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マンガ家Mの日常
横溝正史先生の作品の話になると、必ず出る問題がある。
差別もしくは差別用語。

実際、身体の障害や精神疾患と見なされる事柄を
閉鎖的な地方都市における犯罪と絡めて禍々しく書いてある。
それが横溝作品の魅力の原点でもあるのだけど。

現在の認識に基づいて判断すれば、差別と見なされて仕方が無い。
ただ、作品の時代背景がそのような状況下であったのも事実で、
それを時代感覚のまま書かれたのだから、
時代が変わった事で作品の見方が変わってしまうのも理不尽なようである。

カドカワと秋田書店とで横溝作品のコミック化の仕事を指示され、描いた。
マンガ家であればオリジナルを描きたいと思うものなので、
正直言えば、原作物に魅力は感じない。
個人的によっぽど惚れ込んだ小説なら別だけど。
でも、マンガ家の立場では編集の指示に逆らえない、
特に新人で、それしかページをもらえない場合には。

基本オリジナルを描きたいのだけど、
定評のある横溝作品で、長いページをもらえると言う事であれば
仕事としてそれなりの魅力はある。
カドカワではデビューしたてで、苦しい中頑張って描き上げた。

ありがたい事に、単行本化され、
後に秋田書店やぶんか社でこうして再録のお話をいただいた。

でも、その度に、差別の問題が出される。

出版社として、差別の問題に一線を引きたいのであれば、
横溝作品は掲載しなければ良い。
でも、時代が変わっても、魅力的なコンテンツであり続ける為、
度々引っ張り出される。

そして、差別問題にブチ当たる。
その矛先はマンガ家に向けられる。

何で?
こっちで作った話じゃないよ。
編集部が描くよう指示して来たから描いたんだよ。
文句があるなら、横溝先生の著作権者の遺族に言って、全部書き直しさせなよ。

秋田書店では、カドカワで描いた作品を再録企画で引っ張り出して、
さも私が差別的な話を描いたかのように批判された。
横溝作品の人気にあやかりたいだけで編集部が立てた再録企画なのに、
本家のカドカワに対しても失礼だろ。

毎度毎度、ウンザリさせられる。

この手の話題は以前にもブログで書いたし、今後も書くかもしれない。

出版社やTV局が差別用語に敏感になるのは、
表現手段云々の問題ではなく、
圧力団体からのクレームが来て困るからってとこにある。
世の中、そうやって方向性が決まって行く。

最近BSやケーブルで古い映画や番組を放送する時、
或いは、新作で過激な内容の映画を放送する時、
冒頭でお断りを入れるようになっている。
お断りを入れたら何を放送してもO.K.なのかって事じゃないだろうけど、
時代背景とかを的確に表現しようとすれば尚の事、
現代の感覚に合致しない事も出て来るので、
こうしたやり方が今のところベストではないかと思える。
一般的な地上波の放送はともかく、
BSやケーブル、或いはマンガも、
視聴者や読者がそれなりの意識を持って選択するものだから。

編集部とはそう言った方向で話を進めているけど、
どうなるかはわからない。
マンガ家の立場ではどうすることも出来ない。



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