忍者ブログ
マンガ家Mの日常
昨日、義妹からメールが来て、すぐに弔電を手配すべきだったが、
少し疲れていて、弔電の文章を考える為の頭が回らず、今朝に持ち越した。
当日配送となると、時間指定が出来ないそうだけど、
式場宛なら受け取りは大丈夫だろう。

母の弟で、少し年が離れていた。
顔立ちが母よりも祖母によく似ていたが、性格はとても穏やかで、
ややキツめの祖母や母とは違っていた。


佐賀県の唐津市に住んでいて、
子供の頃は毎年お盆の時期に祖母方のお墓参りを兼ねて、家族で小旅行に行った。
しかし、物心ついた頃には既に両親の不仲は子供にもわかる程だったので、
色々な緊張感は付き纏っていた。
倹約家の母は、安上がりな国民宿舎に泊まるのを選択していたが、
もう少しゆったり過ごしたい父は、近くのホテルを希望した。
多少贅沢出来るのは子供としても歓迎だったが、
それよりも、そんな事で両親が気まずい雰囲気になるのは見たくなかった。

当時の自分は、お盆や、親族の墓参りといった事の意味を模索する時期で、
そうした行事は好ましく感じ取っていた。
また、家族で出かける事も滅多に無かったので、
毎年の唐津行きが楽しみだった。

しかし、同居していた母方の祖母が、私が小学6年生の終わり頃に亡くなり、
その頃から、両親のいずれかが自宅に残るようになった。
両親は、家を開けるのが不用心だからと言っていたが、
夫婦で一緒に行くのが面倒なようにしか見えなかった。

もう少しすると、姉や弟は学校の部活等を優先させるようになり、
大学の夏休みで私が帰省しても、もはや誰も唐津に行こうとしなくなっていた。
ホテルの予約だけは取ってあったので、
母に勧められて、二度ほど、地元の友人を誘って行った。
マンガ家デビューした後、一度だけ母と二人で行った記憶がある。
姉がまだ離婚に至っていない頃、甥っ子を連れて行ったのが
最後の記憶だろうか。

母が亡くなって、暫くした後、父に、唐津に墓参りに行きたいと言ったら、
「何でだ。」と、顔をしかめて嫌がられてしまい、
それ以後は何も言い出せなくなり、叔父とも疎遠になった。
父は母方の親戚関係を好ましく思っていなかった。
詳細はわからない。


叔父と、唐津の思い出。

美しい記憶だけを取り残しておけたらいいのに。
PR

コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿
URL:
   Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字

Pass:
秘密: 管理者にだけ表示
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL

この記事へのトラックバック