先日の新聞の読者投稿欄。
更に前に掲載された投稿を受けての投稿らしい。
主旨は、
「本の値段が高過ぎる。過剰な装丁は必要無い。」
といったもの。
小売書店は潰れ、出版不況で喘いでいる中、
もっと値段を下げろと言うのは、作家を含め、出版関係者には酷な話だと思う。
過剰な装丁というのがどういったものなのか分からない。
普段書店で見かけるハードカバーの新刊本でも、
装丁が過剰と思われるようなものは覚えが無い。
ハードカバーになるのはそれなりの意味がある。
長く、繰り返し読んでもらう為に、しっかりした装丁になっている。
投稿者は図書館もよく利用されるとの事だったが、
図書館で大勢の利用者が回し読みするなら、尚更丈夫な装丁が必須になる。
投稿の中で、本の値段を投稿者自身の時給やコメの値段と比較していた。
その方の労働や、農家の方の労働も尊いものだと思う。
では、それに対して、出版関係者の労働は低く見積もられるべきなのか?
1冊の本が作られるまでに、
作家が熾烈な競争をくぐり抜け、どれ程の研鑽を重ねて来たか、
ご存知なのだろうか。
図書館の本が作家の収入を圧迫している現状もある。
苦労して書いた作品を只で回し読みされる屈辱を理解出来るだろうか。
芥川賞受賞の話題作は図書館の予約が1年待ちで、なかなか読めない、と言う。
只なのに、待つ事も不満だと言われるのか。
話題の新作が読みたいのは人情だけど、それは映画に例えるならロードショー。
新作のロードショーは相応の映画館で上映され、相応の料金がかかる。
映画を数多く安く見たいならば、TVやレンタルに降りて来るのを待つ。
そういうものではなかろうか。
図書館には人が一生かかっても読みきれない数の本が取り揃えられている。
書店にも安価な文庫本が多数並んでいる。
新刊にこだわらず、そういう中からまだまだ良書を沢山発掘出来る筈。
TVの普及以後、人は無料の情報サービスに慣れてしまった。ネットもしかり。
でも、実はTV番組も只では無い。
番組にスポンサーが付いていてCMを流している。
それらTVCMの料金は宣伝広告費として企業の商品対価に含まれている。
視聴者は見えない形で番組の料金を間接的に支払っている。
その感覚が誤魔化されているだけ。
本が安く買えれば良い。
高校や大学教育の無償化。
介護や育児施設のサービスの拡充。等々。
本来価値が高いものを、何でもかんでも値切り過ぎではなかろうか。
教育や施設は国からの補助もあるけれど、それでも労働現場は過酷になるばかり。
先日報道された、とある保育園で給食が削られていた件に関しても、
保育園の経営状況を思うと、利用者が園長を一方的に責める様子の方が
よっぽど虐待のように感じられた。
価値のあるものには相応の労働対価が支払われるべき。
そんな単純な事がまだ認められないのだろうか。
更に前に掲載された投稿を受けての投稿らしい。
主旨は、
「本の値段が高過ぎる。過剰な装丁は必要無い。」
といったもの。
小売書店は潰れ、出版不況で喘いでいる中、
もっと値段を下げろと言うのは、作家を含め、出版関係者には酷な話だと思う。
過剰な装丁というのがどういったものなのか分からない。
普段書店で見かけるハードカバーの新刊本でも、
装丁が過剰と思われるようなものは覚えが無い。
ハードカバーになるのはそれなりの意味がある。
長く、繰り返し読んでもらう為に、しっかりした装丁になっている。
投稿者は図書館もよく利用されるとの事だったが、
図書館で大勢の利用者が回し読みするなら、尚更丈夫な装丁が必須になる。
投稿の中で、本の値段を投稿者自身の時給やコメの値段と比較していた。
その方の労働や、農家の方の労働も尊いものだと思う。
では、それに対して、出版関係者の労働は低く見積もられるべきなのか?
1冊の本が作られるまでに、
作家が熾烈な競争をくぐり抜け、どれ程の研鑽を重ねて来たか、
ご存知なのだろうか。
図書館の本が作家の収入を圧迫している現状もある。
苦労して書いた作品を只で回し読みされる屈辱を理解出来るだろうか。
芥川賞受賞の話題作は図書館の予約が1年待ちで、なかなか読めない、と言う。
只なのに、待つ事も不満だと言われるのか。
話題の新作が読みたいのは人情だけど、それは映画に例えるならロードショー。
新作のロードショーは相応の映画館で上映され、相応の料金がかかる。
映画を数多く安く見たいならば、TVやレンタルに降りて来るのを待つ。
そういうものではなかろうか。
図書館には人が一生かかっても読みきれない数の本が取り揃えられている。
書店にも安価な文庫本が多数並んでいる。
新刊にこだわらず、そういう中からまだまだ良書を沢山発掘出来る筈。
TVの普及以後、人は無料の情報サービスに慣れてしまった。ネットもしかり。
でも、実はTV番組も只では無い。
番組にスポンサーが付いていてCMを流している。
それらTVCMの料金は宣伝広告費として企業の商品対価に含まれている。
視聴者は見えない形で番組の料金を間接的に支払っている。
その感覚が誤魔化されているだけ。
本が安く買えれば良い。
高校や大学教育の無償化。
介護や育児施設のサービスの拡充。等々。
本来価値が高いものを、何でもかんでも値切り過ぎではなかろうか。
教育や施設は国からの補助もあるけれど、それでも労働現場は過酷になるばかり。
先日報道された、とある保育園で給食が削られていた件に関しても、
保育園の経営状況を思うと、利用者が園長を一方的に責める様子の方が
よっぽど虐待のように感じられた。
価値のあるものには相応の労働対価が支払われるべき。
そんな単純な事がまだ認められないのだろうか。
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