残念!
錦織君、チリッチにセットカウント0−3のストレート負け。
前日のマスコミの大騒ぎがあった為、逆に冷静に見てしまった。
試合後半、負けが見えて来た辺りでは、
いっそ今回は負けてくれた方が、騒ぎが沈静化して、観客、視聴者に、
冷静な視点で見てもらえるようになって良いのではないかとさえ思えた。
錦織君はバッシングされるタイプではないけど、
この敗戦を受けて、マスコミはどういう対応を見せるんだろうね。
4回戦、準々決勝、準決勝、
トップ10選手と4時間を越える試合で競り負けなかった。
でも、さすがに決勝では疲れが残ってしまっていたようだった。
ウォーミングアップの時から肩を回す等の仕草が見られたので、
身体にハリがあったのだろう。
ストロークにキレが無かったし、フットワークも重かった。
ミスも目立った。
目がボンヤリして集中出来ていなかったし、うなだれる場面も多く見られた。
修造チャレンジで11歳の錦織君に対して松岡修造が
「圭、痛い顔するな!ふてくされた顔を見せたら止めるぞ!」と
檄を飛ばしていたシーンが甦った。
こういう状態の時は、ナダルやヒューイットのように、
声を上げて自分を鼓舞しても良いのではないかと思った。
これまでの大会では、もっと早い段階で疲労で敗退してしまっていた事を思うと
今回は自分自身の壁を破ったと言う事で、高い評価を出して良い。
あともう少し、フェレールのような体力が付けば、毎回この活躍が出来る筈。
一方のチリッチはサーブが安定していたし、
錦織君のボールが甘く入っていた事もあって、読みも良かった。
決して器用なタイプではないと思っていたので、
錦織君のストロークにいつものキレがあったら、
過去の戦績通り、勝てる相手ではあったのだろうけど。
サーブには試合の中でも波があったりするので、
5セットまでもつれ込んだら、ラオニッチやバブリンカの時のように
サーブの一瞬の崩れを突いてブレークして勝てただろうに、
今回はそこまで保たなかった。
錦織君は初めてグランドスラム決勝まで進んだ事で、
グランドスラム優勝を掴む戦い方を学んだ。
これは大きな収穫だった。
チリッチのコーチを勤めるイバニセビッチも、有望視されながら、
タイトルを獲るまでに長い道程を歩んだひとりだった。
チャンスは決して多くは無い。
でも、次は必ず来る。
その時は最後までうなだれずに戦って欲しい。
マスコミはうかれて、もっと簡単に勝てるようなイメージを発信していたけど、
グランドスラムの壁はこれまで幾多の名選手の挑戦を跳ね返して来た、
それほど厳しい。
ビッグ4と呼ばれる選手達の偉大さの証明でもある。
準決勝で当たったジョコビッチは、その壁を何度も乗り越えて来た。
だからこそ錦織君の勝利に価値があるのだし、
ジョコビッチの真価はこの程度ではないとも言える。
マスコミには、そこのところを踏まえて報道して欲しかった。
チリッチを含め、ディミトロフ、ラオニッチと言った同世代の中心選手は皆
2メートル近い身長があって、ビッグサーブを打ち込んで来る。
これに対抗するのは優しく無い。
彼らが経験を重ねて技術を身に着ければ、尚更錦織君には厳しい戦いとなる。
技術については錦織君に天賦の才がある。
後は、1にも2にも体力。
体力さえあれば、今回のようなミスをする選手ではない。
決勝まで残った事で、ランキング8位に入った。
このあとの戦い如何ではあるが、
年末の大舞台、マスターズファイナル出場も見えて来た。
期待したい。
まだまだ錦織君の挑戦は続く。
フェデラー、ナダル、ジョコビッチ、マレー。
ランキングトップを長年独占し、グランドスラムタイトルを複数回獲っている。
TVを見てたら、どのコメンテーターだったかが、錦織君の事で、
「ビッグ4に取って替われる。」と言っていた。
それは、期待を込めての発言だとは理解してるんだけど、
専門家ならまだしも、異業種の人にそう言う事を軽々しく言ってもらいたく無い。
彼らはこの10数年、世界のテニス界を牽引して来た。
彼らがいるからこそ、今のテニス界がある。
彼らがいなければ名選手としての錦織君もいなかった。
グランドスラムタイトルを1度獲るだけでも偉業なのに、
彼らは長年に渡ってトップをキープし、タイトルを獲り続けて来た。
幾多の死闘を乗り越え、過酷な道程を走り続けて来た。
現時点では錦織君は、グランドスラムどころか、
1000シリーズのタイトルさえ獲っていない。
ランキングも10位に入るか入らないかを行ったり来たりしている、
まだ、ライジングスターでしかない。
グランドスラムタイトルを獲り、ランキング1位になる可能性は確実にある。
しかし、ビッグ4に取って替わると言えるのは、
グランドスラムタイトルを複数回獲り、1000シリーズで数回優勝し、
ランキング1位を通算50週くらい続けてからだ。
フェデラー、ナダル、ジョコビッチはそれらを全てやり遂げて、ここにいる。
トップ10さえキープ出来ていない今の錦織君の状況で言うべきではない。
勿論、錦織君自身が一番分かっていると思う。
ビッグ4の偉大さを理解しているからこそ、挑戦者として強くいられる。
挑戦者と言う殻も脱ぎ捨て、ビッグ4の一角と言われる日が
近い将来必ず来る、と言い切っても良い。
しかし、テニスを少しでも知る人であれば、
ビッグ4に対する敬意を決して忘れてはならない。
無知は冒瀆に通じる。
マスコミの浮かれ騒ぎも程々に、と願う。
今朝の女子シングルスの決勝戦は、起きた時には終わっていました。
セリーナが貫禄のストレート勝ち。
20代前半の絶好調時にもっとテニスに集中していれば、
とてつもない記録をもっと早くに樹立していただろうと思っていたので、
グラフのグランドスラムタイトル数まであと4つと知らされても、
まだそんなとこか、とさえ思ってしまう。
ユニフォームが相変わらず派手だね。
セリーナでなければ着こなせない。
対するウォズニアッキ、
一時期WTAランキング1位を長く保持していながらも、
何故かグランドスラムタイトルに手が届かず、
このまま無冠の帝王で終わってしまうのか...。
粘れ!食らいつけ!
マスコミの問題についてもう少し。
前述の記者の方とは古くからの友人で、
このブログをご覧になれば、不快に思われるかもしれないのですが、
ずっと以前からのわだかまりをふと思いだしてしまったので書きます。
「スマッシュをきめろ」「エースをねらえ」等、
少女マンガの世界ではテニスは憧れのスポーツでした。
クリス・エバートのような、華やかなスター選手の時代。
編集者の方と話をすると、現在は少女マンガは週刊誌が無くなってしまって、
スポーツマンガのように連続性で面白さを見せるものは向いていない、
との事で、スポーツマンガの企画は見向きもされませんでした。
カドカワで仕事させていただいていた時に、
基本はミステリーではありますが、全米オープンを舞台にした作品を
描かせていただける幸運に恵まれ、コミックス化していただきました。
テニス関連では、読み切りで秋田書店でも1作描かせてもらえました。
こちらは残念ながら単行本収録されていません。
中学生の頃にはテニスに憧れていたものの、
両親は体育会系の部活に入るのはハナから反対だったし、
ラケット等にかかる費用を出してもらえる経済的余裕も無かったので、
テニスは憧れのお金持ちスポーツでありました。
日本のように国土が狭い国ではコートも数が足りなくて、プレー環境も不遇。
それでも、テニスへの憧れはずっと続いていて、TV観戦で、
BSやWOWOWに加入したのも、テニスの試合が見たかったから。
仕事のスケジュールの問題があると、なかなか実際の会場までは行けませんが、
日本で開催されていたいくつかの大会には足を運びました。
フィリップと知り合った時、テニスを教えてあげると言ってくれて、
年齢を考えれば、今から新しい事を始めるのは
体力的にシンドイ事ではあったのだけど、
これを逃したら一生テニスを自分でプレーする事はあり得無くなるので、
機会を作ってくれたフィリップには感謝しています。
前置きが長くなってしまったけど、何を言いたかったかと言うと、
全く只のド素人ではあるけど、ずっとファンとしてテニスに接していた、
それは確かだと言う事です。
仕事として接している記者の方々の真剣さも、
一般のファンでは分からない面が多々あると思う。
ただ、違うのは、
ファンはそこから見返りも何も求めない、と言う点。
仕事であれば、取材等を通して最終的に自分が収入を得る道を計る、
そこで、どうしてもファンとの感覚的ズレは生じる。
それが今回のマスコミ全般の対応にも出ているのだと思ってしまう。
ここで、前述のわだかまりについて。
テニスに更にのめり込んで行くきっかけになった選手がアンドレ・アガシ。
大胆なファッションとスピーディな試合運び、人懐っこい人柄等で人気を博した。
友人は記者として、17歳で日本の大会に出場する為に来日したアガシに
インタビューをした。
その時アガシは「自分はチャンピオンになる。」と明言したそうで、
それに対して友人の個人的感想は
「大風呂敷を拡げる子だな。」と言うものだった。
私からはアガシのファンだと伝えて話をしていたので、
この言葉にはちょっと引っ掛かってしまった。
「大風呂敷」とは、実力を過大評価して大袈裟に言う、といった、
あまり良く無いイメージで使われる言葉。
友人はアガシをそう判断したのだった。
アガシは翌年にはグランドスラム決勝まで進出し、
ある個人的事情が無ければ、あわやタイトルを獲る所まで行った。
その後、ATPランキング1位に上り詰め、グランドスラムタイトル8回、
レジェンドと言われる選手になった。
友人は専門の記者として、リサーチ不足だったか、見る目が無かったか、
と言う事になる。
当時、のど元まで出かかったけど、口に出せばケンカになりそうだったので
言わずにしまっておいた。
でも、ファンとしては悔しかった。
ついでに、完全なる蛇足ですが、
コミックス後書等で自分のキャラクターとして描いているのは
アガシの風貌がモデルです。
錦織君やサッカーの本田圭佑と言った人達も、
子供の頃「世界チャンピオンになる。」と学校の文集等で記している。
今この結果があるから、マスコミはそれを持ち出して絶賛するが、
ひとつ間違えば、それこそ「大風呂敷」とバカにされていただろう。
で、おそらく、そう言う選手は星の数のようにいるに違いない。
実際に結果が出るまでは散々バカにされたりもして来ただろう。
そして多くは星くずとして散って行った。
これは、日本に限った事では無いけれど、
どうしても人と言うのは卑しいもので、他人の努力を蔑んで見ようとしたがる。
そして、あっさり手のひら返し。
個人的な性分として、私の場合は、何でも長く続ける。
子供でも大人でも、趣味や習い事など、数多く首を突っ込んですぐ辞めてしまう
そう言うタイプの人も多いが、
上手い下手は別にして、私は絵を描く事をずっと続けて来た。
マンガの仕事でそこそこの結果は出てはいるが、
はっきり言って、才能が無いのは自分が一番良くわかっている。
もう出来ないかもしれないと、挫けた事も1度や2度ではない。
マンガだから、親からは反対され、友人からもバカにされて来た。
でも、ギリギリで粘って来た。泣く思いもあった。
マンガでもスポーツでも、こういう頂点の下のプロ達が世界を支えているのだ。
それが「クールジャパン」等と言われ出すと、微妙に周囲の対応が変化する。
麻生元総理も歯嚙みしてるだろう。
海外のムーブメントであるが、ブームが過ぎればまた皆手のひら返しだろう。
ブームが去ったからどうこうで、こっちはすぐに宗旨替えする訳にはいかない。
道を極めるには長い年月が必要。
引き続きその道に取り組む、後ろ指刺されているのを背中に感じながら。
蛇足だけどね、
ずっとロックやヘヴィメタルを聞いて来て、
「大人になったら聞くもんじゃない。」みたいな事を言ってる人の言葉も
度々耳にして来た。
それで、そう言う人がまたブームで聞き始めてたりするのを見ると、
なんなんだコイツは、と思ってしまうよ。
蛇足ついでにいくつか。
現在フェデラーのコーチを努めているステファン・エドバーグは現役時代
「北欧の貴公子」とあだ名されて、日本の女性テニスファンの注目の的でした。
ところがエドバーグが引退した途端、その人達は皆テニスから離れてしまった。
エドバーグのスポンサーだった企業が大会スポンサーを降りて
大会は開催されなくなってしまったし、
「テニスマガジン」の編集長さんは「雑誌が売れない。」と嘆いていました。
エドバーグファンは、只のイケメン好きで、テニスのファンじゃなかった。
蛇足で最後にもうひとつ。
Facebookって、お追従的なコメントだけ書いてれば丸く納まるんだろうけど、
そう言うのってエネルギーの無駄だと思える。
私のコメントで友人の記者は反発を感じたかもしれないけど、
私への反論と言う格好で、日頃思っていた不満等も表現出来たので、
却って良かったんじゃないかな、と思うようにもなった。
取材費が出ない、なんて言うのは会社の運営方針であって、
一般の読者や観客には関係無い事だしね。
思う所が多過ぎて、
こういう事から、マスコミの急な大騒ぎに抵抗を感じるのです。
マスコミが現場と観客とを繋ぐ重要な役割を担ってもいるので、
無くてはならない存在ではありますが、
選手を応援する反面で、識者ぶって無情に潰しもする。
長くファンでいれば、そう言うことにも負けなくなって来ます。
純粋なファンでいる事の大切さを知る今日この頃。
明日は何としても早起きして見なければ。
準々決勝でバブリンカに勝った辺りから、マスコミの報道が過熱。
何処のTV局でも大騒ぎ。
普段は4大大会でもろくすっぽ報道してくれなかったりするのに。
日本人選手が活躍したら大喜びで報道するって、
まぁ、それは分からなくも無いけど、
そういうのって、日本人が勝つかどうか、だけで、
競技そのものへの愛情ではないから、
人気選手がいなくなると潮を引いたように報道が無くなって、ブームが消える。
その落差が怖い。
大きく落ち込んだ後、元に戻るのが大変。
「マスコミ騒ぎ過ぎ。」って事をFacebookでコメントしたら、
記者の方から「勝ってる時に騒がないでいつ騒ぐ?」と叱責を受けた。
「今大きく話題になれば、ファンが増えて隆盛になる。」と。
そこは私も先に同じ意見をコメントしていたのだけど、
マスコミの盛り上がりぶりはあまりにもいきなりな感じがした。
まぁ、先のサッカーのW杯でも、どうなのかなって感じだったけど。
記者の側からすると、こういう時でなければ海外への渡航費も出なくて、
取材のしようが無かったみたい。
マスコミもプロな訳で、そこはお金の問題が大きく絡んで来るのね。
選手はひとりでも、貧乏暮らし覚悟で海外を転戦してるんで、
報道の人、ちょっとガッツが足りない?
まぁ、会社勤めだからね、自分の判断では動けないんだもんね。
マスコミなのか、見る側の方なのか、分からないけど、
問題は、
日本人の勝ちにこだわり過ぎる報道の仕方ではなかろうか。
ちょっと気持ち悪い。右翼っぽい。
日本人が勝たないと感動出来ないのだろうか?
オリンピックは基本国別対抗戦なので、日本の応援に熱が入るだろうが、
他の国の選手の試合でも、美しかったり、感動的だったりするものは沢山ある。
そういうのはどうでもいいんだろうか?
オリンピックになると、確かに、日本人選手が早い段階で敗退すると
関心が薄れるのは否めない。
でも、オリンピックやデビス杯フェデレーションズ杯等を例外として、
テニスは個人競技なので、見ていて、
日本人選手だからどうこうと言う気持ちは殆ど無い、私個人は。
アンドレ・アガシの引退後、もしくはナダル欠場の大会では
若干テンションが下がりはするが、
そう言う時こそ、普段見てなかった選手の試合を見たり、
ひいき目も何も無しで純粋に競技観戦を楽しめたりする。
新たな選手の個性が見えて来て興味を引かれる事もある。
テニスに限らず、そう言うタイプの競技は他にもあるだろうし、
野球やバスケット、サッカーにしても、日本人選手の有無に関わらず、
メジャーリーグやNBA、海外リーグのファンって言う人もいる。
日本人って、やっぱり集団帰属意識が強い国民性なんだろうか。
野球やサッカーのようなチームプレーが推奨されがち。
協調性って確かに大事だけど、個性が潰されてしまうケースも多い。
昨今の同調圧力によるイジメ、仲間はずれを極端に怖がる人達、
「個」を大事にしない、出来ない思考が何故か根付いている。
まず「個」が出発点にあっての「集団」であるのが本筋ではなかろうか。
海外のスポーツ環境が整っている地域では、
子供の頃から複数のスポーツをやらせる。
どれか才能がありそうな競技を選択する、と言う面の他に、
特定の競技に集中した事で生じる身体の偏りを無くすとか、効能は色々。
また、個性の強いタイプには、集団競技ではなく、個人競技を勧める。
そう言う考え方がもっとあってしかるべきと思う。
集団だけではなく、個にも目を向ける意識が育たなければ、
テニスのような個人競技は育たない。
錦織君のような100年にひとりの天才が引退したら、
また廃れるのは目に見えている。
先程TVを見ていたら、往年の名選手神和住純氏が
「決勝の相手はフェデラーの方が良かった。」と言っていた。
単純に見れば上位のフェデラーの方が強い筈なのだけど、
ランクが下から上がって来ている選手と言うのは、
それだけこの何ヶ月間好調で上り調子だと言う事。
安定しているフェデラーよりも、伸び盛りのチリッチの方が怖い。
勿論、ここは錦織君の勝利を信じているけど、
チリッチのビッグサーブにどう対応するか、スタミナが何処まで保つか、
試合展開にかかっている。
楽観視は出来ない。
それだけに、万が一錦織君が敗れた時のマスコミの対応も気になる。
だから、今極端に大騒ぎされるのが却ってイヤなのだ。
また、この後楽天オープンも控えているけど、
全米でこれだけ体力を消耗した後では、錦織君の優勝は期待出来ない。
ベスト8くらいまでは確実に進むだろうとは思うけど、
いっそ欠場して休養を取ってもらいたいとさえ思う。
海外のマスコミ程強烈ではないようだけど、
負けが続いた時のバッシングも想像出来る。
手のひら返しの繰り返し。
錦織君はずっとアメリカを拠点にしてるので、
日本のマスコミの対応に左右されるような事も無いだろうが。
その競技が好きなのか、
特定の選手が好きなのか、
日本の勝ちが好きなのか、
どれが良くてどれが悪いとも言えないけど、
今回のような大きな局面では、世論の誘導を考えると、
マスコミの対応は重要で、慎重でもあって欲しい。