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マンガ家Mの日常
萩尾望都先生、デビュー50周年記念、ポーの一族展、
鑑賞して来ました。

朝日新聞主催なので、新聞に連日広告が掲載されていて、
宣伝が行き届いていたせいもあってか、平日の午後ながら、盛況。
列の進みを待たされる時も少しはあったけど、
その分、じっくり原画を堪能出来ました。

オープニングの日を飾る様に、お花を届けてもらったのだけど、
バラの切り花を1週間以上状態を保たせる事も叶わず、撤収済み、
どんなアレンジになっていたか、見ておきたかったんだけど、
混み合う週末を避けて、他の用事をくぐり抜けてからとなると、
行く日が選べず、ちょっと残念。


一般当日券1,000円は破格の安さ。
「ポーの一族」を中心に、数多くの生原稿を一気に鑑賞出来る機会なんて、
そう多くはない。
50周年という、後にも先にも有り得ない最大の節目の時だからこそ実現した。


「ポーの一族」「メリーベルと銀のばら」「小鳥の巣」「トーマの心臓」
この辺りは、人生の一部のように、脳裏に刻み込まれている。
マンガの世界で、これらを超える奇跡を体験した事は無い。

ストーリーの美しさ、絵の美しさ、
時を超えて、営みを見るような、人々の生命感。
Gペンで引かれた線の1本1本に、芸術の魂が宿っている。

奇跡としか言いようが無い。

雑誌掲載時、当時は画面の横や下部に、
次号のお知らせや広告等が組み込まれる事が多く、
余白を空けて描かなければならない場合があった。
コミックスにする際に、描き足しをして画面を調整する。
そんな描き足しであったり、コマの継ぎ足しであったり、
ただ、失敗して切り貼りして描き直したり、
様々に原稿を修正している跡も見られて、
執筆当時の苦労と研鑽が偲ばれる。




「小鳥の巣」以降のポーの一族のシリーズに関しては、
個人的には関心が持てなくなった。
物語の骨格の様なものが成されていない。
「小鳥の巣」で近代を描いた後、現代編とでもいうべき作品を描いて、
シリーズを完了させていれば、歴史が歴史として成立し得た様な気がする。
人気が出過ぎて、作者自身もキャラクターに未練が強くなり、手離せなくなった。
40年の時を経て、再開されたのは一大トピックではあったが、
歴史が後戻りしない様に、作品も、元の世界を取り戻せない。

奇跡に引き込まれたかつての数年間がかけがえが無く、
何かが壊れてしまうのが怖くて、
新作とされるものを読む事が出来ずにいる。




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間隔が開くと、論点を忘れそうになる。


マンガ家は完全に個人事業主。
吉本興業の芸人さん達は、所属タレント。
芸人さん達は事務所に対しての責任を負うのと同程度、
事務所から守られて然るべきなんだけど、そうもなっていない。
その点では、吉本の芸人さん達の方が厳しい状況にあるようにも感じられる。

事務所はあまりにも大勢の芸人さんを抱えているので、
末端までは目が行き届かない。
本来ならば、実力のある芸人さんのみ所属を受け付けて、
契約を取り交わして、きちんと面倒を見るべき。
でも、とにかく、やたらめったら大勢所属させるのは、
各々が切磋琢磨して、這い上がる事が求められているから。
芸の道はそういうもの。

...と言えば聞こえは良いけど、
要するに、
誰が、いつ売れるか、事務所側でも検討がつかないから、
出るに任せているだけという状況に近い。

これはマンガの仕事でも似たようなところがある。
昔に比べて、とにかく大勢デビュー出来るようになった。
チャンスをもらえるのは有り難い。
でも、編集部が、プロとしての将来性を図っての事ではなく、
その後の読者のアンケート任せ。
デビューして、連載抱えて、仕事場を設置したは良いけど、
アンケートが悪ければ連載はすぐに打ち切られて、
アシスタント代や、仕事場の契約や、備品購入にかかった経費が
丸々赤字となって残るのみ。

一般の会社でこれをやったら、大変な事になる。
大卒の新入社員を大勢雇って、
2、3年で芽が出なかったらどんどんクビを切る。
それが出来れば、会社側は楽だろうけど、
そうしないように、採用の段階で慎重になる。
まぁね、それでも上手くいかない事が山程有るのが実情だろうけど。


実力不足の者が外されていくのは仕方ない。
でも、少しは安心して仕事に打ち込める環境があっていい筈。
お笑いでも、マンガでも、
才能が活かされないのは寂しい。

(このテーマ、一旦終了。)

新聞を開いて、記事が目に入った。


ブログで書きかけの記事がいくつかあって、
どれもこれも中途のまま後回しになって申し訳ないけど、
日々、次から次に様々な事が起こるので、追われるが如く書かざるを得ない。
ネタを何も思いつかない時もあるのにね。


「花とゆめ」に掲載された作品のキャラクターの絵柄が、
別のマンガ家さんの絵柄に酷似している点について、
編集部がHPで謝罪のコメントを出した。
絵柄は、編集部がマンガ家にそのように描くよう指示したと言う。

一読して思ったのは、
何を今更、と言う事。

流行りの人気作家の絵柄を真似するよう、どの編集部でも指導している。
少女誌に限った事でもない。
それが読者に受け入れられる近道だから。

個人的には、
作家は個性が命だと思うので、
既存の絵柄と同じになっては、作家とは言い難い。
でも、新人の場合、好きなマンガ家の絵柄を真似るところから始めて、
プロの水準の画力を身に付ける。
あらゆる芸術においても、それは一つの方法論として成立している。
その上で、少しずつ自分自身の絵柄を発見していけば良い。
ベテランのマンガ家でも、絵柄が時代にそぐわないと感じられたら、
生き残る為に、流行りのテイストを取り入れていく。


ただ、今回のケースは少し様相が異なるように思えた。

ネットでの紹介を読むと、問題とされた作品は、
少女マンガと少年マンガの世界の融合をファンタジー的に描いたようで、
思うに、作者は、
少女マンガと少年マンガにおける代表的な絵柄を使用する事で、
表現を試みたのではなかろうか。
いささかトリッキー。
器用さが裏目に出たって事かな。

編集部としては、おそらく、
ネット上での批判を抑えて、作者を守る為に、謝罪コメントを出したのだろう。


蛇足ながら、
いずれの絵柄も、
同じような絵柄が蔓延していて、もはや誰の絵とも見分けがつかない。

ずっと以前にも少し書いたので、
ご記憶の方もおられるかもしれない。

マンガの契約書って、とっても大雑把で、
いわゆる、ペラ1枚。
韓国版の契約書なんて、数字のミスさえ複数箇所あったというお粗末さ。
法律家が手がけた契約書とは思えない。

仕事の契約に限らず、契約書にサインしたら、従う法律上の義務が発生する。
どんなに面倒でも、自分自身できちんと読んで、
内容を把握してからでなくてはサインしてはいけない。
問題箇所があれば、サインする前に訂正を求める。
それは社会人の常識なのだけど、
「たかが」女性マンガ家の立場でまともにそれをやると、
編集部からは嫌な顔される。

でも、絶対やらなきゃダメ。
おかしな契約書にサインなんてしちゃダメ。
自分達で善処しなければ、
女性マンガ家は「たかが」という立場にいつまでも取り残される。

元の話題が何だったか、記憶が曖昧だけど、
少し前に、ネットの大手ファッションサイトの社長が、
Twitterで、働き方についての問題の中で、
公正な賃金を得る為には、会社に申し出るようにと語っていた。

いや、それは果てしない理想論でしかなくて、
賃金アップを申し出たら、面倒臭がられて、クビを切られたりするのがオチ。
マンガの世界でもそうだし、
今回問題の中心となった吉本興業では、
闇営業の問題を受けても、契約書等を作る事はしないと明言した。
若手の給与体系にしても改善はされないだろう。

(続く。)

お笑い芸人さん達の闇営業が取り沙汰されている。
反社会勢力との関わりはあってはならない事だろうけど、
様々な状況を考えると、
芸人さん達ばかりを責め立てるのは気の毒に思える。
同じ吉本興業の先輩に当たる芸人さん達が厳しい発言をするのは、
現時点で公に後輩をかばう事が、その後輩達をさらに窮地に追いやりかねない、
そうした親心からのように思われる。
本心では、もっとかばって、守ってやりたいだろう。

タレントさん達が個人で営業をして収入を得る事については、
所属する会社によって、まちまちらしい。
しかし、それも、今現在問題になっている吉本興業では、
芸人さん達との大元の契約が無く、最低限の収入の保障も無い点にも
目が向けられつつある。

こうした状況を目の当たりにすると、
マンガの世界もほぼ同じなので、肝が冷える。

ハーレクインは海外資本なので、1作毎に契約書が出される。
例外的と言える。

他の出版社では、雑誌掲載時には何の契約書も無い。口約束のみ。
「そんな面倒なことをするくらいなら、マンガは取り扱わない。」
と豪語していた編集者もいたけれど、それはその人が決める事では無いし、
マンガが無くなれば、その人の仕事も無くなると認識すべき。

ただ、細かい作品の全てで契約書を取り交わすのは、
実務的にも無理があるのは確かだろう。

(続く。)