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マンガ家Mの日常
フランソワ・オゾン監督のアンニュイな映画。

前の晩に見て、ブログに書くつもりが、
ケーブルTVのゴタゴタで記事に集中しきれなくて後回しになった。


イザベルは家族と、両親の友人一家と共にバカンスで海辺の別荘に滞在する。
旅行者のドイツ人青年と親しくなり、夜のビーチで初体験をすませる。
翌日、何事もなかったように、家族に17歳の誕生日を祝ってもらう。

帰宅後イザベルはサイトに登録して売春を始める。
顧客はお金のある年配男性ばかり。
紳士的な人もいれば、変態チックな人や、料金を値切る人もいる。
特に困った事も無く、順調に稼ぎ続けるが、
年配の老紳士が腹上死してしまい、慌てて逃げ出すが、
警察に調べられ、両親に売春を知られてしまう。

カウンセリングに行かされるが、イザベルには響かない。
高校の同級生アレックスと暫く付き合うが、
イザベルの家族に溶け込んでいるアレックスを見て、不意に冷めて別れる。

サイトは閉じたが、携帯のSIMカードを隠し持っていて、売春を継続していた。
客と会う為にホテルに行くと、ロビーに現れたのは美しい老婦人で、
腹上死した老紳士の妻だった。
いつも使っていた部屋に二人で入り、老紳士を懐かしむ。


フランソワ・オゾンの作品をあまり見ていないので、解釈が難しい。
イザベルは熱心に売春に取り組むんだけど、お金はただ貯めるばかりで、
何か目的がある風でもなく、理由は最後まで明かされない。
警察の取り調べでは女性刑事から「自分の価値を測る為?」と聞かれて
否定も肯定もしない。
母親の再婚や浮気が原因という訳でも無い。

シャーロット・ランプリング演じる老婦人が
「お金をもらってセックスしたかった。」と言う表情に凄みがある。
何か、逆説的なフェミニズムなのかな。
イザベルもそれなりにセックスを楽しんでる向きはあったけど、
お金をもらわなけりゃ公平とは思えない。

学校でランボーの17歳の頃の詩についての授業のシーンがあったので、
ランボーの女性バージョン的な背徳的冒険心でもあったのかも。
高校生らしくて感じの良いアレックスに別れを切り出してしまったのも、
自分の中の背徳性と相容れなかったからか。

ランボーは学生時代に無理して読んだけど、
フランスの詩の世界はよく分からないままだった。
でも、今作で学生が詩の一部を朗読し始めた時に、
すぐランボーだと気付いたのはちょっと嬉しかった。

まぁ、殴られたり病気をうつされたり妊娠したりとか、
何一つそういう怖い事にならなかったのは運が良かっただけ?
多分ね、売春って、自分でやるのは構わない。
でももし娘がいたら、娘が何歳であっても売春されるのは嫌。辛い。

イザベルが使った通り名レアは、祖母(勿論売春婦ではない)の名前。
となると、母を「売春婦の娘」として貶めたい、復讐心があったのかな。


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