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マンガ家Mの日常
昨年録画していた番組をやっと視聴。
ブーニンが9年間のブランクを経て、コンサート活動再開。

1980年代にショパン国際ピアノコンクールで当時最年少で優勝。
彗星の如く現れて、音楽ファンを魅了した。

個人的にはクラシックに疎いので、その後の活躍等については殆ど知らずにいて、
今回、ドキュメンタリー番組を観て、色々驚かされた。


幼い頃から母親にピアノの英才教育を施される。
両親はまもなく離婚。
母親との二人三脚で、才能を開花させる。

当時の日本がバブル景気で浮かれていたせいもあったのか、
ブーニンを迎える日本のファンの熱狂ぶりが、ロックスターさながら。

ソ連はゴルバチョフ氏が書記長になり、ペレストロイカを断行。
しかし、アーティストに対する締め付けは以前のままで、
コンサートの為に国外に出るブーニンには、常に監視役が同行していた。
収益の大半も国に取られる。
ブーニンは監視役の隙をついて、母親と共に、西ドイツに亡命を決行。

西ドイツで、ジャーナリスト修行中の日本人女性に恋して、結婚。
パートナーが日本人だったなんて。
自分の幼少期のように、息子にピアノを仕込もうとするも、息子は別の道を選択。
海外の大学で、量子物理学を学んでいる。 
最先端だなぁ。

幼い頃から演奏で身体を酷使して来たせいで、肩の病気が悪化して、
左手が思うように動かせなくなり、一時コンサート活動を休止。
遺伝性の1型糖尿病にも苦しめられる。
活動再開しようと思った矢先に、左足首を骨折。
糖尿病の影響もあって、壊死が進み始め、医師から切断を告げられる。
足はピアニストにとって重要。
ブーニンは切断せずに済むよう、別の医師を探す。
そして、足首のみ数cm切断し、繋ぎ合わせる手術を行う。
短くなった左足にサポート用の靴を履き、リハビリ。
ピアノはメーカーがペダル部分に特注の部品を取り付けて、
ブーニンが操作しやすいようにする。

そうして、9年ぶりに、日本でコンサートを再開させた。

日本にも家があって、日本とドイツの両方で暮らしているらしい。


まるで、映画のような人生。
天才に苦悩が付き纏う。
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