第二次世界大戦末期のフランスの山村。
高名な老彫刻家が山腹にアトリエを持っていた。
妻はある日街中でカタルーニャから避難してきたという少女に出会い、
身体の線が夫の好みだからと、彫刻のモデルになるよう誘う。
若い頃には自分もモデルをやっていたので、芸術に理解があってさばけてる。
戦時下で思うように材料も手に入らず、制作も滞りがちだったが、
美しいモデルを前に、その生命感に促されるように仕事の手が進む。
少女は芸術には無知な田舎娘で、山道に詳しい事から、
レジスタンスの人達の逃げ道の案内などを手伝っていた。
彫刻家は芸術や神について少女に語り、少女は戦争について彫刻家に語る。
負傷したレジスタンス青年や、
彫刻家の友人の美術史家でドイツ軍の将校らがアトリエで交錯する。
戦争が命も友情も芸術も壊しかねない残酷さが背後に控えている。
青年の傷が癒えるまでアトリエの一室でかくまっていたが、
少女が裸で青年とベッドにいるのを見て、嫉妬心のようなものすら覚える。
浮気心というのでは無く、青春の感情や肉体の蘇りを一瞬感じていた。
やがて彫刻は完成し、少女はマルセイユへ旅立つ。
彫刻家は戸外に彫刻を運びださせ、陽の光の下で手直しを施し、
完成された姿を見ながら猟銃自殺を図る。
舞台はフランスだけど、スペインの映画。
敢えて白黒で撮影して、光と色彩のイメージを鑑賞者に託した。
作品について全く情報を仕入れてなかった。
彫刻家はセザンヌやマティスとは親しい友人で、海外でも名前を知られる巨匠。
仕上がった塑造の体型がマイヨールの作品に似ているなぁと思ったら、
どうやらマイヨールがモデルらしい。
彫刻は門外漢なので、マイヨールの生涯については知らなかった。
途中、小さな素描について彫刻かが少女に語るシーンがあって、
その素描がレンブラントっぽいなぁと思ったら、やっぱりレンブラントだった。
マイヨールにしてもレンブラントにしても、
まだちゃんと見分けられる目があって、自分なりにホッとした。
エンドロールではマイヨールの他にホックニーの名前なども出ていたので、
スケッチか油画か、どこかで作品が使われていたのだろう。
アトリエを埋める塑造やスケッチはどれも高いレベルの作品だった。
スケッチに関しては、画家のではなく彫刻家のスケッチという感じがよく出ていた。
もうちょっと細かい事がわかると良いんだけどな。
ラストでは、はっきりと自殺とわかる画面では無かったけど、
年老いて、これが最後の名作と納得して、最も美しい瞬間に自ら人生を閉じた、
という解釈で良いのだろう。
何も自殺しなくても、と思うのだけど、
最後のミューズを手放して、もう次は無い、
芸術家としての人生は終わったと悟ってしまったのか。
少女の生命感に圧倒されたのか。
終盤、街中で女性の足元を見るなど、
モデルになれそうな女性を物色していたようにも見えたのだけど、
少女程に創作意欲を刺激される身体つきの女性には
もう巡り会えそうにないと思ったのかな。
妻が最も美しい身体のモデルだったそうで、
彼女が年老いてしまった事で、ミューズを失ってしまっていたのかもしれない。
彫刻家の妻がなんと、クラウディア・カルディナーレ!
大層年取っちゃったんで、顔を見ても全然分からなかった。
美大時代を思い出してしまった。
当時は毎日のようにモデルを立てて裸婦画を描かされていたので、
この映画のような風景がそれこそ日常だった。
塑造がほぼ完成した時、少女が自分に似てないと拗ねるのが可愛らしかった。
彫刻家は「似せるのではなく、自然を参照するのだ。」と答えた。
戦争でローマが爆撃を受けてると知らされ
「ミケランジェロを知らんのか。」と怒りを露わにしていた。
ローマもなんだけど、
英国と連合国軍がベルリンを爆撃して、
数多くの史跡や芸術作品が灰燼となってしまった事に、私も憤りを感じている。
ペルガモンの大祭壇はボロボロだし、カラヴァッジョの絵は焼失するし...。
戦争なんて、所詮は無知なる者の悲劇。
高名な老彫刻家が山腹にアトリエを持っていた。
妻はある日街中でカタルーニャから避難してきたという少女に出会い、
身体の線が夫の好みだからと、彫刻のモデルになるよう誘う。
若い頃には自分もモデルをやっていたので、芸術に理解があってさばけてる。
戦時下で思うように材料も手に入らず、制作も滞りがちだったが、
美しいモデルを前に、その生命感に促されるように仕事の手が進む。
少女は芸術には無知な田舎娘で、山道に詳しい事から、
レジスタンスの人達の逃げ道の案内などを手伝っていた。
彫刻家は芸術や神について少女に語り、少女は戦争について彫刻家に語る。
負傷したレジスタンス青年や、
彫刻家の友人の美術史家でドイツ軍の将校らがアトリエで交錯する。
戦争が命も友情も芸術も壊しかねない残酷さが背後に控えている。
青年の傷が癒えるまでアトリエの一室でかくまっていたが、
少女が裸で青年とベッドにいるのを見て、嫉妬心のようなものすら覚える。
浮気心というのでは無く、青春の感情や肉体の蘇りを一瞬感じていた。
やがて彫刻は完成し、少女はマルセイユへ旅立つ。
彫刻家は戸外に彫刻を運びださせ、陽の光の下で手直しを施し、
完成された姿を見ながら猟銃自殺を図る。
舞台はフランスだけど、スペインの映画。
敢えて白黒で撮影して、光と色彩のイメージを鑑賞者に託した。
作品について全く情報を仕入れてなかった。
彫刻家はセザンヌやマティスとは親しい友人で、海外でも名前を知られる巨匠。
仕上がった塑造の体型がマイヨールの作品に似ているなぁと思ったら、
どうやらマイヨールがモデルらしい。
彫刻は門外漢なので、マイヨールの生涯については知らなかった。
途中、小さな素描について彫刻かが少女に語るシーンがあって、
その素描がレンブラントっぽいなぁと思ったら、やっぱりレンブラントだった。
マイヨールにしてもレンブラントにしても、
まだちゃんと見分けられる目があって、自分なりにホッとした。
エンドロールではマイヨールの他にホックニーの名前なども出ていたので、
スケッチか油画か、どこかで作品が使われていたのだろう。
アトリエを埋める塑造やスケッチはどれも高いレベルの作品だった。
スケッチに関しては、画家のではなく彫刻家のスケッチという感じがよく出ていた。
もうちょっと細かい事がわかると良いんだけどな。
ラストでは、はっきりと自殺とわかる画面では無かったけど、
年老いて、これが最後の名作と納得して、最も美しい瞬間に自ら人生を閉じた、
という解釈で良いのだろう。
何も自殺しなくても、と思うのだけど、
最後のミューズを手放して、もう次は無い、
芸術家としての人生は終わったと悟ってしまったのか。
少女の生命感に圧倒されたのか。
終盤、街中で女性の足元を見るなど、
モデルになれそうな女性を物色していたようにも見えたのだけど、
少女程に創作意欲を刺激される身体つきの女性には
もう巡り会えそうにないと思ったのかな。
妻が最も美しい身体のモデルだったそうで、
彼女が年老いてしまった事で、ミューズを失ってしまっていたのかもしれない。
彫刻家の妻がなんと、クラウディア・カルディナーレ!
大層年取っちゃったんで、顔を見ても全然分からなかった。
美大時代を思い出してしまった。
当時は毎日のようにモデルを立てて裸婦画を描かされていたので、
この映画のような風景がそれこそ日常だった。
塑造がほぼ完成した時、少女が自分に似てないと拗ねるのが可愛らしかった。
彫刻家は「似せるのではなく、自然を参照するのだ。」と答えた。
戦争でローマが爆撃を受けてると知らされ
「ミケランジェロを知らんのか。」と怒りを露わにしていた。
ローマもなんだけど、
英国と連合国軍がベルリンを爆撃して、
数多くの史跡や芸術作品が灰燼となってしまった事に、私も憤りを感じている。
ペルガモンの大祭壇はボロボロだし、カラヴァッジョの絵は焼失するし...。
戦争なんて、所詮は無知なる者の悲劇。
PR
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック