高校生の青春もの映画だというので、暫く手付かずだった。
個人的な気分で、あまり重量感のある作品を見る気になれなくて、
手頃な感じかなと思って、鑑賞する。
ジェームズ・フランコ原作の小説を、
フランシス・コッポラの孫ジア・コッポラが監督した。
ヒロインのエイプリルを演じたエマ・ロバーツはエリック・ロバーツの娘で、
相手役テディを演じたジャック・キルマーはヴァル・キルマーの息子という、
なんとも、ハリウッドファミリー的な作り。
パロアルトというのは、ジェームズ・フランコ自身が生まれ育った街らしい。
アメリカ中のどこにでもある、郊外の街。
地元の高校生達は進路や恋愛に悩んだり、バカをやったり、パーティで騒いだり、
どこにでもある青春の風景の中で過ごしている。
(...って言ってしまえば、それだけの話になっちゃうね。)
エイプリルとテディはお互い少し気になる相手だったが、
友人宅のパーティではまだ踏み切れず、それぞれ別の相手と関係したりする。
エイプリルはサッカー部のコーチ宅でシッターのバイトをしていたが、
コーチと関係を持ってしまう。
ところが、コーチは同じくシッターに来ていたラクエルとも関係していたらしい。
コーチはエイプリルへの愛の言葉を並べるが、
エイプリルはもはや彼を信じられず、あっさり破局。
テディは友人のフレッドの奔放さに振り回され、自動車事故を起こして、
奉仕活動を命じられる。
その間に、元から好きだった絵画への思いに目覚める。
フレッドの過剰な行動は、父親から性的虐待を受けているのが原因とも思われる。
セクシーなエミリーは衝動的に多くの男の子達と関係を持つが、
精神的な関係にまでは結びつかない。
エイプリルとテディは再びパーティで顔を合わせ、少し良い感じになる。
特に何か中心となる大きな事件がある訳ではなく、
誰にでも覚えがあるような、
高校生達と、彼らを取り巻く大人達のちょっと気まずい日常が淡々と描かれる。
ジェームズ・フランコはこういう作品が好きなのかな。
彼らの抱える問題が何か一つでも解決するという訳でもない。
彼らを救ってくれる大人達も現れない。
大人達自身自分勝手で、自分達の問題で手一杯。
それでも日々は顔を変えずに流れていく。
マンガ家としてデビューする前、出版社に持ち込みをして、
編集者に作品の批評を受けていた時、
物語の始まる前と後とでどういう変化があったかを明確にするよう求められた。
問題に対しての何らかの解決も必要との事。
そうした視点に立つと、今作のような展開は受け容れられ難い。
どうしたもんだろうかね。
高校生の時にこういう映画を見たら、どう感じるんだろう。
フレッドは自暴自棄になって車を逆走させる。
そのまま事故で死んでしまうのかと思ったけど、そういうシーンは描かれない。
それは少しの救いなのかもしれないと同時に、
彼のその後の運命の暗示でもあるように見える。
テディは幼馴染としてずっとフレッドとつるんでいたが、
周囲の大人達からフレッドとの付き合いを止めるように言われ、
テディ自身も、自分がトラブルに巻き込まれる原因がフレッドにあると思えて、
距離を置く事にした。
テディ自身も薄闇の中の道を一人で歩いていく。
何だか、皆、孤独。
孤独と向き合う事が生きる道なのか。