まず、欧州における、1950年代という時代の社会背景に驚かされる。
1945年、第2次世界大戦が終結し、
日本は戦後の荒廃と賠償で貧しいながらも、平和の訪れに安堵していた。
50年代にはベビーブームを迎える。
1972年の沖縄返還や日中国交正常化まで、
占領からの脱却や国際社会における地位の確立を待つ状況ではあったけれど。
東欧は旧ソ連の実質的支配下にあり、社会主義体制に縛られていた。
ハンガリーの民衆蜂起は、東独の少年達の意識も揺さぶった。
未成年の高校生達が、隣国ハンガリーの犠牲者を悼んで、
教室で2分間の黙祷を捧げた、たったそれだけの事が、
体制下では社会を揺るがす大問題として重大な処罰の対象とされた。
そして、高校生達を脅して翻意や密告を促す当局の卑劣な手段や、階級社会の現実、
大人世代の戦時中の許されざる行為までもがあぶり出される。
2重の苦しみを背負わされた高校生達は、厳しい決断を迫られる中で、
先の大戦の反省を通して、正義の実行に動く。
自分が高校生だった頃、政治は別次元の話としてしか感じていなかった。
政治参加など、全く考えてもみなかった。
社会情勢の違いはあるにせよ、彼らの意識の高さに敬服する。
西側に渡って、無事卒業試験を受けられた。
彼らはその後どのような人生を送ったのか、詳しく知りたかった。
1945年、第2次世界大戦が終結し、
日本は戦後の荒廃と賠償で貧しいながらも、平和の訪れに安堵していた。
50年代にはベビーブームを迎える。
1972年の沖縄返還や日中国交正常化まで、
占領からの脱却や国際社会における地位の確立を待つ状況ではあったけれど。
東欧は旧ソ連の実質的支配下にあり、社会主義体制に縛られていた。
ハンガリーの民衆蜂起は、東独の少年達の意識も揺さぶった。
未成年の高校生達が、隣国ハンガリーの犠牲者を悼んで、
教室で2分間の黙祷を捧げた、たったそれだけの事が、
体制下では社会を揺るがす大問題として重大な処罰の対象とされた。
そして、高校生達を脅して翻意や密告を促す当局の卑劣な手段や、階級社会の現実、
大人世代の戦時中の許されざる行為までもがあぶり出される。
2重の苦しみを背負わされた高校生達は、厳しい決断を迫られる中で、
先の大戦の反省を通して、正義の実行に動く。
自分が高校生だった頃、政治は別次元の話としてしか感じていなかった。
政治参加など、全く考えてもみなかった。
社会情勢の違いはあるにせよ、彼らの意識の高さに敬服する。
西側に渡って、無事卒業試験を受けられた。
彼らはその後どのような人生を送ったのか、詳しく知りたかった。
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