「ケータイ・コミックを読む時」の続き。
よくある例として、実際に体験した事から。
ちょっとくだけた集まりで、マンガの仕事について尋ねられて、
ハーレクインの名称を出すと、
「Hなシーンのあるヤツ?」といった返しが必ずと言って良い程あります。
確かにレディコミバブルの時代にはそういうマンガも多かったようで、
「大人の女性向けのマンガ」=「レディスコミック」=「H」
という図式を作り上げた出版社に
世間的な偏見を生み出した責任があるものなので、
前述の返しをされる方々を批判する訳にはいきません。
また、ある時の事。
同じスポーツジムに通う方が、マンガが好きで、私の作品も読みたい、
と言って下さったので(まぁね、本を買ってもらえれば良かったんだけど。)
発売されて間もない拙著を差し上げました。
そうしたところ、近くにいた数人の方々がサッと群がって、
「○○さん、読んだら貸して。」「次、私にも。」となったのです。
マンガに興味を持っていただける事はありがたいのですが、
(実際は単に、その場の目新しい話題に飛びついて見せただけで、
マンガそのものに関心は無いのです。)
その方達はマンガの本にお金を払う気は全く無いのです。
2、3のジムを掛け持ちして毎月高い会費を払い、
レッスンの後は皆で食事に行って高いワインを開ける。
そういう人達が、コミックス1冊には600円を出し渋るのです、
作者の面前で。
何年か前、ある小説家の方が、図書館に新刊本を置くのを
一定期間遅らせるよう申し入れをした事がありました。
本がせっかく発売になっても、読者が図書館で新刊本を只で読むのでは、
本が売れず、作家の収入の道が閉ざされてしまいます。
当時新聞で読んだだけなので、その後どうなったかは知りません。
少し前の「怒り新党」でもマツコさんが苦言を呈していました。
小説等はそれなりの時間や経費をかけて書かれているものなのに、
読者がそれに対してお金を支払おうとしなければ、仕事は成立せず、
作家は仕事を諦め、やがて文化は衰退して行く、といった内容でした。
まさにその通りで、
韓国のマンガ等は惨い状態に追い込まれていた時期もあったようです。
日本のマンガもそうなりかねません。
図書館には重要な役割がありますし、
本の貸し借りというのも昔からなされていた事ではあります。
でも、そればかりでは小説家やマンガ家の仕事は成り立ちません、
国家公務員として税金から生活費を出してくれるのでもなければ。
情報は只、という発想は、民放TVによる弊害かな、とも思います。
でも実際は、番組スポンサーが制作費を出して、
CMを流して商品の売り上げを狙っている訳で、
それは広告宣伝費として商品の代金の中に反映されており、
結局、視聴者は回り回ってTV視聴の代金を全額支払っているのです。
民放TVは只で見られる訳では無いのです。
小説もマンガも、広く、多くの方に読んでいただきたいという思いは
作者の誰しもが持っているものであります。
でも同時に、作品の価値を認め、敬意を持ってもらいたいとも願っています。
ところが、そうはなっていかない。
何故なのでしょう。
(続く。)
よくある例として、実際に体験した事から。
ちょっとくだけた集まりで、マンガの仕事について尋ねられて、
ハーレクインの名称を出すと、
「Hなシーンのあるヤツ?」といった返しが必ずと言って良い程あります。
確かにレディコミバブルの時代にはそういうマンガも多かったようで、
「大人の女性向けのマンガ」=「レディスコミック」=「H」
という図式を作り上げた出版社に
世間的な偏見を生み出した責任があるものなので、
前述の返しをされる方々を批判する訳にはいきません。
また、ある時の事。
同じスポーツジムに通う方が、マンガが好きで、私の作品も読みたい、
と言って下さったので(まぁね、本を買ってもらえれば良かったんだけど。)
発売されて間もない拙著を差し上げました。
そうしたところ、近くにいた数人の方々がサッと群がって、
「○○さん、読んだら貸して。」「次、私にも。」となったのです。
マンガに興味を持っていただける事はありがたいのですが、
(実際は単に、その場の目新しい話題に飛びついて見せただけで、
マンガそのものに関心は無いのです。)
その方達はマンガの本にお金を払う気は全く無いのです。
2、3のジムを掛け持ちして毎月高い会費を払い、
レッスンの後は皆で食事に行って高いワインを開ける。
そういう人達が、コミックス1冊には600円を出し渋るのです、
作者の面前で。
何年か前、ある小説家の方が、図書館に新刊本を置くのを
一定期間遅らせるよう申し入れをした事がありました。
本がせっかく発売になっても、読者が図書館で新刊本を只で読むのでは、
本が売れず、作家の収入の道が閉ざされてしまいます。
当時新聞で読んだだけなので、その後どうなったかは知りません。
少し前の「怒り新党」でもマツコさんが苦言を呈していました。
小説等はそれなりの時間や経費をかけて書かれているものなのに、
読者がそれに対してお金を支払おうとしなければ、仕事は成立せず、
作家は仕事を諦め、やがて文化は衰退して行く、といった内容でした。
まさにその通りで、
韓国のマンガ等は惨い状態に追い込まれていた時期もあったようです。
日本のマンガもそうなりかねません。
図書館には重要な役割がありますし、
本の貸し借りというのも昔からなされていた事ではあります。
でも、そればかりでは小説家やマンガ家の仕事は成り立ちません、
国家公務員として税金から生活費を出してくれるのでもなければ。
情報は只、という発想は、民放TVによる弊害かな、とも思います。
でも実際は、番組スポンサーが制作費を出して、
CMを流して商品の売り上げを狙っている訳で、
それは広告宣伝費として商品の代金の中に反映されており、
結局、視聴者は回り回ってTV視聴の代金を全額支払っているのです。
民放TVは只で見られる訳では無いのです。
小説もマンガも、広く、多くの方に読んでいただきたいという思いは
作者の誰しもが持っているものであります。
でも同時に、作品の価値を認め、敬意を持ってもらいたいとも願っています。
ところが、そうはなっていかない。
何故なのでしょう。
(続く。)
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