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マンガ家Mの日常
この2日間、ブログを書けませんでした。

書けなかった、というのではなく、
昼間、混み合ってるとかで、記事を書くページにアクセス出来なかったのね。

W杯のせいかなぁ。

今、深夜、というより、早朝?
もうじき朝の4時。
これから暫くの間、この時間帯でなきゃ投稿出来ないのかなぁ。
「公開予約」の時間設定をすれば良いのかな。

深夜0時から始まってたドイツvsメキシコ戦が見たかったんだけど、
日曜日のジム帰りの疲れで、寝ちゃった。
深夜2時半頃、ふっと目が覚めて、ブラジルvsスイス戦をチラホラ見てる。
この時間帯だと、ずっとは無理だなぁ。

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「別冊花とゆめ」に続いて、
集英社の女性誌「月刊YOU」の廃刊を知らせる記事が新聞に載った。

名前の通った雑誌が相次いで廃刊になると、流石に淋しい。
いずれもデジタルで連載等を継続して行くとの事。

背景には、デジタル化と読者のコミックス志向があるそうで、
雑誌離れが進んだけど、マンガ自体の需要はあるらしい。
それならまだ救われるのかなぁ、とは思うけど、
雑誌掲載に慣れた作家は仕事の状況の転換を図らなければならなくなる。
それは結構難しい。

雑誌掲載からコミックス化の流れがあって仕事が成立して来た。
デジタルになっても、編集部からの締め切り設定があれば、
さしたる違いは無いのかもしれない。
ただし、雑誌で見るのとは画面の印象が違ってしまうし、
デジタルの画面で映える描き方が求められるようになるだろうし、
デジタル先行で発表された作品は、例えそれなりにヒットしたとしても、
コミックス化はされ難くなるだろう。

既に、出版社や編集者を不要とする「中落ち」が進行しつつある。
出版社の顔色を伺いながらのマンガ制作から解放されるという利点は大きい。
一方、商業誌をベースにして育つプロの形は育ち難くなる。
メジャー志向の作品が減って、
書き手の個性が重要視される傾向になるかもしれない。
それはそれで、面白い作品が生まれる可能性を広げる。
しかしながら、やはり、市場が小さくなりかねない懸念も見過ごせない。

ネット社会が広がったとしても、その中でのマンガの流通はまだ黎明期にある。
流通が整うまで、どれくらいの年月を要するのだろう。

「休刊」なんていう言葉はまやかしに過ぎないので、
正確に「廃刊」と書かせていただく。

白泉社と繋がりは無いので、今朝の朝刊の記事を見るまで全く知らなかった。
出版不況と言われて久しく、マンガ雑誌の発行部数も落ち込み続ける中、
少女誌では「別花」が部数トップとされていた筈なのに、
それでも歯止めが効いていなかったとは。

創刊当初の個性的な作家陣に比べると、昨今の作家は絵の判別もし難く、
印象が弱いという感は拭えない。
とは言え、絵の可愛らしさやテーマの選び方等、センス良くて、
必ずしも作家のレベルが下がったという訳では無いのだろう。

それでも廃刊に追い込まれるというのは、
少女マンガ誌のビジネスモデルの限界なのだと思われる。
(この点について、もっと深く掘り下げられると良いのだけど、
 論じるだけの情報を持ち合わせておらず、語りきれずに申し訳ない。)

マンガ雑誌の部数の落ち込みに関しては、
少子化やネットの隆盛が原因として挙げられがちだけど、
TVドラマの原案に多く使われている現状を見ても、
コンテンツとしての少女マンガの魅力が薄れた訳ではなく、
むしろ、作品の評価は高く、注目度は上がっている。

問題は、
嵩張る紙媒体が敬遠されている点もあるのだろうか。

確かに、重いし、場所を塞ぐ。
1回読んだら即処分となると、費用対効果も良く無い。
実際、自分自身、雑誌を購入する機会は減ったし、
随分前から減らす方向で努力していた。
読みたい作品だけコミックスで買って、まとめて読んだ方が読み応えがあるし。

しかしながら、私の場合は、やはり読むなら紙媒体に行き着く。

携帯コミックは便利なんだろうけれど、
絵の美しさが実感として伝わって来ない。

携帯コミックがそれなりにシェアを高めている背景には、
読者が絵の美しさに対して価値を認めていないという問題が見える。
それはつまり、絵を読み解く、感じ取る感性が減退しているという事でもある。

その点が一番恐ろしい。

絵を読むというマンガ本来の機能が揺らいでいる。


3月後半はバタバタと国内を駆けずり回っていて、新聞に目を通す余裕も無く、
訃報に気づくのが遅れてしまいました。
新聞に告知が出たのが15日頃で、お亡くなりになったのは1日だったそうで、
近親者で葬儀等全て済まされてからのお知らせとなったようでした。


子供の頃の記憶では、
少女向け恐怖漫画で楳図かずお先生と2枚看板で競い合っておられて、
題材や絵が怖くて、怖いもの見たささえも吹き飛んで、
しっかり見る勇気も無かった。

きっと、今見ても恐ろしく感じてしまうでしょう。

当時の恐怖漫画の陰には、昭和の貧困や古い因習が根を下ろしていた。


ご冥福をお祈り申し上げます。

昨日、ぶんか社のデジタル配信部門の担当者からメールが入った。
実は少し前に異動になっていて、今月退社されるとの事。
お仕事、お疲れ様でした。

以前連絡をいただいた時に、
「デジタル配信でアーカイブ的に作品をまとめましょう。」
といったお話をしていただいていた。

それと並行して、「浅見光彦シリーズ」廉価版コミックスの発行に向けて、
原稿の手直しをしなければならなくて、
これが思った以上に手間がかかって、結構な仕事量になってしまった。
それで、デジタル配信用の原稿の手直しが進まず、
その後別の仕事をしたり、個人的な用事で時間を取られたりで、
この用事が済んだら、と思っているうちにまた次の用事が入るの繰り返しで、
いつという設定された期限も無く、編集さんから特に催促も無かったので、
ズルズルと作業が中断したままになってしまっていた。
当時の原稿について、手を入れ難いのもあったんだけど。

そして、今回のメール。
何かはっきりしない部分もあったんだけど、
私の作品集に関して、デジタル化自体が進行していなかった節が垣間見える。
後から問い合わせのメールをしたんだけど、それには返信が無い。

その編集さんご自身は積極的に進めて下さっていたようだった。
でも、最終的には会社の判断なので、
上の方の人達がストップをかけたのだとしたら、どうにもならない。
私の力不足でもある。

それはそれで仕方ない事なんだけど、
急な話なので、今回のメールに至るまでの過程が分からない。
デジタル化がストップになったのは、いつ頃の事なんだろう。
前から預けてあった原稿に関しても、
デジタル配信がなされたという連絡がずっと無かったので、
元々、決定事項では無かったのだろうか。

手直しにはかなりの労力が必要になる。
今回、殆ど手付かずだったけど、もし全部の作業を完了させて、
それで「配信はありません。」なんて事になっていたら、それも迷惑な話。
折々で状況を知らせて欲しかった。

まぁね、これまでも、どの出版社でも、雑誌の廃刊の時なんて、
マンガ家は知らせてもらえるのは最後の最後だもんね。

おいおい、個人で配信出来るような場所を探して、やって行くか。

そうなると、妥協が効かず、手直しがもっと難しくなる。