3、4回に分けて、やっと見終わりました。
シングルマザーのダイアンの一人息子スティーヴは、
多動性注意欠陥障害を抱えている。
普段は陽気なティーンエイジャーだが、暴力的になると手が付けられない。
施設に入っていたが、放火事件を起こして他の入所者に火傷を負わせ、退所。
ダイアンとスティーヴの二人暮らしが始まる。
お向かいは夫婦と娘一人。
教師のカイラは(きっかけは不明)引きこもりで、吃音状態。
職探しに苦労するダイアンから、スティーヴの世話を任される。
最初こそは衝動的で時として粗暴なスティーヴに手を焼いたが、
不安な心の内に触れ、次第に打ち解け合う中で、
カイラ自身の引きこもりや吃音も解消されていく。
カイラから勉強を教わって、スティーヴ自身も将来に希望を抱き始める。
音楽を学びに、ジュリアードに入学するのが夢。
施設で火傷を負わせた入所者の両親から高額な賠償金の訴えを起こされ、
困ったダイアンは知人の弁護士の男に相談しようとデートに誘うが、
同行したスティーヴが騒ぎを起こし、男は怒って去ってしまう。
身動きの取れなくなったダイアンは、改めて
スティーヴをもっと厳しい施設に入所させる事にする。
翻訳の仕事を得て、淡々と日々を送るダイアン。
カイラは夫の転勤で、急にトロントへ引っ越さねばならなくなり、挨拶に来る。
唯一とも言える、理解者であり、友人でもあるカイラとの別れに
ダイアンは寂しさを隠しつつ、虚勢を張るかのように明るく振舞うのだった。
施設で拘束着を着せられたスティーヴは、一瞬の隙をついて逃亡を図ろうとする。
まず、架空の設定として、
経済的理由がある場合、親は合法的に
障がい児の養育を放棄して施設に入所させられる、となっている。
現実的に、国、地域によって、どのように法整備がなされているか、
サポート団体はどこまで整備されているか、
家族の立場はどう捉えられているか、
そういった事に対する知識が乏しいので、何とも言いかねる面が多々ある。
とは言え、愛情だけでは支えきれないのも事実。
公共の保護システムがあってしかるべきだけど、
家族、特に母親は、我が子を手放す罪悪感に苛まれる。
そことどう折り合いをつけるか、折り合いは付けられるものなのか。
現実と同様、映画の中でも、解決策は提示されないまま。
話題になったのは、正方形の画面。
登場人物のアップが多用されているのもいつもの手法。
画面は絵画的で、肖像画のようにも見える。
登場人物の心情表現としては、
問題に圧迫されて外界への関心が持てず、個人の狭い世界に押し止まっている感じ。
生活が安定した僅かな期間のみ、通常比の画面になる。
まぁね、そういう手法って、どこまで意味があるんだか、って思っちゃう。
また、上映時間が長いのも同様。
若くて才能があって、表現したい事が沢山有り過ぎるんだろうけど、
盛り込み過ぎると、鑑賞後の印象が分散されてしまうので、
もっと削ぎ落とす作業に取り組んだ方が良いように思える。
現状では、「表現形式」が先行して、却って、主題への関心を損なってしまっている。
「表現形式」に言及した評論が多いのが示している通り、本末転倒。
鑑賞者に余計な事は考えさせず、ひとつの主題を伝える事に集中すべし。
BGMの1曲として、OASISの名曲「Wonder Wall」が使われている。
楽曲の使用料、高かったんじゃないかなぁ〜、とつい心配してしまう。
シングルマザーのダイアンの一人息子スティーヴは、
多動性注意欠陥障害を抱えている。
普段は陽気なティーンエイジャーだが、暴力的になると手が付けられない。
施設に入っていたが、放火事件を起こして他の入所者に火傷を負わせ、退所。
ダイアンとスティーヴの二人暮らしが始まる。
お向かいは夫婦と娘一人。
教師のカイラは(きっかけは不明)引きこもりで、吃音状態。
職探しに苦労するダイアンから、スティーヴの世話を任される。
最初こそは衝動的で時として粗暴なスティーヴに手を焼いたが、
不安な心の内に触れ、次第に打ち解け合う中で、
カイラ自身の引きこもりや吃音も解消されていく。
カイラから勉強を教わって、スティーヴ自身も将来に希望を抱き始める。
音楽を学びに、ジュリアードに入学するのが夢。
施設で火傷を負わせた入所者の両親から高額な賠償金の訴えを起こされ、
困ったダイアンは知人の弁護士の男に相談しようとデートに誘うが、
同行したスティーヴが騒ぎを起こし、男は怒って去ってしまう。
身動きの取れなくなったダイアンは、改めて
スティーヴをもっと厳しい施設に入所させる事にする。
翻訳の仕事を得て、淡々と日々を送るダイアン。
カイラは夫の転勤で、急にトロントへ引っ越さねばならなくなり、挨拶に来る。
唯一とも言える、理解者であり、友人でもあるカイラとの別れに
ダイアンは寂しさを隠しつつ、虚勢を張るかのように明るく振舞うのだった。
施設で拘束着を着せられたスティーヴは、一瞬の隙をついて逃亡を図ろうとする。
まず、架空の設定として、
経済的理由がある場合、親は合法的に
障がい児の養育を放棄して施設に入所させられる、となっている。
現実的に、国、地域によって、どのように法整備がなされているか、
サポート団体はどこまで整備されているか、
家族の立場はどう捉えられているか、
そういった事に対する知識が乏しいので、何とも言いかねる面が多々ある。
とは言え、愛情だけでは支えきれないのも事実。
公共の保護システムがあってしかるべきだけど、
家族、特に母親は、我が子を手放す罪悪感に苛まれる。
そことどう折り合いをつけるか、折り合いは付けられるものなのか。
現実と同様、映画の中でも、解決策は提示されないまま。
話題になったのは、正方形の画面。
登場人物のアップが多用されているのもいつもの手法。
画面は絵画的で、肖像画のようにも見える。
登場人物の心情表現としては、
問題に圧迫されて外界への関心が持てず、個人の狭い世界に押し止まっている感じ。
生活が安定した僅かな期間のみ、通常比の画面になる。
まぁね、そういう手法って、どこまで意味があるんだか、って思っちゃう。
また、上映時間が長いのも同様。
若くて才能があって、表現したい事が沢山有り過ぎるんだろうけど、
盛り込み過ぎると、鑑賞後の印象が分散されてしまうので、
もっと削ぎ落とす作業に取り組んだ方が良いように思える。
現状では、「表現形式」が先行して、却って、主題への関心を損なってしまっている。
「表現形式」に言及した評論が多いのが示している通り、本末転倒。
鑑賞者に余計な事は考えさせず、ひとつの主題を伝える事に集中すべし。
BGMの1曲として、OASISの名曲「Wonder Wall」が使われている。
楽曲の使用料、高かったんじゃないかなぁ〜、とつい心配してしまう。
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