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マンガ家Mの日常
毎年、早めに始めなければと思うのに、気付けは3月。
書類作成に本腰を入れねばならない。
過渡期で、あちこち中途半端にデジタル化していて、
受領書や領収書の類をいちいちPCから取り出さなければならないのが面倒。
会社側は経費削減出来るのだろうけど、こちらは手間が増えた。
郵送された書類をまとめておけば良いだけの時代が懐かしい。


確定申告とは別に、
来週、銀行さんと会う予定がある。
投資信託の定期報告のようなもの。

としたところ、
何故か昼頃に銀行の担当者から電話が入った。
いや、その定期報告は来週聞くから、今日はいい。
で、来週の予定を30分ずらして欲しいと言われた。
まぁそれくらいは構わない。

としたところ、
午後、ネットニュースを見ていたら、
銀行系列の投資信託会社で巨額の横領事件発生の報道。
慌てて電話して来たのは、このせいか。

来週、その辺も話を訊かねばならん。
こちらからふらなければ、黙ってるだろうな。


お金の話に沈む3月。
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良かった。
無事投稿出来ている。

昨年のいつ頃だったか忘れちゃったけど、
アプリからの投稿が出来なくなっていた。
ブログの運営がアプリを停止して、暫くの間は投稿出来ていたんだけど、
iPhoneの機種変した時に、切り替わっちゃったようで、
記事は読めるけど、投稿や編集が出来なくなってしまっていた。

最初の頃は全部PCから投稿していたわけだけど、
アプリが使えるようになったら、色々便利。
旅行中でも投稿を休まなくて良いし、
普段でも、外出中のちょっとした空き時間に投稿するとか、
疲れてダラダラして、PCを立ち上げる気力が無い時とか、
iPhoneから短文をササッと投稿出来てしまう。
それに慣れていたので、アプリが使えないにが不便で困っていた。

このまま使用継続出来る事を願う。

アプリからまた投稿が出来るようになったみたい。

とりあえず、試してみる。

出版社と契約している女性マンガ家はごく僅かなので、
連載が終了したら、即無職の世界。
編集部がマンガ家の生殺与奪の権力を握っている。
編集者と上手く信頼関係を継続させられる場合もあれば、
そうでない場合もあり、
思わぬ事態で仕事を失ったり、不本意な仕事をさせられたりする。

前回の新條まゆ先生のケースがどうだったのかはわからない。
作家の側には切実な事情があるが、
編集者や編集部の言い分も聞いてみなければわからない。

でも、編集者は「会社員」なので、
本当に「本当の事」は明かさないし、SNSで公開もしない。

小学館の編集者一同で発表された追悼文に関しても、
SNSでも指摘されている通り、情緒的なばかりで、どこか歯切れの悪さがある。
日本テレビが改めて第三者委員会のような機関を立ち上げて
調査すると公表したが、果たしてどこまで機能するか。
旧ジャニーズ問題の時のように、何となく取り繕って終わりだろうな。
本気で調査して、それを公開するなら、
現場責任者の氏名や具体的言動を明らかにする必要があると思うが、
「会社」は自らの過失を公にはしない。


日本テレビが調査をすると言うなら、いずれ何らかの発表はあるだろうが、
内容に期待出来ないし、
おそらく、今後はいくらか映像化に慎重になるというだけの話だろう。

今回の事件をきっかけに、マンガ家の仕事の厳しい状況が改めて公表されたが、
それでマンガ家の立場が向上するとも思えない。


本当に...、
芦原妃名子先生の自死がもたらす社会的意義は何だったんだろう。

マンガ家同士団結しようと言う声も一部で上がっていたようだったが、
個人事業者の団結は難しい。
火中の栗が巨大過ぎる。
実績のあるマンガ家が主導的役割に就けば後輩が後に続くかもしれないが、
自分の仕事や生活を犠牲にして団結に注力する人はいないだろう。

将来的には、
マンガは出版社や編集部から離れて、
個人でネットで発表する形態が主流になるのだろう。
それはそれで、また違うビジネスモデルが構築される。


夢を追って、

夢を作品に込めて、

夢を読者に届ける。


誰もがそう思ってマンガ家になった筈なのに。

(改めて完了。)



このテーマを一旦完了としたけど、事件の余波は治る気配も無く、
問題解決の道筋が提起されないままで、
逆にSNSでのマンガ家さん達からの訴えが注目されている。

noteというのを知らなくて、本文をちゃんと読めていないのだけど、
「快感フレーズ」等で一世風靡した新條まゆ先生が、
かなり具体的で厳しいコメントをされているらしい。(ネットニュース情報)

一世風靡した、と書いたけど、
新城先生は「快感フレーズ」の後はもうH系の作品を描くのが嫌だったとか。
当時小学館の少女マンガは、他にも
北川みゆき先生とかも、大胆なH系の作品で人気を博していた。
雑誌として、そういった傾向の作品が人気であれば、作家に求めるだろうし、
作家の側もある意味勝負をかけて思い切った表現に挑む。
でも、本人が無理をしているのだとしたら、すぐに苦しくなるだろうし、
同じような作品ばかり要求されるのもかなわん。
新條先生はその頃から少しずつ編集部と溝が出来ていたのだろう。
小学館を出るという決意にまでなって、
そうしたところ、小学館側は過去作の絶版まで通達。
配信でももめている。

編集者の立場であれば、人気作家は引き留めておきたいから、
何とか丸く収めようとすると思うのだけど、
雑誌を背負う程の人気作家であれば、それなりに意志が強い。
お互い引き際が見つからなかったのか。
また、難しい話なんだけど、
雑誌のカラーを変えたい時期には、人気作家でも入れ替えをしたりする。
そこで様々な齟齬が生じる可能性もある。

(続く。)