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マンガ家Mの日常
腰が痛くてあんまり動けないので、
これを機に、面倒な感じの映画を見る。

アグスティンはアルゼンチンのとある街で小児科医として働いていたが、
妻が産まれて間もない赤ん坊を養子にもらおうとしたあたりで、
気持ちがぐらつき始める。
子供は欲しく無い。
妻と言い争いになり、生活も自暴自棄になり、引きこもりがちになる。

そんな時、故郷の貧しい小さな島で暮らしていた双子の兄ペドロが
いきなり訪ねて来る。
真面目な自分と違って、兄は両親を敬いもせず、好き勝手に生きて来た。
ペドロは既に末期がんで、アグスティンに自殺幇助を頼もうとする。
アグスティンは衝動的にペドロを風呂場で溺れ死にさせる。

アグスティンは自分が死んだように見せかけて、ペドロに成り代わり
故郷の島に戻る。
責任の薄い生活をしたかったのか?
しかし、ペドロは悪党仲間とつるんで誘拐ビジネスに手を染めたりしていて、
アグスティンも巻き込まれてしまう。
長年離れていた故郷の生活は思いの外ハードだった。
遂には仲間とのいざこざで命を落とす。
短い間ではあったが、若い女性ロサと愛し合うようになり、
死の間際に永遠の愛を誓う。

ヴィゴ・モーテンセンが二役を演じているのだけど、
映像技術の進化で、双子のシーンがスムーズに見える。スゴいもんです。
かなり枯れた役所だけど、やっぱりイケメンですね。

芸術系の映画だからか、説明を省いている面がやや多くて、
あちこちちょっと分かり難かったりする。
都会の小児科医としての安定した人生に、急に嫌気が差して、
故郷の自然の中で養蜂業に戻るってのはありなのかもしれないけど、
だったら、わざわざ死を偽装しなくても良かった。
それに、故郷の貧しさを見ると、あんなとこじゃなくて、
他の街で他の人生を始めれば良かったんじゃないかな。

冒頭で、ペドロが養蜂の仕事をしていて、
群れを強くする為に、元の女王蜂を殺して、もっと強い女王蜂を仕込む。
意味有りげなシーンなんだけど、
その後のストーリーとの関連性がイマイチ伝わって来ない。

アグスティンは何故、無学で荒くれ者で貧乏の双子の兄に成り代わろうとしたのか?
幼馴染みで悪友のアドリアンに指摘されたように、
アグスティンは小心な弱虫として人生を歩んで来てしまったから、
それがずっとトラウマになっていて、根源から作り直したかったのかもしれない。

兄のペドロのようにはなれなかったけど、
人生の最期をワイルドに、果敢に過ごした。

やっぱり、もうちょっとわかり易く描いてくれると助かるんだけど、
観客それぞれに考えさせるのが芸術の役割なのかな。


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