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マンガ家Mの日常
「サザエさん」一家の年齢がたまに引き合いに出される。
波平さんとフネさん夫婦は50代半ば。
ただし、戦後すぐの食糧難の時代にスタートした作品なので、今とは栄養状態が違う。
今と比べると、多少老けて描かれているのもやむなし。

自分がそこそこの年齢になり、当然ながら身体の衰えは感じるし、
鏡の中の現実からは逃れようがない。

さりながら、
昨今のそこかしこのマンガで描かれる同世代の女性達の顔はどうしたもんか。
とにかく、年齢設定に従って、ただ皺の数だけ増やされる。
そりゃまあ、そういう顔の人もいなくはないだろうけど。

年齢を描き分けるって、そうじゃないんだよね。
骨の疲労度や歪み、筋肉の弛みが重要。
本当に観察眼があって表現に長けたマンガ家さんは、皺に頼らない。
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企業のイベント広告のイラストが、SNSで公開された写真のトレパクだとされた件。
(トレパク/トレースしてパクった)
実際、そういう事は頻繁に起きているのだろうけど、
今回、大家の江口寿史先生がしでかした為、ネットニュースに取り上げられた。

江口先生、どうしちゃったんだろう?
トレパクと言われても仕方ない、写真をまんま使った感じ。
締め切りに追われて、アイデアに詰まったのかな。
残念ながら、1つ話題になると、他の作品も疑われてしまう。

ネットのニュースサイトの合間に、おすすめマンガが挟まれて来る。
これが「マンガ」と言われてしまうのか?と、情けなくなるレベルのものもあれば、
絵はボチボチだけど、コンセプトがしっかりしているものもあったり、 
完全にプロの作品もある。

最初からデジタルをメインで描こうとしている人は、
画面もネームの展開も、デジタルの特性に合わせた手法を用いている。
スマホで読みやすいし、わかりやすい。
でも、その分、流れがパターン化しがちに見える。
このパターンは飽きられるのも早いような気がするが、
スマホで、短いニッチな時間で、無料で読み飛ばすのだから、邪魔にはならない。

一方で、最近見た作品では、
コマ割りが明らかに「紙」ベースの描き方で、
全ての要素で完成度が高かった。
ただ、デジタル配信で、日々、短いページ数で読ませる為か、
1ページ当たりのコマやセリフの分量が多い。
通常の雑誌掲載の作品の2〜3倍。
絵の上手さは伝わるが、どうしてもセリフだけを追ってしまう。
また、スマホで部分的に拡大して読もうとすると、
紙ベースのコマ割りではかえって面倒。
ジレンマ。

それにしても、これ程実力のあるマンガ家が、デジタル配信で、
ギュウギュウ詰めの短編を発表しなければならないのは、何とも惜しい。
アイデアを捻出する苦労で、疲弊してしまわないだろうか。
編集者はどう思っているのだろうか。
デジタル配信で良い成績が出たら、コミック化されるケースもあるが、
逆に、これ程ギュウギュウ詰めの画面では、コミックでは読みづらい。

やはり、
マンガは雑誌ありき。

「水商売」って、
お酒とか、水物を扱うお店の事だと思っていたけど、
元の語源は、「水」が不安定なところから来ていて、人気商売の意味合いらしい。
勝負は水ものとかも言うもんね。

昔、マンガ家の先輩に、
「水商売」は「水揚げ」だと言われた。
数字として見える成果を上げる事、それが重要だと。

最近のマンガ原作のアニメ作品が、
有名アーティストのプライバシーに関わるような名前を使用したりした事で、
日本のマンガやアニメも国際基準に適合させるべきと、とある日本の弁護士が語り、
何と、あのイーロン・マスクまでSNSで反論をぶち上げている。

国際基準の詳細を知らないのだけど、
法律や一般常識でまとめられてしまうと、マンガの自由な発想が萎縮してしまう。
そういうのは、既に、編集者からの一部の無駄な提言で、既に起きている。
編集者がゴチャゴチャ口出ししたマンガは、大体つまらない。

人権への配慮は大事だけど、
それを言うなら、
あらゆるエンターテインメントから、殺人、窃盗、戦争、等々を無くすのが先だろ。
それとも、殺人は国際基準で問題無いのか?