最終日に何とか映画館に足を運ぶ事が出来ました。
元は、U2のEDGEが出演している「ゲット・ラウド」が観たくて、
ネットで映画館の上映時間を調べてたんだけど、
都内の主立った映画館では既に終わっていて、
1館だけ、早朝と夜間の上映があるのみになっていた。
時間と場所を考えると、ヒョイとは行かれない。
「ゲット・ラウド」を上映していたであろう近場のシネコンで
このパールジャムの映画をやってるらしくって、
それも今週金曜日がラストだってんで、まずはそっちに行く事にした。
ロックミュージックに詳しくない方の為に、まずパールジャムの説明から。
シアトル出身のロックバンドで、同時期にデビューしたニルヴァーナらとともに
90年代のグランジ、もしくはオルタナティブロックと呼ばれる
内省的主題のロックシーンを牽引した代表的バンド。
実のところ、パールジャムは友人からの勧めでボチボチ聞いていた程度で、
とりたてて熱心なファンだったわけではなかった。
当時のグランジミュージックが暗過ぎて、私には重かった。
他にいくつか好きなバンドもあったし、まぁ、お金もそう無かったんで、
聞く事のできる範囲が限られていたせいもあるだろう。
ニルヴァーナのカート・コバーンが死んで、時代が少し移り変わり、
同時にパールジャムも過渡期を迎えて、一時やや人気が陰ったらしい。
私がいくらか聞くようになったのは むしろその頃からで、
武道館でのライブもあったりして、
パールジャムの威力を かなり遅れて再認識する事となった。
彼らの方向性が変わったとかいうのではなく、
彼らの進化の方向に、時を経て私の感覚がリンクするタイミングを得たのだな。
U2のヴァーティゴツアーの前座でのライブもキレていた。
エディ・ヴェダーはライオンのような風貌で、ライオンのように咆哮していた。
今回の映画は 彼らがデビューする前身のバンドのエピソードに始まって、
ロックシーンを凄まじい勢いで駆け上がり、
紆余曲折を経ながら、商業主義のカサを破り、
アーティストとして実直に、逞しく活動していく様が描かれている。
ロックミュージシャンにありがちな、ドラッグと女性関係の問題はほぼ無い。
(前身のバンドのヴォーカリスト、アンディはドラッグで命を落とした。
その後、問題が全く無かった訳ではないんだろうけど、少なくとも
バンドの活動に悪影響を及ぼすようなレベルの事は 見受けられない。)
監督はロックシーンに精通したキャメロン・クロウ。
映像の全てが本人の撮影によるものとは限らないとしても、
20年に渡っての記録映画を作れるというのは、
パールジャムのデビュー当時から注目して、
熱心に追っかけていたからに他ならない。
バンドとの信頼関係も、長い年月のあいだに構築されたものがあるんだろう。
人の人生が、どうしてこうもドラマチックなものになり得るのか、
凡人の一人としては ただ静かに眺めるのみ。
映像の中の、彼らのまっすぐな目線を見ると、
これが成功を収める人の目なんだなぁ、と思えるし、
こんな身の濃いアーティスト活動を送れたら どんなに素晴らしいか、
と、うらやましく感じられる。
映画の中で、メンバーのストーンが
「歳を取り、家庭を持って、保守的になった。」
といった内容の事を語っていた。
攻撃的な音楽で個性を形作って来たバンドが 必ずぶち当たる問題。
でも、パールジャムの音楽の完成度の前に、そうした懸念は無用だろう。
U2のBONOも若い頃はよくステージセットの上に昇って
観客の上に飛び降りたりしてたけど、
エディもやる事が凄まじい。
あれだけやって、よく骨折とか無かったもんだ。
今はさすがにやってはくれないだろうな、命に関わるしね。
彼らと、自分自身の今の年齢なんかを考えちゃうと、
ああ、昔は皆若くて元気で、無茶やったもんだよなぁ、
なんて見方をしてしまいそうなんだけど、
それよりも、心の奥で沸き立つ感情に思いを向けたい。
パールジャムは これからもキレのある音楽を聞かせてくれるに違いないから。
でも、映画の中で一番カッコ良かったのは、ニール・ヤング。
元は、U2のEDGEが出演している「ゲット・ラウド」が観たくて、
ネットで映画館の上映時間を調べてたんだけど、
都内の主立った映画館では既に終わっていて、
1館だけ、早朝と夜間の上映があるのみになっていた。
時間と場所を考えると、ヒョイとは行かれない。
「ゲット・ラウド」を上映していたであろう近場のシネコンで
このパールジャムの映画をやってるらしくって、
それも今週金曜日がラストだってんで、まずはそっちに行く事にした。
ロックミュージックに詳しくない方の為に、まずパールジャムの説明から。
シアトル出身のロックバンドで、同時期にデビューしたニルヴァーナらとともに
90年代のグランジ、もしくはオルタナティブロックと呼ばれる
内省的主題のロックシーンを牽引した代表的バンド。
実のところ、パールジャムは友人からの勧めでボチボチ聞いていた程度で、
とりたてて熱心なファンだったわけではなかった。
当時のグランジミュージックが暗過ぎて、私には重かった。
他にいくつか好きなバンドもあったし、まぁ、お金もそう無かったんで、
聞く事のできる範囲が限られていたせいもあるだろう。
ニルヴァーナのカート・コバーンが死んで、時代が少し移り変わり、
同時にパールジャムも過渡期を迎えて、一時やや人気が陰ったらしい。
私がいくらか聞くようになったのは むしろその頃からで、
武道館でのライブもあったりして、
パールジャムの威力を かなり遅れて再認識する事となった。
彼らの方向性が変わったとかいうのではなく、
彼らの進化の方向に、時を経て私の感覚がリンクするタイミングを得たのだな。
U2のヴァーティゴツアーの前座でのライブもキレていた。
エディ・ヴェダーはライオンのような風貌で、ライオンのように咆哮していた。
今回の映画は 彼らがデビューする前身のバンドのエピソードに始まって、
ロックシーンを凄まじい勢いで駆け上がり、
紆余曲折を経ながら、商業主義のカサを破り、
アーティストとして実直に、逞しく活動していく様が描かれている。
ロックミュージシャンにありがちな、ドラッグと女性関係の問題はほぼ無い。
(前身のバンドのヴォーカリスト、アンディはドラッグで命を落とした。
その後、問題が全く無かった訳ではないんだろうけど、少なくとも
バンドの活動に悪影響を及ぼすようなレベルの事は 見受けられない。)
監督はロックシーンに精通したキャメロン・クロウ。
映像の全てが本人の撮影によるものとは限らないとしても、
20年に渡っての記録映画を作れるというのは、
パールジャムのデビュー当時から注目して、
熱心に追っかけていたからに他ならない。
バンドとの信頼関係も、長い年月のあいだに構築されたものがあるんだろう。
人の人生が、どうしてこうもドラマチックなものになり得るのか、
凡人の一人としては ただ静かに眺めるのみ。
映像の中の、彼らのまっすぐな目線を見ると、
これが成功を収める人の目なんだなぁ、と思えるし、
こんな身の濃いアーティスト活動を送れたら どんなに素晴らしいか、
と、うらやましく感じられる。
映画の中で、メンバーのストーンが
「歳を取り、家庭を持って、保守的になった。」
といった内容の事を語っていた。
攻撃的な音楽で個性を形作って来たバンドが 必ずぶち当たる問題。
でも、パールジャムの音楽の完成度の前に、そうした懸念は無用だろう。
U2のBONOも若い頃はよくステージセットの上に昇って
観客の上に飛び降りたりしてたけど、
エディもやる事が凄まじい。
あれだけやって、よく骨折とか無かったもんだ。
今はさすがにやってはくれないだろうな、命に関わるしね。
彼らと、自分自身の今の年齢なんかを考えちゃうと、
ああ、昔は皆若くて元気で、無茶やったもんだよなぁ、
なんて見方をしてしまいそうなんだけど、
それよりも、心の奥で沸き立つ感情に思いを向けたい。
パールジャムは これからもキレのある音楽を聞かせてくれるに違いないから。
でも、映画の中で一番カッコ良かったのは、ニール・ヤング。
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