ここ暫くのツアー続きで、TVドラマのチェックが行き届かず、
「クィーン・メアリー」の再放送の初回を録画し損ねてしまった。
初回が無いと仕方ないので、その後も見ていない。
「女王ヴィクトリア」は録画して見始めた。
それはともかくとして、
「クィーン・メアリー」の副題が「愛と欲望の王宮」、
「女王ヴィクトリア」の副題が「愛に生きる」となっているのに
いささかウンザリさせられる。
その時代を深く知っている訳では無いけれど、知る限りでは、
メアリーは政治戦略の波に翻弄された人生で、
ヴィクトリアに至っては、偉大な主君と評された人物。
それなのに、女性だからという事で恋愛面ばかりが強調されてしまう。
それは視聴者を惹きつける為なのだろうけど。
ドラマでも映画でも小説でも、とかく女性が主人公の場合、
恋愛要素が必須とされる。
むしろ、恋愛前提。
いや、人生において、確かに恋愛は一つの大事な要素だよ。
でも、それ以外にも大事な事って沢山あって、
そうした事に心血注いで活動している女性も大勢いる。
女性の皆が皆、全人生で恋愛にばかりトチ狂っている訳では無い。
自分自身、恋愛が苦手。
それは子供の頃から。
マンガを描き始めても、恋愛を描くのが苦手で、
まぁ、だからデビューも遅いし、その後も売れないし、なんだけどね。
おまけに、今に至るまで、恋愛していて楽しかった事など全く無い。
相手が浮かれていようと、離れそうになろうと、
その時々での気遣いをするのが義務のように感じられてしまう。
どうしてだろう?
例えば、家族って、
生まれた所に属するしかなくて、自分では選べないまま一生続く。
嫌でも我慢するしかなくて、それが当たり前だと思って生きていく。
そんなもんだと思っているから、
家族の前段階である筈の恋愛も義務の一環のようにしか捉えられないんだろうか。
お互い適度に目をつぶって、波風立てず、
与えられた状況下で我慢してやって行けば良いように思うのだけど。
「クィーン・メアリー」の再放送の初回を録画し損ねてしまった。
初回が無いと仕方ないので、その後も見ていない。
「女王ヴィクトリア」は録画して見始めた。
それはともかくとして、
「クィーン・メアリー」の副題が「愛と欲望の王宮」、
「女王ヴィクトリア」の副題が「愛に生きる」となっているのに
いささかウンザリさせられる。
その時代を深く知っている訳では無いけれど、知る限りでは、
メアリーは政治戦略の波に翻弄された人生で、
ヴィクトリアに至っては、偉大な主君と評された人物。
それなのに、女性だからという事で恋愛面ばかりが強調されてしまう。
それは視聴者を惹きつける為なのだろうけど。
ドラマでも映画でも小説でも、とかく女性が主人公の場合、
恋愛要素が必須とされる。
むしろ、恋愛前提。
いや、人生において、確かに恋愛は一つの大事な要素だよ。
でも、それ以外にも大事な事って沢山あって、
そうした事に心血注いで活動している女性も大勢いる。
女性の皆が皆、全人生で恋愛にばかりトチ狂っている訳では無い。
自分自身、恋愛が苦手。
それは子供の頃から。
マンガを描き始めても、恋愛を描くのが苦手で、
まぁ、だからデビューも遅いし、その後も売れないし、なんだけどね。
おまけに、今に至るまで、恋愛していて楽しかった事など全く無い。
相手が浮かれていようと、離れそうになろうと、
その時々での気遣いをするのが義務のように感じられてしまう。
どうしてだろう?
例えば、家族って、
生まれた所に属するしかなくて、自分では選べないまま一生続く。
嫌でも我慢するしかなくて、それが当たり前だと思って生きていく。
そんなもんだと思っているから、
家族の前段階である筈の恋愛も義務の一環のようにしか捉えられないんだろうか。
お互い適度に目をつぶって、波風立てず、
与えられた状況下で我慢してやって行けば良いように思うのだけど。
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