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マンガ家Mの日常
黒澤明の作品は機会があれば見るようにしていたが、これは外してしまっていた。
今どきはね、レンタルでなんでも見られるけど。
WOWOWの一挙放送でチェック。

2時間を越すのはやっぱり長い、でも、さすがに飽きさせない。
画面の緊迫感、編集も良いんだろうか。

前半、子供が誘拐されたくだりでは権藤家のリビングのシーンがずっと続く。
舞台劇のようなイメージを意識して撮られたんだろうか。
黒澤映画のパンフォーカスの技術にも関連するのだろう。
でも、台詞の無い人物がポーズを固めたままでいるのはどうなんだろうか。
無理してパンフォーカスする事無いんじゃないか?

人間の目は視界のあらゆる部分に焦点を定める事が出来る。
でも、同時に全ての部分に焦点を定められる訳では無い。
だから、映画におけるパンフォーカスの理論には無理があると思える。

しかしながら、画面の何処に焦点を絞って見るか、
それを製作者側の指示ではなしに、鑑賞者が選べる、そう考えると面白い。
それがフォーカスをパンさせて見る、という事なのかな。

マンガの画面作りでもそうなんだけど、
画面の中にはプライオリティの高い対象(例えばヒロインの表情)があって、
それ以外のものを事細かく描き込むと、画面がウルサくてしょうがないし、
遠近が狂い、バランスも崩れてしまう。
(描き込み過ぎるアシスタントさんもいて、いつも注意している。)
主体に焦点を絞り、背景等は鑑賞者の意識下に滑り込ませるくらいが
やはり丁度良いように思われる。
実際、殆どの映画やTVドラマではそうしている。

パンフォーカスが最も有効に使われているのは
ネイチャードキュメントの類いかな。

映画のストーリーに話を戻す。

原作が海外物の推理小説だから、全体的にちょっとバタ臭い。
当時の日本の様子についてはわからないけど、
おそらく、海外物に合わせて作られたんじゃなかろうか。

三船敏郎は顔が立派過ぎる。
そこへ更に口髭をたくわえられると、もう日本人の枠に収まりきれない。

山崎努演じる若い研修医が、
狭くてボロい下宿から 丘の上にそびえ立つ権藤家の豪邸を毎日眺めるうちに
その落差に耐えきれず、理不尽な犯罪に走る。

そこで、つい、おいおい、と思ってしまう。
研修医にまでなったんだから、もうじきお金稼いでリッチになれるって。

ウチの両親も裕福な家庭に育った訳では無かったが、なんとか医師になれた。
当時は今程には学費がかからなかったんだろうか。
アメリカの大学は今でも、日本に比べて学費がバカ高くて、
奨学金を利用したは良いけど、卒業後返済にもの凄く苦労させられるとか。
海外のそうした事情を考えると、
研修医が貧しさのあまり凶行にかられる心情が理解出来なくもないけど。
まぁ、やっぱり、推理小説の知的犯罪の面白さの為の設定かね。

ラストシーン、捕まって死刑を待つ身の研修医が牢獄で 教誨師も断り、
権藤との面会を求める。
そして、犯罪に至る自らの心情を語るうちに精神のほころびを見せる。

偶然なんだけど、
FBで知人と映画「ニュールンベルグ裁判」についてやり取りしていて、
そのラストシーンが今作と似てるのに今気付いた。
黒澤明はそこを意識してたのかなぁ。
原作を読んでないからなんとも言えないけど。



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