先日「アバター」を見て記事を書いたばかりで、全くの偶然なんだけど、
新聞に、マンガ家さんやイラストレーターさんが映画評をするコラムがあって、
かのモンキー・パンチ先生が「アバター」を絶賛されていた。
...映画の見方なんて、人それぞれで良いものなんで、
ただ私見を述べるんだけど。
それで、少し補足します。
まずね、どの段階で「んっ、ダメかも?」って思ったかって言うと、
冒頭、主人公が亡くなった双子の兄に替わって参加する事になった時、
兄の死因が「強盗に殺された。」ってもんだった。
んっ、これほど壮大なミッションに参加する優秀な科学者が強盗に殺された?
普段の危機管理は出来てないのか?
そして、脊椎損傷で下半身不随になった主人公は車椅子に座っている、
それも、手で漕ぐヤツ。
んっ、電動式のは無いのか? もっと動き易い歩行器は無いのか?
その前に、麻痺を回復させる方法はまだ開発されていないのか?
一体、どういう時代設定なんだ?
で、惑星に着いて、アバターとして森に入った時、
...もし私の思い違いだったら申し訳ないんだけど、
火を点けるのにマッチ使ってなかった?
見返す気力も無いんだけど。
観客に親近感を持たせる為に、敢えて現代風の設定にしたのかもしれないけど、
これはいくら何でもやり過ぎと違う?
違和感が先行してどうにもならんかった。
それとね、結構長い期間惑星の調査してる筈なのに、
地理を把握しきれてなかったり、生物への対抗策が講じられてなかったり。
面倒臭いアバター作るより先に やる事がいっぱいあるでしょ。
で、下半身不随で歩けない主人公がアバターに意識を移して
外界を自由に動き回る。
これはストーリーの肝な筈なんで、
もうちょっと心の中の葛藤のようなものを示して欲しかった。
アバターになってる時だけ自由に動く感覚を得られるけれど、
現実の自分は車椅子無しでは身動きが取れない、その落差。
ミッションを成功させたら、地球に帰ってから、高額な手術代を出してもらって
動けるようになるという希望はあるのだけど、
地球側に逆らって、アバターの変換装置を取り上げられたら
自由に動ける快感を永遠に失う、その焦燥感。
結局最後は不思議な樹の力で
完全にアバターの身体に意識を移し替える事が出来て、めでたしめでたし。
...なんかさ、都合良過ぎる。子供向けだからハッピーエンドにしたの?
意識の変換装置がやがて老朽化して、アバターに留まれず、
人間の姿に戻って死ぬ、とかさ、その方がリアルで心に響くんだけど。
そうね、要するに子供向けのエンターテインメントなのよね。
...でも、そういったものを受け入れ難いひねくれ者の私と、
エンターテインメントを真っ向から楽しむモンキー・パンチ先生と、
その違いがマンガ家としての実績に現れているのかもね。
ま、しょうがないね。
新聞に、マンガ家さんやイラストレーターさんが映画評をするコラムがあって、
かのモンキー・パンチ先生が「アバター」を絶賛されていた。
...映画の見方なんて、人それぞれで良いものなんで、
ただ私見を述べるんだけど。
それで、少し補足します。
まずね、どの段階で「んっ、ダメかも?」って思ったかって言うと、
冒頭、主人公が亡くなった双子の兄に替わって参加する事になった時、
兄の死因が「強盗に殺された。」ってもんだった。
んっ、これほど壮大なミッションに参加する優秀な科学者が強盗に殺された?
普段の危機管理は出来てないのか?
そして、脊椎損傷で下半身不随になった主人公は車椅子に座っている、
それも、手で漕ぐヤツ。
んっ、電動式のは無いのか? もっと動き易い歩行器は無いのか?
その前に、麻痺を回復させる方法はまだ開発されていないのか?
一体、どういう時代設定なんだ?
で、惑星に着いて、アバターとして森に入った時、
...もし私の思い違いだったら申し訳ないんだけど、
火を点けるのにマッチ使ってなかった?
見返す気力も無いんだけど。
観客に親近感を持たせる為に、敢えて現代風の設定にしたのかもしれないけど、
これはいくら何でもやり過ぎと違う?
違和感が先行してどうにもならんかった。
それとね、結構長い期間惑星の調査してる筈なのに、
地理を把握しきれてなかったり、生物への対抗策が講じられてなかったり。
面倒臭いアバター作るより先に やる事がいっぱいあるでしょ。
で、下半身不随で歩けない主人公がアバターに意識を移して
外界を自由に動き回る。
これはストーリーの肝な筈なんで、
もうちょっと心の中の葛藤のようなものを示して欲しかった。
アバターになってる時だけ自由に動く感覚を得られるけれど、
現実の自分は車椅子無しでは身動きが取れない、その落差。
ミッションを成功させたら、地球に帰ってから、高額な手術代を出してもらって
動けるようになるという希望はあるのだけど、
地球側に逆らって、アバターの変換装置を取り上げられたら
自由に動ける快感を永遠に失う、その焦燥感。
結局最後は不思議な樹の力で
完全にアバターの身体に意識を移し替える事が出来て、めでたしめでたし。
...なんかさ、都合良過ぎる。子供向けだからハッピーエンドにしたの?
意識の変換装置がやがて老朽化して、アバターに留まれず、
人間の姿に戻って死ぬ、とかさ、その方がリアルで心に響くんだけど。
そうね、要するに子供向けのエンターテインメントなのよね。
...でも、そういったものを受け入れ難いひねくれ者の私と、
エンターテインメントを真っ向から楽しむモンキー・パンチ先生と、
その違いがマンガ家としての実績に現れているのかもね。
ま、しょうがないね。
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