マンガの仕事をしていて、物語を作ると言う事は、
何かの出来事や言動があって人の心が動いて行く様を描く事だというのがあって、
そう言う現象に注視するよう心掛けていた。
バート・ランカスター主演の「エルマー・ガントリー」と言う古い映画を
以前見た事があって、それはカルトの走りのような内容だった。
正しいかどうかは別にして、
人がどのような過程を経て洗脳されて行くのか、興味深いものがあった。
今作もカルトを描いた作品。
サイエントロジーをモデルにしているとも言われている。
第二次世界大戦末期、
水兵のフレディは任地のハワイで悶々とした日々を送っていた。
戦争が終結して無事アメリカに帰るが、
父は飲酒が元で早くに他界しており、母親は精神病院暮らし、
何処にも行く当てが無い。
仕事に就いてもトラブルを起こしてばかりで長続きしない。
粗暴で女好き、精神的に不安定。
ある時仕事場の仲間を密造酒で殺しかけて、逃亡し、客船に逃げ込んだ。
その船ではドッドと言う男が中心となって、
神秘主義の会合のような事をやっていた。
何故かドッドに気に入られ、フレディは行動を共にするようになる。
次第にドッドの怪し気な催眠療法のようなものや、神秘主義的思想に傾倒してゆく。
不遇な環境で育ったフレディはドッドに父性を求めていたのかもしれない。
しかし、やがて別れが訪れる。
それぞれの心理描写を説明するような台詞等は無いので、
解釈が難しく、具体的に映画の内容を説明するのも難しい。
ドッドは信者達にマスターと呼ばれ、
各自が精神的に捕われている何かから解放されるよう教えを施すのだけど、
それは反面、マスターに従う、精神的に捕われると言う矛盾をはらんでいる。
一方で、ドッドが熱心に導いた筈のフレディは自らの反抗心を消せない。
この相克が互いを惹き付けあったのかもしれない。
ラストでドッドはフレディに、
「君こそがマスターを持たない最初の人間になるかもしれない。」と伝える。
人は自由でありたいと願う一方で、何かに所属していなければ不安でたまらない。
自由である事は常に人生を不安定で際どくさせる。
ドッドは、薬物の過剰摂取で先頃亡くなったフィリップ・シーモア・ホフマン。
フレディは、薬物の過剰摂取で若くして亡くなった俳優
リヴァー・フェニックスの弟のホアキン・フェニックス。
ドッドのエセ知識人的な微笑みと、フレディの粗暴で陰影の濃い表情が
強いコントラストを示している。
冒頭から観客を不安にさせる雑音のような音楽がしつこくまとわりついている。
レディオ・ヘッドのジョニーによるものらしい。
ところで、ラストでフレディがドッドの娘の行方について尋ねると、
ドッドの後妻が「DCFよ。」と答えるのだけど、
ゴメンナサイ、意味が分かんない。フレディも分かってない。
映画の中でも説明が無い。
フツーに検索すると「ディスカウント・キャッシュ・フロー」しか出て来なくて
尚更意味が分かんない。
映画関連で調べてみるしか無いのかな。
何かの出来事や言動があって人の心が動いて行く様を描く事だというのがあって、
そう言う現象に注視するよう心掛けていた。
バート・ランカスター主演の「エルマー・ガントリー」と言う古い映画を
以前見た事があって、それはカルトの走りのような内容だった。
正しいかどうかは別にして、
人がどのような過程を経て洗脳されて行くのか、興味深いものがあった。
今作もカルトを描いた作品。
サイエントロジーをモデルにしているとも言われている。
第二次世界大戦末期、
水兵のフレディは任地のハワイで悶々とした日々を送っていた。
戦争が終結して無事アメリカに帰るが、
父は飲酒が元で早くに他界しており、母親は精神病院暮らし、
何処にも行く当てが無い。
仕事に就いてもトラブルを起こしてばかりで長続きしない。
粗暴で女好き、精神的に不安定。
ある時仕事場の仲間を密造酒で殺しかけて、逃亡し、客船に逃げ込んだ。
その船ではドッドと言う男が中心となって、
神秘主義の会合のような事をやっていた。
何故かドッドに気に入られ、フレディは行動を共にするようになる。
次第にドッドの怪し気な催眠療法のようなものや、神秘主義的思想に傾倒してゆく。
不遇な環境で育ったフレディはドッドに父性を求めていたのかもしれない。
しかし、やがて別れが訪れる。
それぞれの心理描写を説明するような台詞等は無いので、
解釈が難しく、具体的に映画の内容を説明するのも難しい。
ドッドは信者達にマスターと呼ばれ、
各自が精神的に捕われている何かから解放されるよう教えを施すのだけど、
それは反面、マスターに従う、精神的に捕われると言う矛盾をはらんでいる。
一方で、ドッドが熱心に導いた筈のフレディは自らの反抗心を消せない。
この相克が互いを惹き付けあったのかもしれない。
ラストでドッドはフレディに、
「君こそがマスターを持たない最初の人間になるかもしれない。」と伝える。
人は自由でありたいと願う一方で、何かに所属していなければ不安でたまらない。
自由である事は常に人生を不安定で際どくさせる。
ドッドは、薬物の過剰摂取で先頃亡くなったフィリップ・シーモア・ホフマン。
フレディは、薬物の過剰摂取で若くして亡くなった俳優
リヴァー・フェニックスの弟のホアキン・フェニックス。
ドッドのエセ知識人的な微笑みと、フレディの粗暴で陰影の濃い表情が
強いコントラストを示している。
冒頭から観客を不安にさせる雑音のような音楽がしつこくまとわりついている。
レディオ・ヘッドのジョニーによるものらしい。
ところで、ラストでフレディがドッドの娘の行方について尋ねると、
ドッドの後妻が「DCFよ。」と答えるのだけど、
ゴメンナサイ、意味が分かんない。フレディも分かってない。
映画の中でも説明が無い。
フツーに検索すると「ディスカウント・キャッシュ・フロー」しか出て来なくて
尚更意味が分かんない。
映画関連で調べてみるしか無いのかな。
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