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マンガ家Mの日常
音楽映画かと思っていたら、コメディ映画の位置付けになっていた。
コーエン兄弟の作品だから?


1961年、
フォークシンガーを目指すルーウィンは全く鳴かず飛ばずで、
住む所も無く、友人宅を寝泊まりするその日暮らしを何年も続けていた。
所属する小さなレコード会社のオーナーはやる気が無い。
出演させてくれるクラブでは他の出演者や客とのトラブルを繰り返し、
親切に寝室を提供してくれる夫妻には悪態をつき、
音楽仲間のジーンを妊娠させた疑惑もあり、
何もかもがしっちゃかめっちゃか。
相棒のマイクが自殺してしまった事も、精神的に引きずっている。

友人の録音を手伝ったギャラでシカゴに行き、プロデューサーに会うが、
歌って聞かせると「実力はあるが、金の匂いがしない。」と一蹴されてしまう。
企画中のグループへの加入を薦められるが、断ってしまう。

音楽の道に見切りをつけ、船員の仕事に戻ろうとするが、
船員免許証を実家に置きっ放しの荷物の中に入れたままにしていて、紛失。
船員の仕事にも就けず、持ち金も底を尽き、
再び夫妻の家に寝泊まりして、クラブに戻って出演し、元の生活に戻る。


どう捉えていいか、少し迷う。
ある程度の才能はありながらも芽が出ず、くすぶり続けて人生を送る人達は、
音楽シーンに限らず、どこにでも大勢いるのだろう。
そんな中のひとり。

ラストで、クラブでルーウィンの後に出演したフォーク歌手が
若き日のボブ・ディランであるように匂わせている。
突出した才能だけがやがて時代を動かす。
ルーウィンは身の程を知って退場すべきなのか?

不運もあるとしても、ルーウィンが何事につけた人のせいにしているのがウザい。
そうでも思わないとやっていけないのか、そう思ってるから進歩しないのか。

観客の立場からは色々言えるけれども、
実際に何らかの芸で身を立てようとしている人間にとっては、厳しい現実。


ネットで他の方のブログを見ると、
ルーウィンはラストのクラブ出演で音楽から足を洗うのだとされていました。
船員の仕事には戻れないし、懲りもせずに夫妻の家に転がり込むし、
他の出演者を罵倒して、その夫から殴られるというシーンが
映画の冒頭とラストを繋いでいたので、
このままズルズルと音楽生活を続けるだろうと解釈したのですが、
タクシーで去る夫に向かって別れの言葉を投げかけるのが、
この生活に別れを告げる意味とも取れて、迷う所です。
歌うのに躊躇いを感じていたマイクとの共作を歌い上げたのも、
何らかの決意の現れと取れるのですが、
その決意がどういう方向なのかは微妙に分かりません。

不注意から逃がしてしまった夫妻の猫の名前がユリシーズで、
映画は「ユリシーズ」を下敷きにしていると見られるそうで、
そういう基礎知識があると、また違った深い見方が出来るかもしれません。

それにしても、
別の猫を車中に置き去りにした無責任さは許せんね。

ジーンは、最高の彼氏がいながら、ついルーウィンと寝ちゃったり、
何回も断りながらも会ってしまったりしているのを見ると、
内心ではルーウィンに惹かれているんだろうね。
ダメンズウオーカーなのね。

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