「No Consideration」
NYに暮らす友人が、アメリカ人の特性の一つとしてあげていた。
「Consider」の一般的な訳は「考慮する」になるかと思うけど、
「思いやる」と言う意味もある。
アメリカ人は思いやりがない。
勿論、当人達はそうは思っていなくて、むしろ思いやりがあるとさえ思っている。
日本とアメリカの基準の違いなのかもしれない。
ケヴィンとメッセンジャーでやり取りをしていて、
フィリップの時の躓きを思い出す。
フィリップは20歳くらいまではパリで暮らしていたから、
生粋のアメリカ人とは少し違うのかもしれないけど、
その後のアメリカ暮らしの方が既に長いから、感性はアメリカ人に近いだろう。
直接会って話をした時には、私の英語が未熟で、
ケヴィンの話をよく聞き取れていない時もあるのだけど、
自分が言った事くらいはしっかり覚えている。
それでも、ケヴィンの思い込みだけを主張されてしまう。
そして、「自分は正しい。」のオンパレード。これには少々驚かされた。
自分は真っ当で、正しくて、間違った事は言ってない、
どういう自信を持ってしてそこまで言い切れるのか。
本人は気付いていないかもしれないけれど、
やはり話し合いになると、道は白か黒かのどちらかしか無い。
そりゃあアメリカは戦争になる訳だ。
あくまで自説を曲げず、譲歩もしなければ、
戦争か暴動かと言った武力闘争で決着をつけるしか無くなる。
日本人の特質として、忖度だの、空気を読むだの、建前だの、
批判はされているけれど、
その中には相手に対して思いやりを持って譲歩している面も多々ある。
譲り合って、グレーゾーンでお互いを生かしている。
大方のアメリカ人にはそれが出来ない。
政治経済における日米交渉の現場を思うと、空恐ろしくなる。
あらかじめ思いやりを持って接するのが「負け」のようにすら思えてしまう。
アメリカ人と接する事で、思いやりを失っていくとしたら、何とも悲しい。
シャノンやジェフのように、丁寧な思いやりを示す人達も中にはいる。
...そういう人達はアメリカではさぞ生き辛いだろう。