新年の1本目、名作です。
クリント・イーストウッド監督、レオナルド・ディカプリオ主演、
48年間FBIのトップに君臨した、悪名高きフーバー長官の物語。
圧倒的クオリティの高さ。
脚本、編集が優れていて、芸術性が高く、且つ、
エンターテインメント性も申し分無く、長尺を飽きさせない。
レオナルド・ディカプリオの演技はいつもに増して素晴らしい。
映画のタイトルは普通であれば名字の方を取って「フーバー」になるのだろうが、
敢えてファーストネーム、ミドルネームにしたのは、
公人としてよりも、私人としてのJ・エドガーを描く事に
主眼があったからだろう。
フーバー長官と言えば、真っ先に思い出されるのは戦後の赤狩りだが、
その中心的な時代は外されている。
テロをきっかけにコミュニズムに対しての憎悪を募らせ、
若くして捜査局のトップに任命されると、ますます頭角を現し、
FBIの組織化、科学捜査の充実を計る。
図書館のインデックスなんかもこの人の発案によるものだそうで、
知能の高さと先見の明を感じさせる。
ただし、この映画の妙ともいうところで、
当初映画は、晩年本人が口述筆記で自伝を書かせているという設定で始まり、
その中の一部、或いはもっと、本人の都合で作られたような部分があって、
何処までが事実であるのかは曖昧。
「ブッシュ」「ニクソン」等、ヒーローとは言い難い政治家の映画も
よく作られているが、
それにしても、フーバー長官ほどの嫌われ者を映画にしようなんて、
それも、美男のレオナルド・ディカプリオをフーバー長官にしようなんて、
よくぞ思いついたもんだと感心する。
アイデアを聞かされ、脚本を読んで、
ディカプリオが大喜びで役を引き受けた様子が目に見えるよう。
脚本の良さは、若い頃のフーバーが母親と会話するシーンですぐに見て取れた。
お互いの会話がかみ合っているようないないような、
不安感とやり切れない状況が観客に響いて来る。
賢女の母親の支配下で、矛盾をはらんだ複雑な人格が形成されて行った。
権力欲が強く、策謀家で、それでいてどこか小心で小ずるい。
良いところ等見つかりようの無い男なのだが、
ディカプリオがその心情をぶつけて来ると、
観客としては、共感し、やがて愛着を抱かずにいられない。
フーバー自身に最後まで忠誠を尽くした副長官と女性秘書がいて、
副長官の方はプライベートでのパートナーでもあった訳だが、
そうした人達の存在を見ると、
フーバー本人にも、やはり人を魅了する何かがあったのだろう。
作家のトルーマン・カポーティをちょっと思い出した。
(映画は退屈だったけど、ジェラルド・クラークによる伝記本は素晴らしくて、
自己中でスノッブなクソ野郎のカポーティがどうしようも無く愛おしくなる。)
ディカプリオの演技はどの作品でも素晴らしいが、
「インセプション」や「シャッター・アイランド」のような
完全なフィクションよりも、今作のように、
生身の複雑怪奇な性格の人物を演じるのは例えようも無く楽しかったに違いない。
全編出ずっぱりで、ディカプリオの独り舞台。
多彩な台詞回しの素晴らしさが際立った。
ナオミ・ワッツは陰気くさくてあまりスキではなかったが、
今作の秘書役はその陰の部分にしっとりした情感があって良かった。
副長官役のアーミー・ハマー(この表記で良いのかな?)は
確か「ソーシャル・ネットワーク」の双子君だったと思うのだけど、
それよりも、今作の20〜30年代のクラシカルな美男子ぶりが良かった。
顔立ちもだけど、ちょっと濡れたような声がよく響いて時代感にマッチしていた。
イーストウッド監督作品は俳優を格上げする力がある。
「チェンジリング」に出ていたジェフリー・ドノヴァンは
短い時間ながらロバート・ケネディ役で再び出演。
イーストウッド監督はこの人が結構気に入ってるのかな。
年末、胡散臭いヒーローものを見た後で、
新年、最高傑作のアンチヒーローものを見る...。
これもひとつの映画の楽しみ方なのだろうか。
クリント・イーストウッド監督、レオナルド・ディカプリオ主演、
48年間FBIのトップに君臨した、悪名高きフーバー長官の物語。
圧倒的クオリティの高さ。
脚本、編集が優れていて、芸術性が高く、且つ、
エンターテインメント性も申し分無く、長尺を飽きさせない。
レオナルド・ディカプリオの演技はいつもに増して素晴らしい。
映画のタイトルは普通であれば名字の方を取って「フーバー」になるのだろうが、
敢えてファーストネーム、ミドルネームにしたのは、
公人としてよりも、私人としてのJ・エドガーを描く事に
主眼があったからだろう。
フーバー長官と言えば、真っ先に思い出されるのは戦後の赤狩りだが、
その中心的な時代は外されている。
テロをきっかけにコミュニズムに対しての憎悪を募らせ、
若くして捜査局のトップに任命されると、ますます頭角を現し、
FBIの組織化、科学捜査の充実を計る。
図書館のインデックスなんかもこの人の発案によるものだそうで、
知能の高さと先見の明を感じさせる。
ただし、この映画の妙ともいうところで、
当初映画は、晩年本人が口述筆記で自伝を書かせているという設定で始まり、
その中の一部、或いはもっと、本人の都合で作られたような部分があって、
何処までが事実であるのかは曖昧。
「ブッシュ」「ニクソン」等、ヒーローとは言い難い政治家の映画も
よく作られているが、
それにしても、フーバー長官ほどの嫌われ者を映画にしようなんて、
それも、美男のレオナルド・ディカプリオをフーバー長官にしようなんて、
よくぞ思いついたもんだと感心する。
アイデアを聞かされ、脚本を読んで、
ディカプリオが大喜びで役を引き受けた様子が目に見えるよう。
脚本の良さは、若い頃のフーバーが母親と会話するシーンですぐに見て取れた。
お互いの会話がかみ合っているようないないような、
不安感とやり切れない状況が観客に響いて来る。
賢女の母親の支配下で、矛盾をはらんだ複雑な人格が形成されて行った。
権力欲が強く、策謀家で、それでいてどこか小心で小ずるい。
良いところ等見つかりようの無い男なのだが、
ディカプリオがその心情をぶつけて来ると、
観客としては、共感し、やがて愛着を抱かずにいられない。
フーバー自身に最後まで忠誠を尽くした副長官と女性秘書がいて、
副長官の方はプライベートでのパートナーでもあった訳だが、
そうした人達の存在を見ると、
フーバー本人にも、やはり人を魅了する何かがあったのだろう。
作家のトルーマン・カポーティをちょっと思い出した。
(映画は退屈だったけど、ジェラルド・クラークによる伝記本は素晴らしくて、
自己中でスノッブなクソ野郎のカポーティがどうしようも無く愛おしくなる。)
ディカプリオの演技はどの作品でも素晴らしいが、
「インセプション」や「シャッター・アイランド」のような
完全なフィクションよりも、今作のように、
生身の複雑怪奇な性格の人物を演じるのは例えようも無く楽しかったに違いない。
全編出ずっぱりで、ディカプリオの独り舞台。
多彩な台詞回しの素晴らしさが際立った。
ナオミ・ワッツは陰気くさくてあまりスキではなかったが、
今作の秘書役はその陰の部分にしっとりした情感があって良かった。
副長官役のアーミー・ハマー(この表記で良いのかな?)は
確か「ソーシャル・ネットワーク」の双子君だったと思うのだけど、
それよりも、今作の20〜30年代のクラシカルな美男子ぶりが良かった。
顔立ちもだけど、ちょっと濡れたような声がよく響いて時代感にマッチしていた。
イーストウッド監督作品は俳優を格上げする力がある。
「チェンジリング」に出ていたジェフリー・ドノヴァンは
短い時間ながらロバート・ケネディ役で再び出演。
イーストウッド監督はこの人が結構気に入ってるのかな。
年末、胡散臭いヒーローものを見た後で、
新年、最高傑作のアンチヒーローものを見る...。
これもひとつの映画の楽しみ方なのだろうか。
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