萩尾先生と竹宮先生が同居するに至った経緯は、
それぞれの著書で語られている事に大きく違いは無い。
60年代は少女マンガの黎明期で、雑誌も作家も少なく、
その為、逆に今よりも、プロ志望の女性同士が密に知り合う機会があった。
お互いの作品に魅力を感じていれば尚更。
ところが2人の間には、増山法恵さんという3番目の存在があって、
状況がちょっと複雑になってしまった。
マンガを直接描く事が出来ない増山さんは、マンガ家相手に語る事で、
自身の理想が具現化されるよう望んだ。
そこに一番フィットしたのが竹宮先生で、制作のパートナー関係に発展する。
一方、萩尾先生は、増山さんの話から様々なサジェスチョンを得ると、
すぐに自分の中で消化させて、原稿に描き進めて行った。
それが、竹宮先生サイドからすると、ある種の「盗作」と映った。
竹宮先生の「少年の名はジルベール」では、その点には触れられていないが、
萩尾先生の「一度きりの大泉の話」では、まさしくそこが肝となっている。
当時、竹宮先生が直接そのような言い回しをしたのでは無いようだけど、
共通のアシスタントを通じてだったりして、話がジワジワと広がり、
竹宮先生も遂には、萩尾先生に、自分の仕事場に来ないよう、
自分の本棚やスケッチブック等を見ないよう、文章にして手渡す。
事実上の絶交宣言。
意識して真似たわけではなく、
自分自身の中で消化して作品に落とし込んでいた萩尾先生としては、
寝耳に水の話で、呆然となってしまった。
この辺りの経緯において、増山さんの関与がどうだったかが気になる。
(続く。)
それぞれの著書で語られている事に大きく違いは無い。
60年代は少女マンガの黎明期で、雑誌も作家も少なく、
その為、逆に今よりも、プロ志望の女性同士が密に知り合う機会があった。
お互いの作品に魅力を感じていれば尚更。
ところが2人の間には、増山法恵さんという3番目の存在があって、
状況がちょっと複雑になってしまった。
マンガを直接描く事が出来ない増山さんは、マンガ家相手に語る事で、
自身の理想が具現化されるよう望んだ。
そこに一番フィットしたのが竹宮先生で、制作のパートナー関係に発展する。
一方、萩尾先生は、増山さんの話から様々なサジェスチョンを得ると、
すぐに自分の中で消化させて、原稿に描き進めて行った。
それが、竹宮先生サイドからすると、ある種の「盗作」と映った。
竹宮先生の「少年の名はジルベール」では、その点には触れられていないが、
萩尾先生の「一度きりの大泉の話」では、まさしくそこが肝となっている。
当時、竹宮先生が直接そのような言い回しをしたのでは無いようだけど、
共通のアシスタントを通じてだったりして、話がジワジワと広がり、
竹宮先生も遂には、萩尾先生に、自分の仕事場に来ないよう、
自分の本棚やスケッチブック等を見ないよう、文章にして手渡す。
事実上の絶交宣言。
意識して真似たわけではなく、
自分自身の中で消化して作品に落とし込んでいた萩尾先生としては、
寝耳に水の話で、呆然となってしまった。
この辺りの経緯において、増山さんの関与がどうだったかが気になる。
(続く。)
PR
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック