先日、とある大ヒット少女マンガのバナー広告が
ネットニュースの端に上がっていて、1ページだけ画面が出ていた。
学校帰りに主人公と友達が3、4人で話しながら歩いている3、4コマの後、
下段に目的地らしき建物の入り口付近が描かれていた。
人物が描かれたコマには背景が無くて、真っ白。
建物の入り口付近が描かれたコマには人物が描かれていない。
無空間とゴーストタウン。
たまたまこのページだけがそうだっただけかもしれないけれど。
人物に合わせて、邪魔にならない背景を描き入れたり、
建物にいる人物を描いたり、
そういう、ごく普通の「風景」を描く力が乏しくなって来ている。
その原稿はデジタルではないかもしれないけれど、
楽な方に流れて、
写真のトレースから、加工、コピー、ペーストとなってくれば、
「絵を描く」力ではなく、「ツールを扱う」力に移行して行く。
絵を描くという「想像力」が弱まって行く。
昨今では遂に絵を描くアプリが進化して、
文字入力で「画面構成」が出来るようにさえなって来た。
ニュースで紹介されていたのを見ると、
まるでフランスのバンド・デシネのような完成度の高さに驚かされる。
そうなると...、
マンガもやがてはそのままアプリで3Dアニメに変換されて行くのだろうか。
マンガの価値はどこにあるのだろうか。
(続く。)
ネットニュースの端に上がっていて、1ページだけ画面が出ていた。
学校帰りに主人公と友達が3、4人で話しながら歩いている3、4コマの後、
下段に目的地らしき建物の入り口付近が描かれていた。
人物が描かれたコマには背景が無くて、真っ白。
建物の入り口付近が描かれたコマには人物が描かれていない。
無空間とゴーストタウン。
たまたまこのページだけがそうだっただけかもしれないけれど。
人物に合わせて、邪魔にならない背景を描き入れたり、
建物にいる人物を描いたり、
そういう、ごく普通の「風景」を描く力が乏しくなって来ている。
その原稿はデジタルではないかもしれないけれど、
楽な方に流れて、
写真のトレースから、加工、コピー、ペーストとなってくれば、
「絵を描く」力ではなく、「ツールを扱う」力に移行して行く。
絵を描くという「想像力」が弱まって行く。
昨今では遂に絵を描くアプリが進化して、
文字入力で「画面構成」が出来るようにさえなって来た。
ニュースで紹介されていたのを見ると、
まるでフランスのバンド・デシネのような完成度の高さに驚かされる。
そうなると...、
マンガもやがてはそのままアプリで3Dアニメに変換されて行くのだろうか。
マンガの価値はどこにあるのだろうか。
(続く。)
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