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マンガ家Mの日常
遥か、遥か昔、

「別冊マーガレット」で
西谷祥子先生の作品で
「9月になれば」というタイトルがあった。

その作品を読めたのか、
その作品は掲載されたのか、

それすらよく覚えていない。

よくわからないけど、
多分、8月のバケーションシーズンに様々な出来事があって、
でも、9月になればリスタート出来る、
そういう意味合いだったのだと思う。

まぁ、人間、なかなかそうはいかない。
機械みたいにリセットは出来ない。

でも、日が変わって、週が変わって、月が変わって、
季節が変わったら、
何か新しく進めるような気になれる。

それだけで良いのかもしれない。
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台風の接近で、朝から不安定な天気。
雨天の場合、試打会受付の1時間半前までに連絡するとあって、
その時間を過ぎたら決行だから、
メールを確認しながら地下鉄に乗って、テニスクラブに向かう。
初めての場所だし、ちょっと余裕を持って行こうとなると、
メールを待ってから外出の用意をするのでは遅いので、
万が一途中で引き返す形になっても仕方がない。

最寄駅に着いて、少し歩いていると、雨が降り始めた。
強くはないが、すぐには止まない。
テニスクラブに着いて、担当者に尋ねると、試打会スタートまでには止みそうだと。
他のコートでは、雨の中プレーしているグループもいる。
遠くの空で雷も響いている。
いつも行っている区民コートでは、雷が鳴ると、
安全性を考慮して、プレーさせてもらえなくなるんだけど。

何とか試打会スタート。
10名参加予定で、8人しかいなかったので、
2人は雨で休む事にしたんだろう。
自分の他はガタイの良いオジサンばかりで、ちょっと焦る。

(続く。)

北欧の俳優に馴染みが薄くて、あまり知らないのだけど、
レベルの高に作品には、やはりレベルの高い俳優が出演している。

ニッキー役のエスベン・スメド。

童顔なので、もっと若いかと思っていたら、
シーズン1の撮影時で既に30代に入っている。
今作で、デンマーク国内の映画賞を受賞している。
1、2で、不良青年が組織の下っ端として働かされてる様子だったのが、
3では、密売組織の大物にのし上がっていた設定で、
役柄の若者ニッキーの成長と共に、
エスベン・スメド本人も俳優として成長して行った。

アルフ同様、困難な状況下で、哀愁を滲ませる。
貧しい出身ながらも機知に富んだ青年で、学ぶ事の重要さを知っている。
資金洗浄で能力を示したアナには、褒賞も忘れない。
身体のあちこちに刻んだタトゥーを全部消したのは、
タトゥーによる身バレを防ぐだけではなく、
昆虫が脱皮して成虫になるような、気持ちの生まれ変わりも表している。
密売組織で地位を固め、大金を掴むが、
それと相反するように、ささやかな家庭は崩壊していく。
ニッキーの成長について行けなくなった妻の転落や、
相棒の筈だったララの突然の裏切りに翻弄される。
犯罪の世界での成功は、孤独で脆い。

デンマーク本国では順調にキャリアを積んで行っているようだけど、
如何せん、情報が少ない。
もっと出演作を観てみたい。

シーズン1、2で、主要キャラクターが去り、3はどうなるのか?
すると、「対組織犯罪特殊部隊」という、物々しいタイトルに変更。
アクションものになるのかと思っていたら、重厚な人間ドラマだった。

1、2も良かったけど、
3は、viaplay作品の中でも、傑作と言える。


1、2で、感情的なマッツの補佐役だった冷静なアルフが、
瀕死の重傷を負ったトラウマから立ち直れず、薬と不倫に没入。
不倫相手は、上司に当たる女性で、アルフよりも年上のように見える。
傷ついた心を癒して貰える、母性としての意味合いも強かった。
でも、なんだかね、
年上男がやたらと若い女性と関係を持ちたがる、日本やアメリカと違って、
キャリアのある女性が尊ばれるのは、見ていて安心感がある。
不倫なんで、アルフが彼女に夢中になっても、思い通りには進まない。
孤独に陥り、嘆く姿が、極上の艶めかしさを発している。

アルフ役のトーマス・フアンは、元は韓国人で、
幼い頃、デンマーク人家庭に養子として引き取られたらしい。
詳細な経緯はわからなけど、
北欧では昔から他の人種の子供達を積極的に養子に迎え入れている。
デンマーク人俳優達の中で、アジアのエキゾチックな顔立ちと複雑な表情が、
ドラマに奥行きを与えている。

人生をボロボロにして、何とか事件解決に至ったものの、
政府は、サクッと大麻を合法化。
部隊による今までの必死の取り締まりは何だったのか。
生活感の無い荒んだ自室で、1人でベッドに寝転がるアルフの失望が滲む。

(続く。)

今月発売の「芸術新潮」で、
萩尾望都先生のラフスケッチを紹介する特集が組まれたとの事。
買いに行かなけりゃ。

萩尾先生の鉛筆によるスケッチは美しい。
タブレットでお手軽に書かれた線とは違って、生の感触がある。 

でも、
ふと思う。

最近の「芸術新潮」って、なんか違う。

「柔道」が「JUDO」になったように、
「芸術」が「ART」になったような。

萩尾先生が「芸術」として取り上げられて嬉しい反面、
「マンガ」が「芸術」と言われる面映さがある。

自分にとってはカタカナの「マンガ」であって、漢字の「漫画」でもなく、
「サブカルチャー」と呼ばれるのにも抵抗があった。
「マンガ」は、たとえ何歳になっても、子供の心を詰め込んだ、
キラキラした紙の束であって欲しい。

一方で、
売れ行き不振の「芸術新潮」は、
「ART」や「サブカルチャー」にも手を広げて、販路をキープしようとしている。
それは、「芸術」との離別の始まりのように見えて仕方ない。