親と姉妹の物語を描く時、背後にこの姉の存在が感じられる。
シリーズ作「メッシュ」の中に、同じような、母親と姉妹の設定の
「苦手な人種」という作品がある。
しっかり者の母親は、美人で優等生の姉ばかり可愛がり、
ブス(と、本人が言う程でもなく、まぁまぁ可愛い。)な妹は反抗し、
益々母娘の溝が広がる。
妹は憧れの男性が姉になびくのを見て怒りを覚えるのだが、
その後の姉の人を食ったような反応に驚かされる。
作品の終盤で、姉妹の社会不適応の反転が起きる。
美人で優秀で、明るい道だけを歩み続けている姉は、
他者に対しては無関心で、ただニコニコしていれば良いとしか思っておらず、
男性が事故死する原因を作っても、状況を理解せず、罪の意識すら感じない。
優秀さ故の無関心か、無関心故の優秀さか。
余談ですが、
伊東愛子先生からのご紹介で萩尾先生宅へアシスタントに伺ったので、
仕事中、萩尾先生から、ふと伊東先生についてのお話がこぼれた。
「大泉」にも書かれている通り、伊東先生は鼻筋のスッと通った美人。
「伊東さんは美人だから、そうでない人の気持ちがわからないのよね。」と。
仕事中なので詳しくは聞けなかったけど、
お2人の間で、何かそういうエピソードがあったのかなぁ。
作品を作る際、作者は主に主人公の側から展開を見つめるので、
作者の立場や考え方、人間性は、主人公に、より近い。
しかしながら、全てのエピソード、全てのキャラクターは、
描いた作者のものだから、
主人公と相対するキャラクターもまた、作者の一部だと言える。
「苦手な人種」では、萩尾先生自身の位置づけは妹の方だと見られるが、
姉の方にも投影されている印象が、「大泉」を読んで、強くなった。
天才の萩尾先生は、言われるまで、竹宮先生の嫉妬や焦りを感知出来なかった。
(続く。)
TVドラマ化もされ、高い評価を得た「イグアナの娘」が広く知られる。
母親が自らのコンプレックスを長女に投影させるという図式。
しかし、作品が「プチフラワー」で発表される直前、私自身が母を亡くし、
作中で母親が亡くなる設定が辛くて、まともに読めなかった。
萩尾先生はエッセイ等で、時折ご家族について書かれた。
美人で優秀な姉は、模範的良妻賢母となり、価値観を押し付けてくる。
萩尾先生が母親と姉妹の物語を描く時、背後にこの姉の存在が感じられる。
シリーズ作「メッシュ」の中に、同じような、母親と姉妹の設定の
「苦手な人種」という作品がある。
しっかり者の母親は、美人で優等生の姉ばかり可愛がり、
ブス(と、本人が言う程でもなく、まぁまぁ可愛い。)な妹は反抗し、
益々母娘の溝が広がる。
妹は憧れの男性が姉になびくのを見て怒りを覚えるのだが、
その後の姉の人を食ったような反応に驚かされる。
作品の終盤で、姉妹の社会不適応の反転が起きる。
美人で優秀で、明るい道だけを歩み続けている姉は、
他者に対しては無関心で、ただニコニコしていれば良いとしか思っておらず、
男性が事故死する原因を作っても、状況を理解せず、罪の意識すら感じない。
優秀さ故の無関心か、無関心故の優秀さか。
余談ですが、
伊東愛子先生からのご紹介で萩尾先生宅へアシスタントに伺ったので、
仕事中、萩尾先生から、ふと伊東先生についてのお話がこぼれた。
「大泉」にも書かれている通り、伊東先生は鼻筋のスッと通った美人。
「伊東さんは美人だから、そうでない人の気持ちがわからないのよね。」と。
仕事中なので詳しくは聞けなかったけど、
お2人の間で、何かそういうエピソードがあったのかなぁ。
作品を作る際、作者は主に主人公の側から展開を見つめるので、
作者の立場や考え方、人間性は、主人公に、より近い。
しかしながら、全てのエピソード、全てのキャラクターは、
描いた作者のものだから、
主人公と相対するキャラクターもまた、作者の一部だと言える。
「苦手な人種」では、萩尾先生自身の位置づけは妹の方だと見られるが、
姉の方にも投影されている印象が、「大泉」を読んで、強くなった。
天才の萩尾先生は、言われるまで、竹宮先生の嫉妬や焦りを感知出来なかった。
(続く。)
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