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マンガ家Mの日常
(諸々片付けて、やっとこちらの話に戻って来られました。)

(ネットでも話題が盛り上がっているようですが、
 そうした掲示板を見る習慣が無く、
 事に、萩尾先生の作品に関しては自分自身の感覚を大事にしたいので、
 他の方の意見を知るのは、遠い未来になるか、永遠に見ないか、です。)


これは、
少女マンガ界における「アマデウス」
(萩尾先生と竹宮先生の作品のマンガの歴史における差は、
 モーツァルトとサリエリ程の開きは無いとだけは先に言っておきます。)


2つの意味において、「アマデウス」の表現がふさわしい。

1つは、このブログでも以前に書いた通り、
稀代の人気作家であった竹宮恵子先生が、
ご自身の自伝本「少年の名はジルベール」で告白したように、
同年齢ながら当時は後発だった萩尾望都先生の才能に脅威と羨望を感じていた。


そして、もう1つの意味が、実は、今作の鍵なのだと思う。

そこに辿り着くまでに、あらましを説明する。


萩尾先生の思いは、今作のタイトルに全て込められている。

竹宮先生が書いた自伝本「少年の名はジルベール」の中で、
20代に大泉のアパートで萩尾先生と同居していた事に触れ、
萩尾先生の才能や、編集者との関係性について嫉妬していた事を明らかにした。

70〜80年代少女マンガの黄金期に輝かしい足跡を記した2人の
青春時代の記録は大きな話題になり、
萩尾先生の元に、竹宮先生との対談や、ドラマ化の話が
頻繁に舞い込むようになってしまった。
萩尾先生がいくらお断りしても、少し時間が経つとまた舞い込む。
その煩わしさは日々の仕事にも悪影響となって現れる。
無用な依頼の際限無い繰り返しを止める為に、今作を上梓する決意を固めた。

萩尾先生が、何故そうした依頼を断っているか、
その理由が全編を通じて切々と綴られている。


それは...、

半世紀に及ぶ、断絶の記録。

(続く。)
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