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マンガ家Mの日常
ノンフィクションの場合、どうしても当事者間で気まずい状況が発生する。
出来事についての言い分は人それぞれだろうし、
仮に事実だとしても、公にして欲しくない事もあるだろう。
人間関係についてかなり踏み込んで書かれているのは、
竹宮先生が既にマンガを描く仕事から離れて長くて、失うものが無いから。
とは言え、流石に最も気まずい事柄には触れられていないように思う。
もっとドロドロがあったとあちこちから漏れ伝わっている。
それでも、嘘にならぬよう、竹宮先生自身、
当時の傷口を開く思いで書かれた部分も多々あるだろう。

若輩ながら商業マンガを描く身としては、
マンガ制作についてのノウハウ的なものに関心があったのだけど、
それよりも、若き日の竹宮先生は、竹宮先生をマンガ家たらしめた
周囲の人達への思い入れが強いのに驚かされる。

仕事に集中するべく、20歳で大学を中退して上京。
間も無く同年代の萩尾先生や増山さんと知り合う。

この増山さんという方の立ち位置については、
担当編集者も混乱していたとある。
マネージャーと呼ばれるのを嫌って、
少女マンガにおけるプロデューサー的な仕事を確立させようとしていた。
少年マンガに比べて、少女マンガは個人の感性を主体に創作される傾向が強く、
マンガ家が全て1人で創作する仕事の仕方になる。
現在もそういうやり方がメインではあるが、仕事が小規模に収まる嫌いはある。
竹宮先生を通して少女マンガの世界を変革していこうと、
プロデューサーを買って出た増山さんの胆力は大人顔負け。

出会った当時、親の希望で音大入学を目指して浪人中だったそうで、
そうなると、19歳か20歳か。
年齢にしては感性が非常に大人びている。
家族の影響で幼い頃から様々な芸術に触れて来たので、知識で圧倒している。
竹宮先生の増山さんに対する憧れ以上の心酔ぶりが伺える。
増山さんに翻弄されながらも、創作面で頼りにしている。
増山さんがいなかったら、作品がもっとずっと独りよがりになって、
立ち行かない場面もあっただろう。
僅か20歳で上京して一人暮らしする中で、
家族のように側にいてくれる存在が不可欠で、同時に、
徳島出身の竹宮先生には、都会っ子でパトロネス的な増山さんは、
文学作品の世界のヒロインそのものに映ったのだろう。
裕福な家庭の育ちで、時としてわがままお嬢様ぶりも伺える。
それもまた愛しく感じられたのだろう。

増山さん自身は音楽の道に進む事も、マンガ家になる事もかなわず、
竹宮先生の創作のアドバイザー的なポジションに収まる。
増山さんの仕事を確立させたのは、増山さん自身の力だけではなく、
竹宮先生のリードでもあったと言える。

(続く。)
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