ロビン・ウィリアムズ最後の出演作。
お涙頂戴的な地味なヒューマンドラマかと敬遠していたのだけど、ちょっと違った。
60歳になる真面目な銀行員ノーランは、実績を認められて、
支店長への栄転がほぼ決まりかけていた。
妻のジョイは語学教師。二人の間には子供がいない。
老衰で病院暮らしの老父の面倒を時々見に行っている。
病院からの帰り、ノーランは売春婦達のいる通りに向かい、男娼レオを車に乗せる。
レオは性的サービスを持ちかけるが、ノーランは話をするだけで金を支払う。
若いレオに魅せられたノーランは携帯を買い与え、食事に誘い、
男娼を止められるようアルバイトを紹介し、進学の支援も申し出る。
レオは元締めの男に搾取されたり殴られたりしていたが、
慣れきった今の生活を止めようとはしない。
元締めから大金を強請られたレオがノーランの職場に現れた事から、
銀行の上司の懸念するところとなる。
妻のジョイは夫の行動に気づきながらも、夫婦としての愛情を取り戻そうと願う。
ノーランは一度はレオとの関係を断ち切ろうとしたが、
レオがドラッグの過剰摂取で病院に運び込まれたとの連絡を受け、
銀行幹部との重要な会食をジョイだけに任せて病院に行ってしまう。
到着した時、レオは既に病室を抜け出していた。
アパートももぬけの殻となっていた。
ノーランは病床の父に、自分は12歳の頃に同性愛者だと自覚していたと告げる。
銀行を辞め、離婚し、60歳ながら新たな道を踏み出す決意をする。
偶然、「パレードにようこそ」に引き続き、同性愛カミングアウトの作品。
ノーランが自分を同性愛者だと意識したのが50年近く前だとすると、
60年代のアメリカの地方都市では、
カミングアウトは命の危険にも繋がりかねなかった。
様々な事柄に関して、敢えてはっきりとは説明されておらず、推測するしかない。
ノーランとジョイは互いに愛情を持って結婚したが、
夫婦としての性愛も望むジョイに対して、ノーランの愛は友情に近いもので、
ジョイが何時気付いたのかは分からないけど、寝室は別になっている。
おそらくそれまでにもノーランは時々は男娼を買っていたのだろう。
ジョイは内心傷つきながらも見て見ぬ振りをする。
いつかは普通の夫婦のようになれると期待し続けていたのか。
ノーランが12歳で同性愛を自覚したのは、親子でビーチで過ごした時に始まった。
ビーチは母親も一緒だったので、そこもちょっと分からないのだけど、
もしかしたら父親から何らかの性的虐待を受けたせいなのかもしれない。
臨終も近い父の枕元で告白したのは、復讐に近いものなのか。
ノーランはレオに性的サービスは求めず、擁護者であろうとする。
レオをただ抱きしめる姿は、性的な欲求ではなく、
抗うことも出来ずに傷付いていた10代の自分を守り、慰める気持ちなのだろう。
レオとの出会いがきっかけとはなったが、偽り続ける人生に限界を感じていた。
ラストもちょっと分かり辛いのだけど、おそらく、新しいパートナーを探すべく
ゲイの男性とのデートを始めたのだろう。
私自身はストレートなので、LGBTの人達の心の底の悩みは分からない。
でも、子供の頃からマンガの仕事に憧れ続けながら、
両親には反対され、周囲の友人達からも偏見を含んだ目で見られて来たので、
近しい人達に受け入れられない苦しさは多少なりとも理解出来る。
生まれつきの自分であろうとする為に、仕事も家族も捨てなければならない、
そういう苦しみをどれだけの人が実感として受け止められるだろうか。
ロビン・ウィリアムズはコメディの名優として成功しながら、
後年は鬱病やパーキンソン病に苦しんでいた。
病苦を公にしないまま自殺してしまった姿と映画の役がダブって見えて悲しい。
お涙頂戴的な地味なヒューマンドラマかと敬遠していたのだけど、ちょっと違った。
60歳になる真面目な銀行員ノーランは、実績を認められて、
支店長への栄転がほぼ決まりかけていた。
妻のジョイは語学教師。二人の間には子供がいない。
老衰で病院暮らしの老父の面倒を時々見に行っている。
病院からの帰り、ノーランは売春婦達のいる通りに向かい、男娼レオを車に乗せる。
レオは性的サービスを持ちかけるが、ノーランは話をするだけで金を支払う。
若いレオに魅せられたノーランは携帯を買い与え、食事に誘い、
男娼を止められるようアルバイトを紹介し、進学の支援も申し出る。
レオは元締めの男に搾取されたり殴られたりしていたが、
慣れきった今の生活を止めようとはしない。
元締めから大金を強請られたレオがノーランの職場に現れた事から、
銀行の上司の懸念するところとなる。
妻のジョイは夫の行動に気づきながらも、夫婦としての愛情を取り戻そうと願う。
ノーランは一度はレオとの関係を断ち切ろうとしたが、
レオがドラッグの過剰摂取で病院に運び込まれたとの連絡を受け、
銀行幹部との重要な会食をジョイだけに任せて病院に行ってしまう。
到着した時、レオは既に病室を抜け出していた。
アパートももぬけの殻となっていた。
ノーランは病床の父に、自分は12歳の頃に同性愛者だと自覚していたと告げる。
銀行を辞め、離婚し、60歳ながら新たな道を踏み出す決意をする。
偶然、「パレードにようこそ」に引き続き、同性愛カミングアウトの作品。
ノーランが自分を同性愛者だと意識したのが50年近く前だとすると、
60年代のアメリカの地方都市では、
カミングアウトは命の危険にも繋がりかねなかった。
様々な事柄に関して、敢えてはっきりとは説明されておらず、推測するしかない。
ノーランとジョイは互いに愛情を持って結婚したが、
夫婦としての性愛も望むジョイに対して、ノーランの愛は友情に近いもので、
ジョイが何時気付いたのかは分からないけど、寝室は別になっている。
おそらくそれまでにもノーランは時々は男娼を買っていたのだろう。
ジョイは内心傷つきながらも見て見ぬ振りをする。
いつかは普通の夫婦のようになれると期待し続けていたのか。
ノーランが12歳で同性愛を自覚したのは、親子でビーチで過ごした時に始まった。
ビーチは母親も一緒だったので、そこもちょっと分からないのだけど、
もしかしたら父親から何らかの性的虐待を受けたせいなのかもしれない。
臨終も近い父の枕元で告白したのは、復讐に近いものなのか。
ノーランはレオに性的サービスは求めず、擁護者であろうとする。
レオをただ抱きしめる姿は、性的な欲求ではなく、
抗うことも出来ずに傷付いていた10代の自分を守り、慰める気持ちなのだろう。
レオとの出会いがきっかけとはなったが、偽り続ける人生に限界を感じていた。
ラストもちょっと分かり辛いのだけど、おそらく、新しいパートナーを探すべく
ゲイの男性とのデートを始めたのだろう。
私自身はストレートなので、LGBTの人達の心の底の悩みは分からない。
でも、子供の頃からマンガの仕事に憧れ続けながら、
両親には反対され、周囲の友人達からも偏見を含んだ目で見られて来たので、
近しい人達に受け入れられない苦しさは多少なりとも理解出来る。
生まれつきの自分であろうとする為に、仕事も家族も捨てなければならない、
そういう苦しみをどれだけの人が実感として受け止められるだろうか。
ロビン・ウィリアムズはコメディの名優として成功しながら、
後年は鬱病やパーキンソン病に苦しんでいた。
病苦を公にしないまま自殺してしまった姿と映画の役がダブって見えて悲しい。
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