世界的なトランペッター日野皓正による
映画「セッション」さながらの中学生へのビンタ事件。
74歳という年齢から見て、日野氏の忍耐力の欠乏とも思えたが、
物事は見る角度によって違って来る。
日野氏のジャズにかける真剣さを思えば、
あの行動は言及する必要も無い、ごく些細なレベルだと思える。
中学生が趣味として音楽をやるだけなら、セミプロの指導者で十分で、
日野氏のような世界的な巨匠を指導者として招く必要はなかった。
日野氏に指導を依頼したからには、日野氏が語る通り、
プロとして世界に認められるジャズミュージシャンを目指す事が前提となる。
加えて、コンサートでは入場料も取っている。
たかが中学生の演奏に対して、である。
おそらく、施設利用料を賄う為だろうが、
演奏する側が素人であれば、演奏者が金銭負担をするのが筋だと思う。
気軽に他人にお金の支払いを求めて良い筈が無い。
何を勘違いしているのだろう、とさえ思う。
ロックであれば、奇跡的に大成功したら、
東京ドームで1夜に5万人の観客を動員する事もあるし、
アルバムが10万枚、100万枚売れる事もある。
こういう数字ばかりが一人歩きするけれど、
それはごく限られた、奇跡の中にだけ存在する概念でしかない。
クラシックの場合、アルバムは2000枚も売れれば大ヒットだとされる。
ジャズであれば、日野氏も契約しているBLUENOTEは、
世界的にもジャズクラブの最高峰の地位を確立しているが、
BLUENOTE TOKYOでキャパシティは300人くらい。
生音を聞かせるにはそれくらいの規模の会場でなければならないのだろう。
世界的に有名なベテランアーティストのバンドでも、
チケット代は1万円に届かない金額である事が多い。
単純計算して、諸経費を考えれば、動くお金は限られている。
それ程、音楽でプロとして生きていくのは厳しい。
それで暴力が肯定される訳では無いけれど、
逆に、生徒の側から見た場合、日野氏の指導を飲み込めていない事が問題で、
日野氏にあそこまでやらせる程に、日野氏の指導が気に入らないのだったら、
もっと早い段階で指導から外れるべきだった。
ただし、中学という義務教育の枠組みの中で存在するバンドなので、
そこから強制的に外されるのは教育の権利の侵害にもなりかねないので、
そこをどう考えるかはとても難しい。
全体のハーモニーを理解出来ていないというのは、
バンドでの演奏者としてのレベルに達していないと判断されるので、
補欠扱いにして、コンサートには出演させない。
選択肢はそう言ったところだろうか。
スポーツでも、補欠で試合に出られない選手は多くいるので、
これならフェアなやり方だと言える。
いつも通っているジムの先生は本来空手の指導者で、
空手の「押忍」という言葉の中には、
指導者に全てを委ねる決意、覚悟も含まれていると語っておられた事がある。
美大受験の際に、美術指導の予備校の夏期講習に行った時、
指導教官に反対意見を言ったら、
「自分の指導に逆らうなら来なくて良い。」というような事も言われた。
芸術やスポーツにおいては、指導者が絶対だという世界もある。
指導者も、それだけ真剣だという事でもある。
指導方針に合わないと思えば、生徒は他の指導者を探す事も出来るし、
独学で勉強していく事も出来る。
努力と運で困難な道を乗り切った者だけがプロとして生き残れる。
残酷な世界。
その残酷さをどの段階で思い知るか、それに尽きる。
どの分野でも、趣味として楽しくやって行きたいのであれば、
それにマッチした指導を受けられる団体もある筈。
自分に合った指導者を探すのもまた努力であるし、
自分に合った指導者に巡り会うのもまた運である。