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マンガ家Mの日常

衝撃的なストーリーを常に提供するフランソワ・オゾンの監督作品。

何とも言い難い話。
原作はルース・レンデルの短編というのがちょっと意外。


クレールとローラは幼い頃からの大の親友同士。
大人になってそれぞれ結婚するが、ローラは出産直後に病気で他界してしまう。
ローラの夫ダヴィッドと娘のリュシーの様子を心配して家に行くと、
居間で女性がリュシーをあやしている。
と、思ったら、ダヴィッドの女装だった。

ダヴィッドは幼い頃から母親と女性の美への憧れから、女装癖があった。
ローラにも告白していたが、ローラの存在で満ち足りて、女装癖は影を潜めていた。
最初はむずがるリュシーの為にローラの服を持ち出して匂いを嗅がせていたのだが、
次第にダヴィッドの女性性が目覚めて行く。

クレールは戸惑いながらも、ローラを失った寂しさの共感から、
ダヴィッドの女装にヴィルジニアと名前を付け、受け入れるようになる。
クレール自身も倒錯的な妄想を夢で見るようになる。

クレールは次第にヴィルジニアに惹かれて行くようになり、ベッドインするが、
やはり男性であるダヴィッドとのセックスに躊躇して逃げ出してしまう。
クレールから厳しい言葉を投げつけられたダヴィッドは「私は女よ。」と返し、
ホテルから女装姿のまま通りに出て行く。
その瞬間、車にはねられ、意識不明の重体となる。

病院に見舞いに来たローラの両親は女装を不審に思うが、クレールが誤魔化す。

病院のベッドの中でいつまでも目覚めないダヴィッドの横で、
クレールが「ヴィルジニア」と声をかけると、かすかに目を開ける。
思い立って、女装をさせると、ダヴィッドは次第に意識を取り戻す。

数年後、ヴィルジニアとローラはパートナーとして幸せに生活するようになり、
ローラは妊娠する。


原作となる小説が書かれたのが30年程前なので、
フランスも今とはトランスジェンダーに対する受け止め方が
少し異なるかもしれない。
実際のところどうなんだろう。


ローラの赤ちゃんの父親が誰かは映画の中では分からない。
ダヴィッドは女装はするけど、身体を女性に変えようと望んではいないらしい。
一口に「ゲイ」でくくれない難しさ。

ダヴィッドは女性の美しさを崇めて女装に憧れた。
しかしながら、日本でもまだまだ女装をよしとはされない雰囲気は残っている。
男性が女装するのが否定的に捉えられたり、笑いの対象とされたりするのは、
根底に男尊女卑がある。
高位にある男性が、下位にある女性の姿に扮するのが可笑しいとされる。

女性の服の何が問題だと言うのか。
好きに女装すれば良い。ただの衣服だ。

とはいえ、女性の服やメイクはクレオパトラの時代から、
遥か何千年もに渡って、女性の身体性に合わせて発展して来たものだから、
いきなり男性がそのままを着たら、やっぱり不具合はある。
自分の価値観の範囲でお手入れして、
ピーターさんやミッツ・マングローブさんのように美しく着こなして欲しいかな。

ダヴィッド役のロマン・デュリスは元から細身だけど、
この役の為に更に絞ったんだろう。
切なげな表情も上手い。

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