鬼才ポール・バーホーべン監督、
17世紀のイタリア、ぺシアに実在した修道女
べネデッタ・カルリーニの伝記映画。
6歳で修道院に入ったべネデッタは、神の声を身近に感じていた。
20代になる頃には、イエス・キリストの姿を幻視するようになる。
貧しい少女バルトロメアが、
父親や兄達からの性的虐待から逃れようと修道院に来た。
べネデッタの両親が持参金を支払ってやった事で、
べネデッタはバルトロメアの監督者の役を任される。
インモラルな美しさをたたえたバルトロメアに心惹かれる。
ある時、熱病にかかったべネデッタは、イエスの姿に導かれるように起きると、
手の甲と足先から血を流していた。
修道女達はそれを「聖痕」だと崇め始めるが、
修道院長フェリシタは茨の冠による額の傷が無い事から、
べネデッタの聖痕を信じようとしない。
するとその後、通路で倒れたべネデッタの額の傷から血が流れ出す。
フェリシタの娘クリスティナは、陶器の破片を見つけて、
べネデッタが自分で額を傷付けたのだと確信する。
べネデッタの聖痕は街の人々の知るところとなり、支持を集めると、
アルフォンソ主席司祭はべネデッタを修道院長に据える。
クリスティナは聖痕が自傷によると訴えるが、
実際に現場を見てはいなかった事がフェリシタから語られ、
厳罰を受け、精神を病んで飛び降り自殺する。
べネデッタとバルトロメアは親密になり、修道院長室で同性愛行為に耽る。
娘の死に嘆くフェリシタは隠し穴からべネデッタを監視し、
フィレンツェに行き、ジリオーリ教皇大使に告発する。
その頃、イタリア全土でペストが猛威を振るっていた。
べネデッタはぺシアの街を守るべく城門を閉じさせると、急死する。
審問に来たジリオーリは城門を強行突破し、修道院に入る。
すると、棺桶に据えられていたべネデッタが蘇る。
フェリシタはフィレンツェでペストに感染しており、隔離される。
ジリオーリの足を洗う際に、べネデッタはペストの症状に気付く。
その事を伝えられたフェリシタは、自分はジリオーリから感染したと知る。
審問でべネデッタは同性愛行為を否定するが、
残虐な拷問を受けたバルトロメアは耐えきれず、全貌を明かしてしまう。
べネデッタは公開火刑に処せられるが、火が放たれた瞬間、
バルトロメアが駆け寄り、火を消そうとすると、
べネデッタが示す手の聖痕から血が流れ出し、興奮した民衆も押し寄せる。
ぺシアにペストを持ち込んだ後悔から、フェリシタは火の中に身を投げ出す。
火刑台の下に血の付いた陶器の破片を見つけたバルトロメアは、
べネデッタの聖痕が自傷によるものだと認識を新たにする。
街の外に逃れたべネデッタとバルトロメアだったが、
べネデッタはあくまでも聖痕の自傷を認めず、ひとり修道院に戻る。
ぺシアはペストの猛威から免れた唯一の街とされた。
べネデッタは処刑は免れたが、70歳で最期を迎えるまで、
修道院で隔離された生活を送った。
火刑のシーンは創作だそうだけど、脚本は原作に忠実に作られているとか。
全編かなり生臭く、刺激的ではある。
同時に、人間の生きる力の強さにも圧倒される。
クリスティナやバルトロメアが陶器の破片を見つけた事から、
べネデッタの聖痕捏造説の方が信憑性を帯びてくるのだけど、
映画の中でははっきりとした答えは出さない。
感想として、強いて言うなら、
神の声やイエス・キリストの幻視を深く感じていたべネデッタが、
自分の体験を知らしめる為に、聖痕という「道具」を使った?
自らイエスの嫁だと自覚しつつ、同性愛行為も受任する、
べネデッタの自己矛盾。
ネットで少し検索すると、
キリスト教世界の激しい男尊女卑と権力闘争が問題のベースにあるとも。
べネデッタはぺシアの人々の支持を得たものの、
それ故に権力の増大を恐れた教皇側がべネデッタを潰しにかかった。
同性愛行為自体は見過ごされていたけど、
男性器を模った玩具の使用となると、処刑の対象になったとか。
バルトロメアに使われた拷問道具は女性器を傷つける物で、
拷問を与える側も宗教者でありながら、男女の性器に不気味な拘りがある。
これはキリスト教世界の自己矛盾と言える。
べネデッタを裁けるのはべネデッタ自身のみ。
17世紀のイタリア、ぺシアに実在した修道女
べネデッタ・カルリーニの伝記映画。
6歳で修道院に入ったべネデッタは、神の声を身近に感じていた。
20代になる頃には、イエス・キリストの姿を幻視するようになる。
貧しい少女バルトロメアが、
父親や兄達からの性的虐待から逃れようと修道院に来た。
べネデッタの両親が持参金を支払ってやった事で、
べネデッタはバルトロメアの監督者の役を任される。
インモラルな美しさをたたえたバルトロメアに心惹かれる。
ある時、熱病にかかったべネデッタは、イエスの姿に導かれるように起きると、
手の甲と足先から血を流していた。
修道女達はそれを「聖痕」だと崇め始めるが、
修道院長フェリシタは茨の冠による額の傷が無い事から、
べネデッタの聖痕を信じようとしない。
するとその後、通路で倒れたべネデッタの額の傷から血が流れ出す。
フェリシタの娘クリスティナは、陶器の破片を見つけて、
べネデッタが自分で額を傷付けたのだと確信する。
べネデッタの聖痕は街の人々の知るところとなり、支持を集めると、
アルフォンソ主席司祭はべネデッタを修道院長に据える。
クリスティナは聖痕が自傷によると訴えるが、
実際に現場を見てはいなかった事がフェリシタから語られ、
厳罰を受け、精神を病んで飛び降り自殺する。
べネデッタとバルトロメアは親密になり、修道院長室で同性愛行為に耽る。
娘の死に嘆くフェリシタは隠し穴からべネデッタを監視し、
フィレンツェに行き、ジリオーリ教皇大使に告発する。
その頃、イタリア全土でペストが猛威を振るっていた。
べネデッタはぺシアの街を守るべく城門を閉じさせると、急死する。
審問に来たジリオーリは城門を強行突破し、修道院に入る。
すると、棺桶に据えられていたべネデッタが蘇る。
フェリシタはフィレンツェでペストに感染しており、隔離される。
ジリオーリの足を洗う際に、べネデッタはペストの症状に気付く。
その事を伝えられたフェリシタは、自分はジリオーリから感染したと知る。
審問でべネデッタは同性愛行為を否定するが、
残虐な拷問を受けたバルトロメアは耐えきれず、全貌を明かしてしまう。
べネデッタは公開火刑に処せられるが、火が放たれた瞬間、
バルトロメアが駆け寄り、火を消そうとすると、
べネデッタが示す手の聖痕から血が流れ出し、興奮した民衆も押し寄せる。
ぺシアにペストを持ち込んだ後悔から、フェリシタは火の中に身を投げ出す。
火刑台の下に血の付いた陶器の破片を見つけたバルトロメアは、
べネデッタの聖痕が自傷によるものだと認識を新たにする。
街の外に逃れたべネデッタとバルトロメアだったが、
べネデッタはあくまでも聖痕の自傷を認めず、ひとり修道院に戻る。
ぺシアはペストの猛威から免れた唯一の街とされた。
べネデッタは処刑は免れたが、70歳で最期を迎えるまで、
修道院で隔離された生活を送った。
火刑のシーンは創作だそうだけど、脚本は原作に忠実に作られているとか。
全編かなり生臭く、刺激的ではある。
同時に、人間の生きる力の強さにも圧倒される。
クリスティナやバルトロメアが陶器の破片を見つけた事から、
べネデッタの聖痕捏造説の方が信憑性を帯びてくるのだけど、
映画の中でははっきりとした答えは出さない。
感想として、強いて言うなら、
神の声やイエス・キリストの幻視を深く感じていたべネデッタが、
自分の体験を知らしめる為に、聖痕という「道具」を使った?
自らイエスの嫁だと自覚しつつ、同性愛行為も受任する、
べネデッタの自己矛盾。
ネットで少し検索すると、
キリスト教世界の激しい男尊女卑と権力闘争が問題のベースにあるとも。
べネデッタはぺシアの人々の支持を得たものの、
それ故に権力の増大を恐れた教皇側がべネデッタを潰しにかかった。
同性愛行為自体は見過ごされていたけど、
男性器を模った玩具の使用となると、処刑の対象になったとか。
バルトロメアに使われた拷問道具は女性器を傷つける物で、
拷問を与える側も宗教者でありながら、男女の性器に不気味な拘りがある。
これはキリスト教世界の自己矛盾と言える。
べネデッタを裁けるのはべネデッタ自身のみ。
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